メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

イタリア・オペラの楽しみ

「ファルスタッフ」の母胎となった「ドン・パスクワーレ」の人間賛歌と先進性

「ドン・パスクワーレ」トリエステ歌劇場公演より Photo: Fabio Parenzan

[PR]

香原斗志

 ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901年)は最後のオペラ「ファルスタッフ」のタイトルロールに、飲んだくれで、大食漢で、スケベで、大ウソつきで、臆病で、詐欺師で、泥棒だという、とんでもない悪漢を選んだ。しかし、彼は散々いたぶられるものの、常に愛すべき人物であり続け、「世の中はすべて冗談だ、人間は道化として生まれるのだ」という最後のセリフが象徴するように、人を許して笑う余裕がある。ファルスタッフは見栄っ張りだが、それは空疎な見栄ではない。彼の誇りは、余裕に裏打ちされている。

 ヴェルディはまた、ファルスタッフに自分の人生を投影した。だが、「世の中はすべて冗談だ」というのは諦念ではない。そもそも人生は喜劇のようなものだ、という達観にもとづいて、この老いた騎士に最大限の敬意を払っている。それは、作曲し終えたとき80歳にならんとしていた自分の人生への敬意でもあったのだろう。

 老人に一泡吹かせる、というのはオペラ・ブッファの常套(じょうとう)手段である。その意味で「ファルスタッフ」は、ブッファの文法にのっとっているが、伝統的なブッファと決定的に異なり徹底した人間賛歌になっている。では、そういう特質がヴェルディの発明かというと、そうとはいえない。はたして「ドン・パスクワーレ」が存在しなかったら、「ファルスタッフ」は生まれていただろうか。

ドニゼッティの深い共感

 「ファルスタッフ」は1893年2月9日、ミラノのスカラ座で初演された。一方、ガエターノ・ドニゼッティ(1797~1848年)が晩年に書いた「ドン・パスクワーレ」は、さかのぼること半世紀の1843年1月3日、パリのイタリア劇場で初演されている。

 最初に、簡単に筋書きを確認しておきたい。ドン・パスクワーレは裕福な老人だが独身で、おいのエルネストに嫁をめとらせて財産を相続させようと思っていた。ところがエルネストはノリーナという未亡人と恋仲で、自分が勧める縁談に見向きもしない。パスクワーレは、自分が結婚して子供をもうけ、あとを継がせようと考え、主治医のマラテスタに相談した結果、彼の妹をめとることに決まる。

 だが、マラテスタはエルネストの友人でもあった。彼は友を救うためにノリーナに変装させ、自分の妹だと偽って結婚させたのだ。彼女、結婚式までは猫をかぶっているが、結婚した途端に凶暴になって、パスクワーレを辟易(へきえき)とさせる。老人はついには離縁を突きつけ、「妻」をエルネストに提供するが、そのおかげで若い二人は大団円。パスクワーレは自分がだまされていたことを知らされるが、だました側を許すのである。

マラテスタの妹に扮(ふん)したノリーナ(写真はハスミック・トロシャン)は、結婚した途端凶暴になりパスクワーレを辟易とさせる=新国立劇場提供

 一見、老人を懲らしめておしまいのドタバタ喜劇のように感じられるかもしれない。しかし、ドニゼッティはこのオペラを、そんな単純には作っていない。たとえば、第2幕でエルネストにラルゲットの〝遥(はる)かなる土地を求めて〟を歌わせる。エルネストは叔父のパスクワーレから「マラテスタが妹を紹介してくれた」と聞かされ、ノリーナと結婚する夢がついえたと思いこむ。さらには、親友のマラテスタに裏切られたと思い、二重に絶望して旅立ちを決意し、この感傷的なソロを歌う。

 この哀感と強い悲劇的感情が込められたソロは、ドタバタ劇のそれとは到底思えない。ドニゼッティの常であるが、エルネストという登場人物に深く共感していることが音楽から強く感じられる。そして、すぐれたテノールが高いテッシトゥーラの下で流麗なフレージングを聴かせたとき、このオペラが感情のドラマであることに気づかされる。

新国立劇場で上演中の「ドン・パスクワーレ」でエルネストを歌うマキシム・ミロノフ=新国立劇場提供

新国立劇場の理想の配役

 話を少し「ファルスタッフ」に戻すと、ファルスタッフから送られてきたラブレターをアリーチェが読み上げるところで、そこに書かれた大仰な言葉に、ベルカント時代を彷彿(ほうふつ)とさせる美しい、しかしこのオペラのなかでは時代がかって聴こえるメロディをつけている。そうすることでヴェルディは、人生を「冗談」あるいは「喜劇」として笑い飛ばそうとしたのだろう。

 「ドン・パスクワーレ」にも同様の仕かけがある。ノリーナのカヴァティーナ〝あの騎士のまなざしは〟である。昔の感傷的な騎士道物語を読み、その大仰な言葉に合わせて時代がかったメロディで歌ってから、その内容を笑い飛ばす。そして、自分は恋の手練手管を使いこなせるのだと自信たっぷりにリズミカルに歌う。ノリーナはのちにプッチーニが好んだような受動的な女性ではない。後半のアレグレットの旋律で表現されている通り、自分の頭を使って自律的に行動できる。そんな彼女への強い共感がこのカヴァティーナにはあふれ、それはヴェルディのアリーチェへの共感につながる。

 このオペラの舞台は、ドニゼッティにとってほぼ現代で、登場人物も貴族ではなく中産階級だ。そこにも、ドニゼッティが人物に深く共感し、類型的なブッファのような体裁をとりながら、各人物を複雑に造形できた理由のひとつだろう。

 むろん、いたぶられるパスクワーレも単純には描かれていない。自分を痛い目に遭わせた連中を許す心の深さと、いたぶった側の人生の先輩への敬意がともに見えるのは、ドニゼッティがパスクワーレに、あたかも自身の投影であるかのように感情移入したからだろう。それは「ファルスタッフ」の萌芽(ほうが)であろう。とりわけ第2幕以降、番号オペラでありながら、音楽がよどみなく展開するところも、それ以前のオペラ・ブッファよりも「ファルスタッフ」との近似性を思わせる。

 だから、このオペラはドタバタ劇ではない。自身をふくめ中産階級のさまざまな立場の人へのドニゼッティの深い共感と、それに基づく立体的な人物の造形の結晶であり、「ファルスタッフ」の母胎である。ただし、見る人、聴く人がそれに気づくためには、巧みな指揮者と卓越した歌手が欠かせない。

同じく「ドン・パスクワーレ」で題名役を歌うロベルト・スカンディウッツィ(左)とノリーナを歌うハスミック・トロシャン=新国立劇場提供

 新国立劇場で11月9日から上演されている「ドン・パスクワーレ」は、百戦錬磨のバス、ロベルト・スカンディウッツィのパスクワーレ、やわらかな声とエレガントなフレージング、どこにも隙(すき)のない完璧なテクニックと音楽性を持つマキシム・ミロノフのエルネスト、ベルカントの技巧を理想的に身につけた美声のハスミック・トロシャンのノリーナ……と、欧米でも望めないレベルの歌手がバランスよく配置され、ベルカントを知り尽くしたコッラード・ロヴァーリスの指揮棒がさえる。

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。新刊「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。La valse by ぶらあぼに「いま聴いておきたい歌手たち」、ファッション・カルチャー誌「GQ japan」のweb版に「オペラは男と女の教科書だ!」を連載中。

おすすめ記事
広告
毎日新聞のアカウント
ピックアップ
話題の記事

アクセスランキング

毎時01分更新

  1. 3分でわかる政治の基礎知識 「27億円」秋篠宮さまが公費支出に疑問 大嘗祭の秘儀と費用

  2. 「桜を見る会、20年開催中止」安倍首相が説明の意思 衆参予算委で

  3. 「桜を見る会、気にくわない」安倍首相写るポスター損壊容疑 80歳男逮捕 兵庫

  4. 月夜に浮かぶ「青い池」 幻想的な光景に感嘆 北海道・美瑛

  5. 実は飲食物が予算案の3.5倍だった「桜を見る会」の「国会軽視」

のマークについて

今週のおすすめ
毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです