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アンコール

「バイロイト音楽祭2019」リポート(下)「ローエングリン」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

 今年のバイロイト音楽祭(7月25日~8月28日)の再演演目は「ローエングリン」(クリスティアン・ティーレマン指揮、ユーヴァル・シャロン演出)、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(フィリップ・ジョルダン指揮、バリー・コスキー演出)、「パルジファル」(セミョン・ビシュコフ指揮、ウーヴェ・エリック・ラウフェンベルク演出)、「トリスタンとイゾルデ」(クリスティアン・ティーレマン指揮、カタリーナ・ワーグナー演出)の4作品。バイロイト・リポート後編ではこのうち「ローエングリン」と「マイスタージンガー」のステージを振り返る。(宮嶋 極)

【バイロイト音楽祭2019 ワーグナー:歌劇「ローエングリン」再演】

エルザ(カミラ・ニールント)とバイロイト祝祭合唱団(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

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 昨年、新制作上演されたシャロン演出の「ローエングリン」。電力会社の技師のような題名役の姿が印象的だった演出面では目立った手直しや変化はなく、ティーレマンを中心とした音楽面でのブラッシュアップが際立つステージであった。バイロイト音楽祭では新制作したプロダクションを通常5年連続で上演し続ける(好評であればさらに上演が続いたり、逆に不評の場合は短縮されるケースも)。その間、演出・音楽の両面で手直しが繰り返され、完成度を高めていく。

 今年の「ローエングリン」で事前の注目を集めていたのは8月14日と18日の公演に人気ソプラノ、アンナ・ネトレプコがエルザ役でバイロイト・デビューを果たすことであった。ところが直前になって体調不良を理由にキャンセル。代役が前回の「ローエングリン」のプロダクション(2010年新制作、アンドリス・ネルソンス指揮、ハンス・ノイエンフェルス演出)で同役を演じ好評を博したアンネッテ・ダッシュとあって、ワグネリアンの間では逆に歓迎する声もあり大きな騒動に発展することはなかった。

エルザ(カミラ・ニールント=右)とブラバンドの貴族(ミヒャエル・グニフケ)(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 筆者が取材した8月11日の公演でエルザを演じたのはここ数年、バイロイトを支える中心的な役割を果たす歌手のひとりであるカミラ・ニールント。安定した歌唱力と豊かな演技力でエルザの弱さと悲哀を巧みに表出していた。昨年のアニヤ・ハルテロスに比べると、表現の繊細さが勝っており、よりエルザにふさわしい役作りがなされていた。

 題名役のピョートル・ベチャワは昨年からの好調を維持。伸びのある声を駆使して、このプロダクションならではの〝無機質な電力パワー〟を彷彿(ほうふつ)とさせるローエングリン像を描き出していた。

 敵役のオルトルートはエレナ・パンクラトヴァ。水準を満たす歌唱と演技ではあったのだが、昨年筆者が取材した日が名歌手ヴァルトラウト・マイヤーの同役ラストという記念碑的ステージであったため、あの時の渾身(こんしん)のパフォーマンスに比べるとどうしても色あせたように感じられたのは致しかたないことか。マイヤーのすごみのあるオルトルートを思い出してしまった。

オルトルート(エレナ・パンクラトヴァ)(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 特筆すべきはティーレマンの棒の下、歌手と合唱、オーケストラが混然一体となって織り成した濃密な音楽である。指揮者を軸に生み出された緊張感、集中力は素晴らしく、一分の隙(すき)もない音楽作りとはまさにこうしたものをいうのであろう。レジーテアター(演出主導のオペラ上演)全盛の昨今ではある(バイロイトはその元祖ともいえる音楽祭でもある)が、当夜の終演後、音楽から受けた大きな感銘は東京・春・音楽祭におけるイタリア・オペラ界の巨匠リッカルド・ムーティの「オペラは本来、指揮者が中心となって上演するものであって演出家が主導するものではない」との言葉を実感させてくれる瞬間でもあった。オペラ指揮者としてのティーレマンの存在感がひと回りもふた回りも大きくなったことは間違いないだろう。

 「ローエングリン」は合唱が重要な役割を果たす作品としても知られているが、バイロイト祝祭合唱団の雄弁さには目を見張るものがある。繊細さとダイナミックさを兼ね備えたこの合唱団の表現には他の追随を許さぬものがあり、時に全身の毛が逆立つほどの迫力を感じることもある。ちなみに今年初めてバイロイトを訪れ「ローエングリン」などを鑑賞した作家の村上春樹氏が「文藝春秋10月号」に特別寄稿した「この夏、ドイツでワーグナーと向き合って考えたこと 至るところにある妄想 バイロイト日記」にも、この合唱の素晴らしさが紹介されている。

【バイロイト音楽祭2019 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」再演】

第1幕冒頭のキリスト教の家庭礼拝(作品本来の設定は教会での礼拝)の場面(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 一昨年プレミエされた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は昨年に続いて、演出面でかなりの手直しが施されていた。コスキーによる「マイスタージンガー」は登場人物をリヒャルト・ワーグナーとその周辺の人々に読み替え、喜劇的な展開の中にもシリアスなメッセージを内包させていることなどから、比較的好評価を得ているプロダクションである。

 今年のステージでは各演者の演劇的な動きや表情付けがますます増強され、出演者たちの動きが一層細かく、そして活発になったように感じた。コスキーはニュルンベルクの靴職人で歌のマイスターでもあるハンス・ザックスをワーグナーに、その敵役で同市書記のベックメッサーを「パルジファル」の初演者としても知られるユダヤ人指揮者ヘルマン・レーヴィに読み替えている。第1幕冒頭のキリスト教の家庭礼拝(作品本来の設定は教会での礼拝)の場面で、ユダヤ教徒であるレーヴィにも無理やりひざまずかせる場面では、ワーグナーらによる強要ぶりがさらに執拗(しつよう)に繰り返されるように変更されていた。ちなみに実際のレーヴィも「パルジファル」の初演を前にキリスト教へ改宗して(させられて?)いる。

ミヒャエル・フォレ(ザックス、ワーグナー)とヨハネス・マルティン・クレンツレ(ベックメッサー、レーヴィ)(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 ミヒャエル・フォレ(ザックス、ワーグナー)とヨハネス・マルティン・クレンツレ(ベックメッサー、レーヴィ)の表情豊かな歌唱と演技は一昨年のプレミエ時から年を経るごとに磨き上げられているようで、2人の息の合ったやり取りは聴き応え、見応え十分の面白さがあった。

 第2幕は本来、夜のニュルンベルクの街の設定だが、このプロダクションでは第二次世界大戦後、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク国際軍事裁判の法廷を再現したセットを背景に物語が進行していく。プレミエ時は床一面に芝生が敷き詰められていたが、昨年からは芝生が撤去され法廷の床に第1幕で登場したワーグナー家の邸宅「ヴァーンフリート館」の家財道具の一部が廃品のように積み上げられるようになった。芝生から家財道具の廃品への変更は何を意味するのか、筆者は今年もコスキーによる変更の意図がいまひとつつかめなかった。終演後、再演演目でもないのにコスキーがカーテンコールに登場すると客席の一部からブーイングが浴びせられていた。

若き騎士ヴァルターを3年連続で演じたクラウス・フロリアン・フォークト(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 自由な発想で歌作りに挑む若き騎士ヴァルターは3年連続でクラウス・フロリアン・フォークトが演じた。彼は前回のプロダクションからずうっと、この役を務めており、その安定感は抜群。若き挑戦者の心の葛藤を余すところなく描き出していた。ヴァルターの恋人、エーファはプレミエの一昨年はアンネ・シュヴァイネヴィルムズ、昨年はエミリー・マギーで、今年はカミラ・ニールントに交代。彼女は「ローエングリン」のエルザ、そしてエーファと主役級2役を同時にこなすタフネスぶりを発揮。現地の報道によると「私はたくさんのステージをこなすことは決して苦にならない」と語っていたという。実際、連日の〝ハードワーク〟にもかかわらず、声がかすれるような場面は一切なく、余裕すら感じさせる見事な歌唱。さらにエーファはワーグナー夫人でフランツ・リストの娘であるコージマに読み替えられていたのだが、繊細なエルザとはまったく異なる人物像を的確に表現していたのも見事であった。ポーグナー(リスト)役のギュンター・グロイスベック、ダーヴィッド役のダニエル・ベーレ、マグダレーネ役のヴィープケ・レームクールら他の出演者も活発な演技をこなしながら安定した歌唱を披露していた。

 指揮はプレミエ以来、フリップ・ジョルダンが務めている。ワーグナーらしい重厚で壮大な響きを追求するのではなく、複雑に絡み合うライトモティーフ(示導動機)を明快に提示する現代的な音作りが今年も踏襲されていた。オーケストラの直接音が客席には届かないバイロイト祝祭劇場の特殊なアコースティックの中で、譜面の隅々に光を当てるような音楽作りを行うのは難しいことである。この点に限って言えば彼の非凡さは明らかなのであるが、今年気になったのは第3幕前半のように登場人物の内面を深く掘り下げてじっくり聴かせる場面でも、音楽がサラリと流れてしまい訴えてくるものが不足してしまうことである。3年目の今年は前年までに比べてもう一歩の踏み込みが欲しかったし、それが求められるのもバイロイトに連続して振る指揮者の宿命なのである。毎年同じでは詰まらないし、前述のティーレマンはもちろん、前回の「ニーベルングの指環」を指揮したキリル・ペトレンコも年を経るごとに演奏の質を向上させ観客・聴衆を圧倒していた。

 なお、来年は7月25日に「マイスタージンガー」(指揮はジョルダン)で開幕。「ニーベルングの指環」全4部作が新制作される。演出はドイツ語圏で頭角を現しているヴァレンティン・シュヴァルツ、指揮は日本フィル首席指揮者のピエタリ・インキネンが務める。他に「タンホイザー」と「ローエングリン」が再演される。

公演データ

【バイロイト音楽祭2019 ワーグナー:歌劇「ローエングリン」再演】

 7月26日(金)、29日(月)、8月3日(土)、7日(水)、11日(日)、14日(水)、18日(日) バイロイト祝祭劇場

指揮:クリスティアン・ティーレマン

演出:ユーヴァル・シャロン

美術・衣装:ネオ・ラウフ、ローザ・ロイ

照明:ラインハルト・トラウプ

合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ

国王ハインリヒ:ゲオルク・ツェッペンフェルト

ローエングリン:ピョートル・ベチャワ

エルザ・フォン・ブラバント:カミラ・ニールント/アンネッテ・ダッシュ(14、18日)

フリードリヒ・フォン・テルラムント:トマシュ・コニェチュニー/トマス・J・マイヤー(7日)

オルトルート:エレナ・パンクラトヴァ

式部官:エギリス・シリンス

ブラバントの4人の貴族:ミヒャエル・グニフケ

           :タンセル・アクゼイベク

           :マルク・ライハルト

           :ティモ・リーホネン ほか

合唱:バイロイト祝祭合唱団

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

【バイロイト音楽祭2019 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」再演】

7月27日(土)、31日(水)、8月6日(火)、10日(土)、24日(土)、27日(火)、

バイロイト祝祭劇場

指揮:フィリップ・ジョルダン

演出:バリー・コスキー

美術:レベッカ・リングスト

衣装:クラウス・ブルンス

照明:フランク・エヴァン

映像:レジーネ・フリーゼ

ドラマトゥルク:ウルリヒ・レンツ

合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ

ハンス・ザックス:ミヒャエル・フォレ

ファイト・ポーグナー:ギュンター・グロイスベック

クンツ・フォーゲルゲザンク:タンセル・アクゼイベク

コンラート・ナハティガル:アルミン・コラルチック

ジクストゥス・ベックメッサー:ヨハネス・マルティン・クレンツレ

フリッツ・コートナー:ダニエル・シュムッツハルト

バルタザール・ツォルン:パウル・カウフマン

ウルリヒ・アイスリンガー:クリストファー・カプラン

アウグスティン・モーザー:シュテファン・ハイバッハ

ヘルマン・オルテル:ライムント・ノルテ

ハンス・シュヴァルツ:アンドレアス・ヘール

ハンス・フォルツ:ティモ・リーホネン

ヴァルター・フォン・シュトルツィング:クラウス・フロリアン・フォークト

ダーヴィッド:ダニエル・ベーレ

エーファ:カミラ・ニールント

マグダレーネ:ヴィープケ・レームクール

夜警:ヴィルヘルム・シュヴァイクハンマー ほか

合唱:バイロイト祝祭合唱団

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

筆者プロフィル

 宮嶋 極(みやじま きわみ)毎日新聞グループホールディングス執行役員、毎日映画社社長、スポニチクリエイツ社長を務める傍ら音楽ジャーナリストとして活動。「クラシックナビ」における取材・執筆に加えて音楽専門誌での連載や公演プログラムへの寄稿、音楽専門チャンネルでの解説等も行っている。

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