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イタリア・オペラの楽しみ

8年ぶりの日本公演を成功させたボローニャ歌劇場の現在

香原斗志

第1幕フィナーレ、左からバジリオ、バルトロ、フィガロ、アルマヴィーヴァ、ベルタ、ロジーナ=ボローニャ歌劇場<セヴィリアの理髪師>福岡シンフォニーホール公演2019年6月26日 (C) 椎原一久

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 8年ぶりに行われたボローニャ歌劇場日本公演が成功裏に終了した。前回、2011年9月の公演は、予期せぬ不幸に見舞われた。最大の原因は東日本大震災で、フルヴィオ・マッチャルディ総裁は、当時をこう振り返る。

「多くの人が原発事故のために日本に行くのを怖がって、2人の大テノール、フローレスとカウフマンまでがキャンセルしました。主催のフジテレビからは“公演自体を取りやめたい”と言われました。でも、いまさら無理。“立派なテノールを探すから”と伝え、(『カルメン』は)カウフマンの代わりにマルセロ・アルバレス、(『清教徒』は)フローレスの代わりにセルソ・アルベロを呼び、よい結果を残せました」

 つけ加えれば、「エルナーニ」のタイトルロールに予定されていたサルヴァトーレ・リチートラは、来日直前に事故で他界した。総裁はこう感想を漏らす。

「大歌手に頼った引っ越し公演は困難を伴うと知らされました」

 その点、今回は、大阪での「セビリャの理髪師」で、「リゴレット」のタイトルロールを歌うアルベルト・ガザーレが、25年ぶりに代役でフィガロ役を披露したというむしろうれしい誤算を除き、キャンセルがなかった。また、大スターではないが芸術的水準が高い一流のソリストと、作品を知り尽くした適切な指揮者によって、高い水準の舞台が披露された。

すべてが高次元でバランスされた「セビリャの理髪師」

 「セビリャの理髪師」は日本ではめったに聴けない水準の極上のロッシーニ。私は3月20日にボローニャで同じキャストによる上演を鑑賞していたが、アンサンブルも演技も一段とこなれていた。

 歌手はアルマヴィーヴァ伯爵のアントニーノ・シラグーザが圧巻。今年55歳とは到底思えない明るくみずみずしい声で、ピアニッシモとアジリタがさえる。一般的にはロッシーニを歌うのが困難になる年齢で、以前よりも若々しい声を披露するのだから驚かされる。フィナーレの大アリアの後で拍手がやまず、東京の最終日はアンコールに応えたので、楽屋で驚きを伝えると、「僕しかできないよ」と自信満々だった。

第1幕のフィガロとアルマヴィーヴァの二重唱=ボローニャ歌劇場<セヴィリアの理髪師>福岡シンフォニーホール公演2019年6月26日 (C) 椎原一久

 ロベルト・デ・カンディアのフィガロも、シラグーザに引けをとらない。巨軀(きょく)だが身のこなしはシャープ。歌も同様で、柔らかい声がきれいに流れ、細やかなニュアンスが加わる。ロジーナのセレーナ・マルフィはアジリタにやや難はあるが、深いビロードのような声に高い価値がある。秀逸だったのはバルトロのマルコ・フィリッポ・ロマーノで、30代とは思えない老け役への化け方で、天性のブッフォの才能がはじけた。バジリオのアンドレア・コンチェッティも水準以上だった。

 ソリスト全員がイタリア人だったので、レチタティーヴォで言葉の美しさが光った。また、アンサンブルが常に魅力的だった。各人の動きが音楽に見事に重なったのは、瀟洒(しょうしゃ)な舞台装置を使い、ロッシーニの音楽の洒脱(しゃだつ)さとかみ合った動きを導入した演出家、フェデリコ・グラッツィーニの手柄でもあろう。指揮は、サンクトペテルブルクのマリインスキー歌劇場でのイタリア・オペラを任されているフェデリコ・サンティ。故アルベルト・ゼッダの薫陶も受けており、上等のスプマンテのように心地よく泡立つ音楽作りだ。すべてが高次元でバランスされた極上の「セビリャの理髪師」であった。

象徴で魅せる舞台でスター歌手が競演した「リゴレット」

 一方、「リゴレット」は各歌手の妙技が公演を盛り上げた。指揮のマッテオ・ベルトラーミは「批判校訂版」のスコアを使う。作曲家の意図を極力再現した批判校訂版は、伝統的な「リゴレット」の演奏とくらべ、強弱やニュアンスが細かく指定されている。ただしベルトラーミは、自分は原理主義者ではなく「慣習的に歌われる高音のすべては排除しない」と明言していた。

第1幕、左からジルダ、ジョヴァンナ、リゴレット (C)CBC/木村一成

 ボローニャでは、ベルトラーミは速度と強弱の対比を明確にし、歌手にもその流れに沿う歌唱を求めていたが、日本では良くも悪くも手綱を緩めたようだ。タイトルロールのガザーレは、ボローニャでの端正な歌にくらべると、時に激しく表現した。本人に聞くと「日本のホールの大きさと日本人の趣味に合わせた」という。今、ヴェルディを歌うバリトンでは世界有数のガザーレは、端正に歌っても聴き手は納得したと思うが、力強く歌うことで日本の聴き手に訴求できたなら、それも認めなければなるまい。

 マントヴァ公爵のセルソ・アルベロは、声のやわらかな用い方、フレージングの美しさが秀逸で、圧倒的な超高音もある。音楽的に理想のマントヴァ公爵だ。3月のボローニャでの公演には参加しなかったため、ベルトラーミのテンポと合わないところもあったが、この声を味わえた幸福感は代えがたい。ジルダのデジレ・ランカトーレは「ジルダは心を閉ざした箱入り娘ではなく、恋に心を開いた少女」だと訴える。彼女の声は質量を増しつつあるが、自身の解釈に沿った説得力あるジルダを聴かせた。

第2幕、左からマントヴァ公爵、マッダレーナ、ジルダ、リゴレット (C)CBC/木村一成

 アレッシオ・ピッツェックの演出は賛否が分かれたようだ。彼の演出をひもとくカギは「象徴」だと思う。第1幕の酒宴の場面に置かれた大きなベッドは公爵の好色の象徴で、ジルダの家が簞笥(たんす)なのは箱入り娘の象徴だ。第2幕、生気を失ったモンテローネ伯爵の娘が舞台上にいるのは、公爵の宮殿に囲われた女性の象徴で、その父が着ている白い服は無実の罪の象徴。第3幕、ジルダが男装するように着せられたコートを脱いで下着姿で殺されるのは、公爵に恋した無垢(むく)な女として死ぬことの象徴ではないか。また、刺されたジルダが自分で袋から飛び出すのは、まだ生命があることの象徴だろう。

 そして舞台は常に、現実のマントヴァ公爵が愛人のために建てた宮殿内の壁画に縁どられた。これがオペラ「リゴレット」自体の象徴であるのは言うまでもない。上記の舞台表現はテキストを読み込んだ結果のものであり、好みはあっても、演出家の独善による読み替えとは一線を画すことは明記しておきたい。

 一方、4月28日にボローニャで鑑賞した「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」は、音楽的には優れていたが演出には疑問符がついた。

 ルイーザ・タンバロのヴィオレッタはベルカントの表現にたけた若き逸材で、アルフレードのフレンチェスコ・カストーロも青年役にピタリの歌唱。シモーネ・デル・サヴィオはここ数年で聴いたなかでも指折りのノーブルなジェルモンだった。それをヴェルディの意図をきめ細かく再現しながら歌手の呼吸に敏感に呼応する、レナート・パルンボのすぐれた指揮が束ねた。

オークション会場での「乾杯の歌」。中央でグラスを持つのがタンバロ(右)とカストーロ (C)Andrea Ranzi-Studio

 しかし、アンドレア・ベルナールの演出は、第1幕は現代のオークション会場で、ヴィオレッタは淫靡(いんび)な絵をオークションにかける担当者か。第2幕は、引っ越しの荷物もまだ片づかないアパートの地下の一室で、結局、ヴィオレッタは肺病患者でさえない。残念ながら演出家の独善としか思えなかったが、政府の助成金が減っているなか、劇場としても新しい試みによって客を増やそうと必死なのだろう。

 いま、イタリア・オペラが迷路に入り込まないように監視が必要な時代であるのも、たしかなようである。

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。新刊「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。「La Valse by ぶらあぼ」に「いま聴いておきたい歌手たち」、Webマガジン「ONTOMO」に「オペラに学ぶ『禁断の愛の学校』を連載中。

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