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加藤浩子の「街歩き、オペラ歩き」

オペラ発祥の地の歴史ある劇場が迎えた新しい時代〜フィレンツェ歌劇場

フィレンツェ歌劇場外観

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 フィレンツェくらい、いつ訪れても発見のある街はない。 

 有名な観光地ばかりなのに、ちょっと入ると見慣れない光景にぶつかる。前も来たけどもう一度、とふらりと入ってみた教会で、見落としていたものに次々と出会う。こんなものがここにあったかしら? と首をかしげながらあっという間に時間が過ぎる。そんな経験をさせてくれる街は、ほんとうにまれだ。

フィレンツェのシンボル、大聖堂

 この春、久しぶりにフィレンツェを訪れた時もそうだった。

 たとえば、旧市街の北の端にあるサン・マルコ美術館。15世紀の前半にドメニコ派の修道院として完成された建物で、ルネッサンスを代表する聖職者画家、フラ・アンジェリコが暮らし、数々の作品を描いた場所として知られる。フラ・アンジェリコの名前を知らなくとも、彼の代表作である「受胎告知」を見た覚えのある方は多いのではないだろうか。サン・マルコ修道院には、「受胎告知」をはじめ多くの傑作が残されているが、その一部は僧坊の壁に描かれたもので、それを眺めながら修行した修道僧の生活もしのばれる。宝石のような作品に出会える割にいつもすいていて、お気に入りの場所だ。

 いつも真っ先に2階にある「受胎告知」を見に行き、それでまず満足してしまうのだが、今回は違った。修道院の1階の旧宿泊所に展示されていた、「リナイオーリの祭壇画」に心を奪われてしまったのだ。聖母のまとうバラ色と青(聖母の色)の華麗な色彩、優雅なドレープ、そして何より、枠を飾る奏楽天使の豊かな表情に圧倒された。彼らの奏でる音楽が聴こえてきそうな甘美な息遣いが、そこにあった。

フラ・アンジェリコの名作、受胎告知
「リナイオーリの祭壇画」に描かれた聖母子

 オペラをちょっとかじったことがあるひとなら、オペラ発祥の街としてフィレンツェを記憶している方も少なくないだろう。現存する最古のオペラ「エウリディーチェ」は、1600年、フィレンツェのピッティ宮殿で初演された。メディチ家のマリア(フランス語読みマリー)と、フランス国王アンリ4世の結婚式の出し物として上演されたのだが、未来の夫はその場にいなかった。そもそもが、破産同然だったフランス王国が、メディチ家の懐をあてにしての政略結婚。一国の経済危機を救ってしまうのだから、メディチ家の財力がどれほど桁外れだったか想像がつく。

 ただし結婚生活は不幸だった。女たらしだった夫は、マリーとの間に夫婦の義務として6人の子供をもうけたものの、心はいつもほかの女性にあった。夫の死後、マリーは王位についた息子と対立して追放され、困窮のうちに生涯を終えている。

 婚姻は破綻したが、オペラは残った。この場に居合わせた可能性が高い作曲家クラウディオ・モンテヴェルディは、その7年後にオペラ史上最初の傑作とされる「オルフェオ」を、宮廷楽長をつとめていたマントヴァの宮廷で上演している。

 オペラ誕生の場所ピッティ宮殿もまた、現在は美術館になっている。ラファエッロをはじめ多くの有名画家のコレクションは、まばゆいばかり。これもフィレンツェならではである。

現存する最古のオペラが上演されたピッティ宮殿

 現在のフィレンツェ歌劇場は、メディチ家お抱えならぬ「市立」の劇場である。開場は1862年。1933年に名指揮者ヴィットリオ・グイが、知られざるオペラの上演を目的に「五月音楽祭」を創設し、これがフィレンツェ歌劇場の看板になる。そのため「フィレンツェ市立劇場」という名前のほかに、「五月音楽祭劇場」と呼ばれてもいる。1969年には弱冠28歳のリッカルド・ムーティが音楽監督に抜擢(ばってき)され、語り草になる数々の名演を残して、イタリアを代表する劇場へと成長した。

 この劇場は「フィレンツェ歌劇場」の名前で来日も重ねており(以下本稿では「フィレンツェ歌劇場」の名称を使用する)、初来日を果たした1996年には、当時の音楽監督だったズービン・メータの指揮のもと、マリエッラ・デヴィーアとエディタ・グルベローヴァというベルカントの名歌手2人がダブルキャストで「ルチア」の主役を歌い、大評判になった。その後何度か来日しているが、不幸なことに、2011年3月の来日の真っ最中に東日本大震災が起こってしまった。震災の2日後の3月13日に「トスカ」で開幕したものの、その後ツアー一行は「フィレンツェ市からの退去命令」により帰国してしまったのである。後味の悪い幕切れになってしまったのはいなめず、今後の来日の予定もないのは残念だ。

アルノ川にかかるベッキオ橋

 だが今回の訪問では、フィレンツェ歌劇場が新しい時代を迎えたことを確かめることができた。2011年に完成し、2014年から本格的にオペラのシーズンが行われるようになった新しい劇場で、長く音楽監督をつとめたズービン・メータ(現在は終身名誉指揮者)に代わって、今年から音楽監督に就任したファビオ・ルイージのもと、意欲的な公演が行われている現場を目撃できたのである。

 鑑賞した演目は、アリベルト・ライマンの「リア」。シェイクスピアの大悲劇「リア王」の物語にもとづき、クラウス・H・ヘンネベルクが台本を書き下ろして1978年に初演された、20世紀オペラの名作だ(ドイツ語)。シェーンベルクが開拓した独特の朗唱法であるシュプレッヒゲザングや、トーン・クラスター(房状和音)といった20世紀ならではの書法を駆使して、きわめて現代的な親子の悲劇である「リア王」の物語を痛切かつコンパクトに表現している。

「リア王」カーテンコール=5月2日・フィレンツェ歌劇場

 今年の5月2日に行われた公演は、五月音楽祭の開幕公演であると同時に、本作の記念すべきイタリア初演となった(カリスト・ビエイト演出のパリ・オペラ座のプロダクション)。本役を得意とするボー・スコウフスが演じたリア王は「狂気」を鮮明に印象づけ、エドガーを演じたアンドリュー・ワッツはじめほかのキャストも高い水準。ルイージの指揮は、鋭利な面が際立ちがちな音楽に人間味を添え、「人間」の劇としての「リア」の側面を伝えてくれた。壁に使われた梨の木のおかげで、温かみのある音響が評判となっている1800席の新しい劇場も、ルイージの音楽づくりには悪くない環境だったように思う。これからのフィレンツェ歌劇場に注目していきたい。

フィレンツェ歌劇場客席

 ところで、これまで使われていた旧劇場は、2000席というサイズの大きさや、音響のデッドさであまり評判がよくなかったが、筆者には思い出の多い劇場である。2003年にはメータが指揮した「オテロ」で、椅子の背にたたきつけられるような衝撃を受けたし、2012年にはマリエッラ・デヴィーアが主役を演じた「アンナ・ボレーナ」で、オーケストラの組合のストライキのため、ピアノ伴奏でオペラ全曲を鑑賞するというかつてない体験をした。装置も衣装もすべてそろい、指揮者も歌手もいるのにピットにはピアノが2台。開演前にはこの事態を招いた女性総裁のおわびの言葉があったが、客席のあちこちから彼女めがけて「恥を知れ!(vergogna!)」という言葉が放たれたのも鮮烈だった。しかしデヴィーアをはじめ歌手たちの意気込みはすさまじく、幕切れのデヴィーアのアリアは忘れがたい記憶として心に焼きついている。

 オペラは生きている。よくも悪くも、現場での体験にまさるものはない。

    ◇    ◇    ◇

劇場公式サイト

https://www.maggiofiorentino.com/

筆者プロフィル

 加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「音楽で楽しむ名画」(平凡社新書)。最新刊は「バッハ」(平凡社新書)。

公式HP

http://www.casa-hiroko.com/

ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」

https://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/

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