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オーケストラのススメ

~32~ 没後10周年の若杉弘~マエストロから教わったこと

若杉弘とケルン放送交響楽団(写真は1980年公演時のもの)=提供:MIN-ON

 若杉弘は、私が最も影響を受けた指揮者の一人である。私は、彼からオーケストラ音楽の聴き方や楽しみ方を学んだ。

 私が若杉のコンサートに初めて行ったのは、1977年2月の京都市交響楽団の定期演奏会。当時、私は京都の中学1年生だった。中学校でオーケストラ部に入った私は、オーケストラの演奏会に行きたかったものの、家族にクラシック音楽ファンはおらず、結局、一人でコンサートに通うようになった。

 その時のプログラムは、モーツァルトの交響曲第39番、R・シュトラウスのホルン協奏曲第2番(独奏:バリー・タックウェル)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」というものであった。変ホ長調プログラム。当時、私はそれが何を意味するのかはよく分からなかったが、同じ調性の作品を並べてプログラムを作る指揮者がいることが強く印象に残った(今から思えば、とても若杉らしいプログラミング)。

 次に私が若杉を聴いたのは、1977年12月の京響第200回定期演奏会だった。記念の演奏会に、若杉はマーラーの交響曲第3番を取り上げた。当時、京響では、ニクラウス・ウィスが首席指揮者を務めていたが、彼は日本にあまりいないので、若杉弘が首席客演指揮者に就いていた。若杉はその頃、ケルン放送交響楽団の首席指揮者に就任し、国際的にも注目されつつあった。マーラーの交響曲は、今でこそ、頻繁にコンサートにかけられるが、当時は珍しく、演奏されるだけで注目されるような存在であった。演奏時間100分に及ぶ大曲である第3番はそのときが京都初演であったに違いない。私にとっても、初めて聴くマーラーであった。バーンスタインのレコードで予習していったが、生の演奏会で聴くマーラーの第3番を長いとは思わなかった。むしろ、たいへん興味深く、当時中学2年生だったが、今でもそのときの演奏のことをよく覚えている。第3楽章の最後の盛り上がりで独唱者(若杉の妻、長野羊奈子が務めた)が登場したこと、つまり、楽章間ではなく、楽曲の雰囲気を損なわないタイミングで独唱者を登場させたこと、に驚いた。コンサートマスターの尾花輝代允の熱演やトロンボーンの戸上靖彦のソロも記憶に残っている。

 私にとって、何よりも意味深かったのは、マーラーの交響曲を生で体験したということ。それもいきなり第3番という彼の最長の作品であったということ。第200回定期ということで、ベートーヴェンの「第九」やマーラーなら「復活」などの選択肢もあったと思うが、あえて、マーラーの第3番を選んだ若杉に私は今でもとても感謝している。

 続いては、1978年7月の京響定期演奏会。ツェムリンスキーの「抒情交響曲」の日本初演だった。中学3年生の私は、その頃にはすっかりマーラー・ファンになっていたが、ツェムリンスキーの音楽は聴いたことがなかった(若杉が都響で「人魚姫」を日本初演するのはその11年後のこと)。当時、自分がツェムリンスキーの名前を知っていたかどうかの記憶も確かではない。おそらく、京響の聴衆のほとんどがツェムリンスキーの名前すら知らなかったと思う。それでも、上演できたのは、京響が京都市の直営オーケストラだったからに違いない。当時、演奏がお役所的なのはいただけなかったが、選曲に関してはあの頃の京響には地方自治体直営オーケストラならではの集客やコストをあまり気にしない大胆さがあった。前年のマーラーの交響曲第3番にしてもそうだった(マーラー・ブーム以前であったので、記念定期演奏会なのに満席にならなかった)。「抒情交響曲」はマーラーの「大地の歌」を思わせる、2人の独唱者を要する大作。そんな作品の日本初演に接することができたのは、若杉が京響にいたからにほかならなかった。そしてその録音が、後日、NHK・FMで全国放送されたのにも驚いた。

 若杉&京響では、もう一つ、日本初演を聴いている。1981年2月のシェーンベルクの「幸福の手」である。20分ほどの短いオペラ。作品自体はよくわからなかったが、メジャーな作曲家でも、日本で紹介されていないままの作品があることを知った。

 若杉は、定期演奏会以外の演奏会でも京響を振っていた。今では考えられないことだが、京響が市内の小学校や中学校の体育館に出向いて演奏していた「巡回コンサート」の指揮も執った。私の地元の京都市南区の中学校まで、当時ケルン放送響の首席指揮者も務めていたマエストロは来てくれた。そのとき取り上げたのは、オッフェンバックの「パリの喜び」などであった。市民相手の無料コンサートでも選曲がしゃれていると高校生ながら思ったものだ。また、夏には円山音楽堂での「土曜コンサート」(これも入場無料だった)の指揮台にも登壇した。ここでもマエストロは、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」全曲など、本格的なプログラムを聴かせてくれた。そのほか、1980年には京都にケルン放送交響楽団を連れて来た。このときはマーラーの交響曲第5番を聴いた。

 中学・高校生の私は若杉弘から本当にたくさん教わった。オーケストラのプログラミングには意味がある(意味を持たせることができる)ということ、マーラーの交響曲というまるで人生そのもののような音楽がこの世に存在するということ、クラシック音楽には知られていない素晴らしい作品が無尽蔵にあるということ、自分がまだ知らない世界があるということ、誰を相手にしても常に最高のものを提供しようとするのが本物のプロであるということ、本当に音楽が好き、舞台が好きとはどういうことか、などなどである。そして、それらの私への影響は、決定的であり、今も続いている。自分が京都で過ごした最も多感な中学・高校生時代と、若杉弘が京響で首席客演指揮者を務めていた時代とがまったく重なっていたのは、単なる偶然であるが、そのめぐり合わせに感謝するほかない。

 大学生になって、東京に暮らすようになった私は、東京都交響楽団、NHK交響楽団、東京室内歌劇場、びわ湖ホール、新国立劇場などでのマエストロの活躍を引き続き楽しんだ。その中にはサントリーホールでのツェムリンスキー、シュレーカー、新ウィーン楽派の作品と組み合わせた「マーラー・ツィクルス」やメシアンと組み合わせた「ブルックナー・ツィクルス」などもあった。そのほか、私は、以下のような若杉弘の指揮による日本初演や世界初演を聴くことができた。

 松村禎三「沈黙」、武満徹「精霊の庭」、メシアン「彼方の閃光」、ブリテン「ヴェニスに死す」、ワーグナー「リエンツィ」、ヴェルディ「アッティラ」、プレヴィン「欲望という名の電車」、ヴェルディ「シチリア島の夕べの祈り」、R・シュトラウス「エジプトのヘレナ」、ヴェルディ「海賊」、R・シュトラウス「ダフネ」。

 今年は、若杉弘の没後10周年である。彼がかつて音楽監督を務めた都響が9月の定期演奏会でそれを記念する。音楽監督の大野和士が、ベルクのヴァイオリン協奏曲とブルックナーの交響曲第9番の指揮を執る。

筆者プロフィル

 山田 治生(やまだ はるお) 音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。

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