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加藤浩子の「街歩き、オペラ歩き」

ベルリンの東で誕生した「演出家の劇場」〜ベルリン・コーミッシェ・オーパー

ベルリン・コーミッシェ・オーパーの外観

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 「見てごらん、犬がいるだろう」

 老人はそういって、窓の向こうを顎(あご)で指した。

 夕暮れの薄闇のなかに、どこまでも続いている「壁」の影。その際で、たしかに何かが動いている。「壁」を越えようとする人間を見つけるための「犬」だ。

 1988年の夏。資料調べのために旧東独に足を運んだ筆者は、現地で会ったひとたちを通して、冷戦の実態を肌で感じることができた。東ベルリンに住むある老夫婦は、「ベルリンの壁」によって移動の自由を奪われたつらさを、初対面の外国人である筆者にめんめんと打ち明けた。秘密警察の影におびえ、同国人になかなか心を開けないからだとわかったのは、話が始まってしばらくたってからである。

 老人はその1年後に起こった「壁」の崩壊と、2年後に行われたドイツ再統一を見届けて亡くなった。老人の長男のオルガニストは、今でもいい友人だ。残念なのは、東ベルリンの文化生活を垣間見る余裕がなかったことである。情けない話で恐縮だが、国境駅で銃を手にした兵士がゆききするのを見ただけで震え上がり、オペラどころではなかったというのが本音だ。当時の東側では、刺激的なオペラハウスや、当時は「ベルリン交響楽団」の名前で活動していた現「ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団」のような名オーケストラもあったのだが。

ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の本拠地、コンツェルト・ハウス大ホールの客席

 ベルリン・コーミッシェ・オーパーは、ベルリン州立歌劇場とならんで旧東ベルリンを代表するオペラハウスである。プロイセン王国の宮廷歌劇場がルーツの州立歌劇場が、幅広いレパートリーをスターをそろえて原語上演する正統的なオペラハウスであるのに対し、コーミッシェ・オーパーはどんなレパートリーでもドイツ語に訳して上演し、劇場専属の歌手が出演する、より庶民的なオペラハウスだ。正統派のオペラハウスと庶民的な劇場が並存しているのは、大都市ではいたってふつうのことで、ウィーンなら国立歌劇場とフォルクスオーパーがそれに当たる。けれどコーミッシェ・オーパーが個性的なのは、ひとりの演出家によって創設され、演出家の時代を切り開く劇場になったことである。それも、芸術が政権のプロパガンダに利用されがちだった旧東独で始まったことが興味深い。

 ベルリン・コーミッシェ・オーパーは、第二次世界大戦直後の1947年、オーストリア出身の演出家であるヴァルター・フェルゼンシュタインによって創設された。フェルゼンシュタインが唱えたのは「ムジークテアター」と呼ばれる、オペラの「演劇」としての側面を重視する考え方である。現在では演出の重要性は当然になっているが、その頃はまだまだスター歌手の「歌」が中心で、演技は歌手にほぼ丸投げされるような上演が多かった。フェルゼンシュタインはリハーサル期間を長く取り、歌手に細かく演技づけをし、演劇における演出家どうようオペラの舞台を監督した。コーミッシェ・オーパーは、今では当たり前になっているこのような「演出」の、震源地のひとつだったのである。フェルゼンシュタインの門下からは大勢の演出家が巣立ち、現在一部で主流になっている「レジーテアター」(作品に対する演出家の「解釈」をより徹底させる考え方。いわゆる「読み替え」もよく行われる)を担う人材も多く出ている。

東ベルリンの名所のひとつ、フランス大聖堂

 1975年にフェルゼンシュタインが亡くなってからも、コーミッシェ・オーパーは「演出家の劇場」であり続けている。ヨアヒム・ヘルツ、ハリー・クプファー、アンドレアス・ホモキと続くコーミッシェ・オーパーの総裁の系譜は、そのままドイツ語圏を代表する人気演出家の系譜だ。現在の総裁は、初めてドイツ語圏外から迎えられたユダヤ系オーストラリア人のバリー・コスキーだが、目下世界で一番売れっ子の演出家のひとり。主役たちをワーグナーに置き換えたバイロイト音楽祭の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、大階段を唯一の大道具に、出演者たちが躍動感あふれる演技を繰り広げるロイヤルオペラの「カルメン」など、読み替えを入れつつも過激すぎず、舞台としての美しさも備えたプロダクションで、多くのファンや専門家の支持を得ている。昨春、コーミッシェ・オーパーが20年ぶりに4度目の来日を果たした時は、コスキー演出の「魔笛」が上演され、プロジェクションマッピングを駆使した刺激的な舞台が話題となった。

コーミッシェ・オーパーのホワイエ

 一方でコーミッシェ・オーパーは、有望な若手指揮者の登竜門でもある。現ベルリン・フィル音楽監督のキリル・ペトレンコや、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者としても活躍した阪哲朗などが、コーミッシェ・オーパーでポストを持った。演目に関しても意欲的で、近年人気のバロック・オペラをいち早くとりあげたりもしている。

 この6月、十数年ぶりに訪れたコーミッシェ・オーパーで観(み)たのも、バロックを代表する作曲家ヘンデルの作品だった。

 演出は、コーミッシェ・オーパーの3代目総裁をつとめたハリー・クプファー。今年84歳になるオペラ界の大御所で、日本でもベルリン州立歌劇場の来日公演「ニーベルングの指環」、新国立劇場「パルジファル」の演出などでおなじみだ。今回演出した「インドの王、ポーロ」はかつて演出助手をつとめた作品で、一度自分で演出してみたかったという。

 「インドの王、ポーロ」は、紀元前4世紀のアレクサンダー大王のインド遠征を背景にした物語だが、クプファーはこれを英国統治時代のインドに置き換えた。アレクサンダー大王はイギリス軍の司令官、インド王ポーロとその妻マハーマヤ(台本では「クレオフィーデ」)はインド側の人間だ。舞台はジャングルで、衣装は迷彩服とサリー。ヘンデル時代のオペラは、古代の物語であっても、創作当時の政治状況の暗喩として台本が作られたそうなので、それを考えると現時点で「読み替え」を行うのは一理あるのかもしれない。

ジャングル(左)とイギリス国旗をシンボライズした、「インドの王、ポーロ」各幕の緞帳(どんちょう)

 オーケストラはピリオド仕様で、テオルボやバロック・ギターも参加。若手指揮者のヨルク・ハルベックは自ら通奏低音も担当し、溌剌(はつらつ)としつつバランス感覚に富んだ音楽を披露した。台本のイタリア語が現代ドイツ語に訳されていたのは当然だが、初演の時はカストラートが歌ったポーロ役がバリトンに移されていたのも、解釈の自由度が高いコーミッシェ・オーパーらしいやり方だった。

 1270席の客席は、ドレッシーからカジュアルまで思い思いの服装の観客でほぼ満員。ホワイエでは飲み物が振る舞われ、ヘンデルのトリオ・ソナタの生演奏も。暗い東独で気を吐いていたオペラハウスは、活気にあふれた明るい冒険の場として、いきいきと輝いていた。

「インドの王、ポーロ」カーテンコールより

    ◇    ◇    ◇

劇場公式サイト

https://www.komische-oper-berlin.de/en/

筆者プロフィル

 加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「音楽で楽しむ名画」(平凡社新書)。最新刊は「バッハ」(平凡社新書)。

公式HP

http://www.casa-hiroko.com/

ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」

https://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/

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