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アンコール

「バイロイト音楽祭2019」リポート(上) 歌劇「タンホイザー」新制作上演

快楽の異空間ヴェーヌスベルクをマイクロバスで移動するサーカス団(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

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 ワーグナー作品上演の総本山、ドイツ・バイロイト音楽祭が7月25日から8月28日までの間、開催された。今年の新制作は「タンホイザー」。前衛的な舞台作りで注目を集めるドイツ出身の若手、トビアス・クラッツァーが演出を、指揮は同音楽祭初登場となるロシアのカリスマ、ヴァレリー・ゲルギエフが担当した。リポート初回はこのステージを振り返る。(宮嶋 極)

【バイロイト音楽祭2019 ワーグナー:歌劇「タンホイザー」新制作上演】

①演出について

 演出意図の考察については、梅津時比古特別編集委員による「新・コンサートを読む」の原稿が既に当サイトにもアップされているので、こちらをご覧いただくとして筆者は舞台の内外で、表面上何が行われていたのかをリポートしたい。

マイクロバスに乗るピエロ(タンホイザー=ステファン・グールド)とダンサー(ヴェーヌス=エレナ・ツィトコーワ)(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 クラッツァーによる読み替えは快楽の異空間ヴェーヌスベルクをマイクロバスで移動するサーカス団に、芸術と純愛、そして信仰を象徴するヴァルトブルクの殿堂をバイロイト祝祭劇場に置き換えることが基本コンセプトとなっている。序曲の開始とともに紗幕(しゃまく)に精緻な映像が投射され舞台上の登場人物たちの動きと見事なまでにシンクロしていく。

 サーカス団のメンバーは「ドラァグクイーン(女装の男性によるパフォーマンス、もとは男性の同性愛者によるサブカルチャーの一種)」のル・ガトー・ショコラ、小説「ブリキの太鼓」に登場するオスカル(3歳で身体的な成長が止まった成人男性)、私生活に失敗した元歌手のピエロ(タンホイザー)、そして一行を率いるダンサーの女性リーダー(ヴェーヌス)の4人。彼らは「意志における自由 行為における自由 快楽における自由」という標語を掲げ、各地でこれを宣伝して回っている。これは「タンホイザー」の初演後に勃発したドイツ三月革命に参加したワーグナーが、自らの基本理念として発表したものである。つまり30歳代のワーグナーが抱いていたアナーキーなまでの革命的な思想を象徴する言葉としてこの演出におけるキーワードとなっているのである。

「意志における自由 行為における自由 快楽における自由」という標語を掲げるル・ガトー・ショコラ(ル・ガトー・ショコラ)(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 途中、一行を乗せたマイクロバスがバイオガス工場の前を通過すると、管理人が工場の看板に「不評につき閉鎖」と書かれた紙を貼っている。タンホイザーが車の窓から帽子を突き出して「バイバイ」のジェスチャー。これは2011年から14年までバイロイトで上演されたセバスティアン・バウムガルテン演出による前回の「タンホイザー」をちゃかしたもの。物語をバイオガス工場での出来事に読み替えていた。バイロイトに通うワグネリアンであれば、思わずクスリとさせられるシーンである。

 ハンバーガーとガソリンを盗んだところを警察官に見つかったため、ヴェーヌスが警察官をバスでひき殺してしまう。これにショックを受けたピエロ(タンホイザー)は、走るバスから飛び降り、サーカス団を抜けて元居たバイロイトに戻る。ここまでが序曲から第1幕第1場(ヴェーヌスベルクの場面)までに展開される視覚的要素。第2場の牧童は通行人の若い女性に、第3場以降の領主へルマンとチューリンゲンの騎士たちは、バイロイト音楽祭の出演者とスタッフに、そして巡礼のキリスト教徒は音楽祭の観客・聴衆に置き換えられている。バイロイトを訪れるワグネリアンを巡礼に例えることもあり、これも面白い。タンホイザーを追いかけてきたマイクロバスが劇場の前庭に到着したところで第1幕が終わる。休憩となり劇場の外に出てみるとなんと! サーカス団を乗せたマイクロバスが実際に停車しており、彼らが池のほとりでパフォーマンスを繰り広げていた。

劇場の外でパフォーマンスするサーカス団=宮嶋極撮影

 第2幕は物語の中のバイロイト祝祭劇場で繰り広げられる劇中劇。プロセニアムを上下2分割し、下半分はバイロイト祝祭劇場の舞台での実演。上半分には劇場内外におけるサーカス団の動きがライブと録画を巧みに組み合わせた形で映し出される。下は劇中劇だけに今ではほとんど観(み)ることのできない「タンホイザー」本来の台本に忠実な舞台作りで、衣装も領主やお姫様という雰囲気。歌合戦開始前、上の映像を見るとヴェーヌス率いるサーカス団が2階のバルコニーにはしごを掛けて劇場の中に侵入してくる。その際、ヴェーヌスは例の言葉「意志における自由…」と書かれた垂れ幕をバルコニーに掲げる。休憩時に劇場の前庭でサーカス団の姿を実際に見ているだけに、彼らが本当に侵入して来たようなリアリティーがあった。

第2幕、物語の中のバイロイト祝祭劇場で繰り広げられる劇中劇。下半分はバイロイト祝祭劇場の舞台での実演。上半分には劇場内外におけるサーカス団の動きがライブと録画を巧みに組み合わせた形で映し出される(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 ヴェーヌスは4人の小姓のひとりを襲ってその衣装を強奪し舞台に紛れ込む。歌合戦でタンホイザーが「ヴェーヌスを讃(たた)える歌」を歌うところで、彼女は強奪した衣装を脱ぎ捨て、ショコラとオスカルの2人も乱入し舞台は大混乱に陥る。上の映像に本物のカタリーナ・ワーグナー総裁が現れ、警察に通報。警官隊が駆け付けサーカス団を逮捕したところで幕。休憩で外に出ると劇場のバルコニーには本当にはしごと垂れ幕が掛けられていた。

第2幕終了後バルコニーにはハシゴと垂れ幕が

 第3幕は廃車となってしまったマイクロバスで物語が進行する。エリーザベトは、ピエロの衣装でタンホイザーにふんしたヴォルフラムと肉体関係を結び自殺する。彼女はピエロがタンホイザーではないことを知った上で自ら彼に身を委ねる。二重構造で進行していた登場人物たちの〝真実〟が、交錯したところでエンディングを迎える。この二重構造はワーグナー自身の理想と現実と読み替えることも可能であろう。全体的にコミカルなタッチとなってはいるものの、よく練られたつくりとその深層にあるテーマの掘り下げには、感心させられるものがあった。

②歌手について

 さまざまな要素を複合的に組み合わせたステージだけに歌手の動きが多く、演出家の要求に応えた上で、バイロイトにふさわしい歌唱水準を維持することにはかなりの苦労があったはずだ。それが最も大きかったのはヴェーヌスを演じたエレナ・ツィトコーワであろう。従来のヴェーヌスの妖艶なイメージとは対極にある役作りが求められ、活動的な若き革命活動家のような雰囲気をしっかり表出。スリムで小柄な身体ながら声量に不足はなく、安定した歌唱を聴かせてくれた。ピエロ姿で登場したタンホイザー役のステファン・グールドも複雑な演技をこなしながら、起伏に富んだ表現でこのプロダクションにマッチした新たなタンホイザー像を描き出していた。

 終演後に最も多くの喝采を集めたのはバイロイト初登場のリーゼ・ダヴィッドセン(エリーザベト)であった。現地の新聞等には「10年に1人の逸材」などと絶賛する評が掲載されていたが、実際、柔らかく伸びのある声と独特の存在感で観客・聴衆を魅了していた。筆者は実演を聴いたことはないが、録音などの印象から往年の名歌手ビルギット・ニルソンの若い頃、こうした声だったのでは、と考えたりもした。マルクス・アイヒェ(ヴォルフラム)、シュテファン・ミーリンク(領主ヘルマン)ら他の歌手たちも水準を十分に満たす歌唱と演技を披露していた。

最も多くの喝采を集めたエリーザベト役のリーゼ・ダヴィッドセン(右)とオスカル(マンニ・ラウデンバッハ)(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

③音楽について

 もうひとつの注目はロシアのカリスマ、ゲルギエフのバイロイト初登場。筆者が取材したのは8月13日の公演で、この日はゲルギエフの身内に不幸があり、クリスティアン・ティーレマン(バイロイト音楽祭音楽監督)が急きょ〝ピンチヒッター〟を務めた。音楽祭のプレスオフィスなどによるとティーレマンによる〝救援〟が決まったのは当日の朝のことだったという。当然、リハーサルをする時間はなく文字通りのぶっつけ本番。それでも彼の棒が生み出す求心力と豊富な経験に裏打ちされた音楽性は素晴らしいものがあり、ステージ上の歌手と合唱、そしてオーケストラが混然一体となって織りなす圧倒的な演奏が繰り広げられた。オーケストラ・メンバーのひとりは「ティーレマンの集中力はすさまじく、今夏一番の素晴らしい出来」と興奮気味に語っていた。

 残念なことに現地ではゲルギエフに対する評判はあまり好意的なものではなかった。それは彼の音楽作りに起因するものではなく、過密なスケジュールによりリハーサルが十分に行われなかったことがメディアやネットで報じられたのが理由とみられる。バイロイトの期間中、ヴェルビエ音楽祭(リヒャルト・シュトラウス:影のない女ほか)、PMF(ショスタコーヴィチ交響曲第4番ほか)、ザルツブルク音楽祭(ヴェルディ:シモン・ボッカネグラ)を掛け持ちし、世界を飛び回るような日々。オーケストラ・メンバーからは「明らかに準備が足りない様子で、本番でもスコアに目がクギ付けになっていた」などの声が聞こえてきた。

 NHK・BSで放送された初日の模様を見てみると第1幕の終盤、タンホイザーら7人によるアンサンブルを締めくくる全音符を伸ばした後、オーケストラのトゥッティ(全奏)に移る場面で、歌手たちはそのタイミングを計るため指揮者に視線を向けるが舞台上に注意を払っていなかったのか、歌手たちの視線が一瞬泳ぎ、必要以上に音符が伸ばされていく。結局グールドが大きく手を振って伸ばしを打ち止め、そこにオーケストラがなだれ込むように続いていったことが明らかに見て取れた。

 かつてダニエル・バレンボイムがバイロイトで「ニーベルングの指環」の指揮を担当した時、シェフを務めるベルリン州立歌劇場のシーズン終了と同時にバイロイト入りし主要な歌手と合宿してまで入念に準備したことは有名である。バイロイトとはそうしたところなのである。来年の「タンホイザー」の指揮について、アクセル・コーバーに交代することが音楽祭開催中に発表された。これも異例である。才能あふれるカリスマ、ゲルギエフといえども複数掛け持ちの慌ただしい中では、やはり本当の実力を発揮できなかったと言わざるを得ない。じっくり腰を据えて彼ならではのカリスマ性あふれる指揮で、バイロイトに新風を吹き込んでほしかった。

ル・ガトー・ショコラ(ル・ガトー・ショコラ)とオスカル(マンニ・ラウデンバッハ)の2人も舞台に乱入し大混乱(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

公演データ

【バイロイト音楽祭2019 ワーグナー:歌劇「タンホイザー」新制作上演】

 7月25日(木)、28日(日)、8月13日(火)、17日(土)、21日(水)、25日(日)

バイロイト祝祭劇場

指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ クリスティアン・ティーレマン(13日)

演出:トビアス・クラッツァー

美術&衣装:ライナー・ゼルマイヤー

ビデオ:マヌエル・ブラオン

照明:ラインハルト・トラウプ

合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ

領主ヘルマン:シュテファン・ミーリンク(英語表記ステファン・ミリング)

タンホイザー:ステファン・グールド

ヴォルフラム:マルクス・アイヒェ

ヴァルター:ダニエル・ベーレ

ビテロルフ:カイ・シュティーファーマン

ハインリヒ:ホルヘ・ロドリゲス・ノルトン

ラインマル:ヴィルヘルム・シュヴィングハンマー

エリーザベト:リーゼ・ダヴィッドセン

ヴェーヌス:エレナ・ツィトコーワ

牧童:カタリーナ・コンラーディ

4人の小姓:コルネリア・ラッグ

     :ルシーラ・グレイアム

     :アンネッテ・グートヤール

     :エレナ・ツィトコーワ

ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ

オスカル:マンニ・ラウデンバッハ

合唱:バイロイト祝祭合唱団

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

タンホイザー(ステファン・グールド)とエリーザベト(リーゼ・ダヴィッドセン)(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

筆者プロフィル

 宮嶋 極(みやじま きわみ)毎日新聞グループホールディングス執行役員、毎日映画社社長、スポニチクリエイツ社長を務める傍ら音楽ジャーナリストとして活動。「クラシックナビ」における取材・執筆に加えて音楽専門誌での連載や公演プログラムへの寄稿、音楽専門チャンネルでの解説等も行っている。

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