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加藤浩子の「街歩き、オペラ歩き」

名指揮者が愛し、復活させた宮廷都市の宝石箱〜フェッラーラ市立劇場

フェッラーラ市立劇場外観

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 「イタリアの小さな街を旅するくらい、楽しいことはないよね」

 そう言ったのは、大学時代の美術史の先生だった。

 イタリアを訪れるたび、その言葉を実感する。イタリアのほんとうのよさは、大型観光ツアーで行かないような中小の都市にある。それぞれの歴史が垣間見える街並み、街ごとにちがう料理、そして、宝石箱のような劇場。

 イタリアのまんなかよりやや北東にあるフェッラーラは、旧市街全体がユネスコの世界遺産に指定されている歴史都市だ。城壁に囲まれた旧市街は、煉瓦(れんが)色やクリーム色に塗られ、テラコッタのレリーフに飾られた建物が続く落ち着いた雰囲気だが、14世紀に創設された大学があることもあってか若者の姿も多く、夕暮れ時や週末は活気づく。にぎわい始める夕暮れ時のフェッラーラは、シックな街並みと相まってとても魅力的だ。

フェッラーラの大聖堂

 フェッラーラの繁栄を担ったのは、13世紀半ばからおよそ400年にわたってこの街を支配したエステ家である。エステ家は芸術保護にも力を注ぎ、全盛期のルネッサンス時代には、画家のピサネッロ、ティツィアーノから音楽家のジョスカン・デ・プレ、ヴィラールト、ルッツァスキまで、多くの芸術家がフェッラーラに招かれた。16世紀の後半には、「コンチェルト・デッレ・ダーメ(貴婦人たちのコンチェルト)」と名付けられたお抱え女性歌手グループが大評判になっている。彼女たちは金や浮き彫りで飾られたハープやチェロに伴われて、時に自らも楽器を奏でながら、人間業とは思えない超絶技巧を披露していたという。

フェッラーラの中心にそびえるエステンセ城

 贅(ぜい)を尽くしたエステ家の祝宴も、芸術家たちの活躍の場だった。豊富なメニューや豪華な出し物のようすは、当時の文献で伝えられている。牛肉からキャビア、スイカまで、手に入りにくい食材を贅沢(ぜいたく)に使ったエステ家の宮廷料理の名残は、現在もフェッラーラの伝統料理に見ることができる。パイ生地のなかにベシャメルソースとマカロニを詰めて焼いた「パスティッチョ・フェッラレーゼ」は、宮廷料理から生まれた一品。炭水化物攻めのような料理だが、南イタリアの名物であるマカロニが使えたのも、富の証拠だった。

 街のまんなかにそびえるエステ家の城、エステンセ城には、饗宴(きょうえん)を準備した台所が残っている。16世紀のオーブンや暖炉の跡は、エステ家最盛期のにぎわいを想像させてくれる。

フェッラーラ名物パスティッチョ・フェッラレーゼ

 フェッラーラ市立劇場は、エステンセ城の向かいに建つ、フェッラーラを代表する劇場である。煉瓦(れんが)で築かれ、柱廊に取り囲まれた外観は、街の雰囲気にとけこんでさりげない。

 開場は1798年。エステ家が去り、教皇領となったフェッラーラで、市民のための劇場として枢機卿の委嘱により建てられた。そのためこの劇場には、君主のための豪華なロイヤルボックスがない。内部はイタリアの伝統的な劇場と同じ馬てい形で、4階のボックス席と天井桟敷が積み重なる。金色のレリーフが施された装飾はそれなりに豪華だが、イタリアの劇場につきものの「赤」が使われていないので、街並み同様落ち着いた雰囲気だ。当初は舞踏会などにも利用されたため、座席は可動式だったという。木の床、オーケストラピットなどがそろう現在のような形になったのは、20世紀も末のことである。

客席

 劇場が復活したのにはもちろん理由がある。この劇場は、名指揮者の故クラウディオ・アバドに愛された劇場だった。アバドはこの劇場の美しさや大きさ、音響のよさを気に入り、1989年から亡くなる2014年までの25年間にわたって、彼のイタリアにおける拠点にしたのである。アバドはルネッサンス時代のエステ家のように、フェッラーラの音楽生活を活性化したのだ。彼が没した2014年、フェッラーラ市立劇場には「クラウディオ・アバド」の名前が冠された。

 現在、劇場の活動を担っているのは、アバドの時代に創設された「フェッラーラ・ムジカ」という団体だが、おそらくアバドとの関係性のおかげで、人口13万人の中都市にしては贅沢なキャストが招かれている。今年のラインナップにも、人気チェリストのソル・ガベッタ、古楽の大家ジョルディ・サヴァール、アバドが創設したヨーロッパ室内管弦楽団やマーラー室内管弦楽団といった一流どころの名前が並んでいる。

ホワイエ

 アバドの存命中、もっとも評判になったのはやはりオペラである。モーツァルトの「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」、アバドが蘇演したロッシーニの名作「ランスへの旅」、これもアバドが復活させたヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」といったオペラが、この1000席足らずの劇場で、キーンリサイド、ターフェル、ダルカンジェロ、サルミネンといった一流のソリストと、アバドの手兵であるヨーロッパ室内管弦楽団を迎えて演奏されたのだ。1997年にここで録音された「ドン・ジョヴァンニ」は、名盤の誉れ高いディスクである。

 フェッラーラでの彼のオペラ公演の詳細が発表されるたび、筆者は飛んで行きたくてたまらなかった。フェッラーラであんなことをやっているなんて! けれどなかなか思いはかなわず、そうこうしているうちにアバドは逝ってしまった。アバドのいなくなったフェッラーラに、それでも一度は行ってみたい、そして市立劇場でオペラを観(み)たいという思いはくすぶり続けた。

 この春、ようやくその願いがかない、アバドゆかりの演目のひとつである「フィガロの結婚」を市立劇場で観劇することができた。日本でも「愛の妙薬」で美しい舞台を披露したフランチェスコ・ベロットの演出した舞台に集ったのは、イタリアの偉大なソプラノ、トーティ・ダル・モンテの名前をつけた国際コンクールの昨年の入賞者たち(筆者の隣に座った老紳士は声楽家で、弟子が何人か出ているとうれしそうだった)。イタリアの地方劇場では、いくつかの劇場が一つのプロダクションを共同制作するのが一般的だが、このプロダクションも3劇場の共同制作で3カ所を巡回する。若い歌手が経験を積むには最適の機会だろう。

「フィガロの結婚」カーテンコールより

 カーテンコールではそれぞれの歌手の応援団がさかんに喝采を送り、舞台に花を降らせる場面も。歌手のなかではフィガロを歌ったダヴィデ・ジャングリゴーロが、やや暗めながらビビッドな声、機知に富んだ演技で頭ひとつ出ていたように思う。

 演出はステージ上で舞台裏を見せる劇中劇のような趣向で、実際のテクニカルスタッフが舞台でもスタッフを演じており、カーテンコールにも登場して余韻を盛り上げていた。

 アバドが創設したフェッラーラ市立管弦楽団を指揮したのは、スペイン出身の若手で、10年ほど前から国際舞台で活躍しているセルジオ・アラポン。ぐいぐいと引っ張る快速調の指揮に、オーケストラがついていけない場面も散見されたが、若々しい勢いで成功に貢献していた。

 アバド時代を知っているひとなら、当時を懐かしむかもしれない。けれど彼が残した若手育成という財産がどう受け継がれていくか、これからも見守って行きたい劇場である。

(本稿を書くにあたり、弥勒忠史『イタリア貴族養成講座』(集英社新書)を参考にしました)

      ◇    ◇    ◇

劇場公式サイト

http://www.teatrocomunaleferrara.it

筆者プロフィル

 加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「音楽で楽しむ名画」(平凡社新書)。最新刊は「バッハ」(平凡社新書)。

公式HP

http://www.casa-hiroko.com/

ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」

https://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/

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