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イタリア・オペラの楽しみ

「セビリャの理髪師」と「愛の妙薬」~アリアから見える真逆の性質とそれぞれの魅力

香原斗志

新国立劇場「セビリャの理髪師」2016年公演より大アリアを歌うミロノフ(撮影:寺司正彦)

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 いわゆるオペラ・ブッファのなかでも、ジョアキーノ・ロッシーニの「セビリャの理髪師」(楽譜上の表記はコンメディア)と、ガエターノ・ドニゼッティの「愛の妙薬」(同メロドランマ・ジョコーソ)との間には、音楽的にも作品の性質としてもかなりの開きがある。テノールがここぞと歌うアリア一つとっても大きく異なり、前者のフィナーレに置かれたアルマヴィーヴァ伯爵の大アリア〝もう逆らうのはやめろ〟は、ぎっしり並んだ小さな音符を敏捷(びんしょう)に追いかけて歌うアジリタが延々と続き、歌唱技巧としての難易度がかなり高い。また、ブッファであるのを忘れるくらいシリアスだが、そこに感傷は見いだせない。一方、後者でネモリーノが歌う〝人知れぬ涙〟は、シリアスなところは共通しているが、なめらかに続くレガートの旋律が主体で、きわめて感傷的である。

 まず、1816年2月にローマのアルジェンティーナ劇場で初演された「セビリャの理髪師」だが、ストーリーは18世紀に培われたオペラ・ブッファの定石を外れていない。すなわち虚栄心や貪欲さ、臆病といった人間の弱さを誇張し、それらを通じて聴衆に教訓を与えるというものだ。具体的には、若い男女が結婚を望んでいるが、貪欲な老人や知識をひけらかす専門家などに邪魔され、さらには抜け目ない使用人がからむが、最後は障壁を乗り越えて結ばれ、貪欲な老人たちの愚かさが浮き彫りになって、そこに教訓を得る――というのが定石だった。

 アルマヴィーヴァ伯爵も険しい道のりをへてようやくロジーナと結ばれることになり、彼女との結婚をたくらんでいた、まさに貪欲な後見人であるバルトロに、「無垢(むく)な恋に苦しむいとしい人への、お前の思慮のない怒りは、もう勝つことはない」というキツい言葉で、最後通告を言い渡す。これがアリア〝もう逆らうのはやめろ〟である。急―緩―急の3部で構成され、特に第3部のアジリタには超絶技巧が要求される。これは初演で歌ったマヌエル・ガルシアの卓越した技巧を前提に書かれ、ほかのテノールには歌唱困難であったため、楽譜に書かれていながら、長い間、実演では歌われていなかった。

客観的なロッシーニ

 こうして華麗な音楽美を現出させたのがロッシーニだった。「セビリャの理髪師」はときにドタバタ劇だと誤解されるが、このアリアを聴いただけでもその印象は一掃されるだろう。アジリタに加え、中間部でロジーナをねぎらうところでは叙情的旋律美を輝かせ、力強さと格調の高さが表されている。だが、音楽は台本の歌詞から触発されたものとは言い切れない。その証拠に、第3部は移調したうえで、翌年初演された「ラ・チェネレントラ」でヒロインが最後に歌うロンド・フィナーレに移している。

 言葉と音楽の一体化、というロマン主義の時代に追求された概念を通してロッシーニを理解しようとすると、間違ってしまう。ロッシーニにとって台本の歌詞はさほど重要ではなく、音楽は歌詞を超えて次々と湧き出すものだった。むしろ、歌詞に縛られて制約を受けることで音楽の自律性が損なわれることを嫌ったといえる。その辺りの事情について、テノールのマキシム・ミロノフが筆者に語った言葉を少し引用したい。

 「『セビリャの理髪師』の登場人物はだれも喜劇的でなく、善良でもありませんが、そこにロッシーニの偉大さがあると、アルベルト・ゼッダ先生が教えてくれました。ロッシーニは登場人物の評価を自分ではせず、白黒をはっきりさせずに種々の状況下に配置し、笑ったり、泣いたり、考えたりしながら決めるように、聴衆に判断をゆだねました。音楽も同じで、その音楽にどんな感情を注ぐかは、聴き手にまかせたのです」

 ロッシーニの音楽は客観的である。〝もう逆らうのはやめろ〟も、過剰なまでに施された技巧的装飾は、言葉と密接にからんだ感情を写実的に表現するためのものではなく、まず聴き手に強い印象を与えることが目的とされ、それによってなんらかの感情を呼び起こそうとしている。お涙ちょうだいの世界からは遠く、むしろ情緒や感傷とは正反対の、一定の教養を前提とした知的な遊戯だといえる。

共感して情緒を表現したドニゼッティ

 アルマヴィーヴァ伯爵は貴族であり、オペラの冒頭から最後まで彼の恋愛観が変わることはない。一方、1832年5月にミラノのカノッビアーナ劇場で初演された「愛の妙薬」のネモリーノは平民であり、純朴な村の青年だ。また、ただの安酒を「愛の妙薬」だと本気で信じるほど愚かだが、聡明(そうめい)なアディーナを思い続けるいちずさがあり、非常に純情だ。そしてロマンツァ〝人知れぬ涙〟をきっかけに、愚かな青年の物語はロマンティックな恋愛物語に発展する。整理すれば、そこにはアルマヴィーヴァにはなかった二つの特徴がみられる。純情で情緒的であることと、ドラマを通して世界観が変わることだ。それらは典型的なロマン主義の特徴である。

新国立劇場「愛の妙薬」2018年公演より〝人知れぬ涙〟を歌うピルグ(撮影:寺司正彦)

 実は、2作の間には時代を隔てる壁がある。ナポレオン戦争の終了後、列国はウィーン会議を開催し、ヨーロッパの秩序をフランス革命以前に戻そうとした。その結果、フランスのほかスペインやナポリにブルボン家が復位し、オーストリアがミラノを中心としたロンバルディアやヴェネツィアを獲得し、ローマ教皇領も復活した。自由を求める気風は抑えこまれ、保守反動体制がふたたび席巻したのだ。「セビリャの理髪師」は、この王政復古の状況下に生まれたオペラだが、1830年7月27日、パリ市民が蜂起してブルボン家は追放され、ブルジョワジーが推すルイ・フィリップが国王になった。むろん、この7月革命の余波は、たちまちヨーロッパ全体に広がった。

 その余波はロマン主義の席巻にもつながった。知性より情緒、理性より想像力、形式より内容を重んじるロマン主義は、自我の解放をめざそうという思潮で、市民階級の世界観と重なった。ドニゼッティがロッシーニの影響から脱して自身の様式を確立し、センセーショナルな成功を収めた「アンナ・ボレーナ」の初演は1830年12月だったが、新しい時代を受け、持ち前のロマン主義的な精神が開花した面は多分にあるだろう。

 そして「愛の妙薬」というコミカルな物語にも、ロッシーニには無縁だった情緒や哀愁を持ち込んだ。〝人知れぬ涙〟では、ドニゼッティはネモリーノの心情に深く共感しているのがわかる。想像力に富み、旋律に感情を注ぐのを得意としたドニゼッティは、フェリーチェ・ロマーニの歌詞の世界に深く共鳴した音楽を書いた。「僕は死ねる、愛のために」という、典型的なロマン主義的恋愛観に根ざした歌詞につけられた切々たるカデンツァがその象徴である。

 およそブッファらしくない二つのアリア。それぞれが真逆ともいえるアプローチでたどり着いており、むろん、それぞれに異なる価値がある。まずは、2月に上演される新国立劇場の「セビリャの理髪師」で、その一方を味わってみてはいかがだろうか。ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルの常連でもあるルネ・バルベラのアルマヴィーヴァ伯爵に、曲の真価が表現されるはずである。

2月に上演される新国立劇場の「セビリャの理髪師」でアルマヴィーヴァ伯爵を演じるルネ・バルベラ

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。新刊「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。La valse by ぶらあぼに「いま聴いておきたい歌手たち」、ファッション・カルチャー誌「GQ japan」のweb版に「オペラは男と女の教科書だ」を連載中。

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