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ロリン・マゼール(写真は1974年5月、クリーヴランド管弦楽団来日公演時のもの)

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 今月から、音楽評論家・東条碩夫さんの新連載「マエストロたちのあの日、あの時」がスタートします。東条さんはFM東京で「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など数多くのクラシック音楽番組を制作し、世界的な指揮者やソリスト、オーケストラの来日公演などにも関わってきました。現在は人気ブログ「東条碩夫のコンサート日記」のほか新聞・雑誌等に寄稿し、クラシック音楽の魅力を発信し続けています。クラシック音楽業界の表裏に詳しい東条さんに、マエストロたちの意外な素顔やエピソードをご紹介いただきます。

          ◇

 1963年秋、東京の日生劇場が開館した時、その杮(こけら)落とし公演に招聘(しょうへい)されたベルリン・ドイツ・オペラは、四つの作品を上演した━━カール・ベームの指揮するモーツァルトの「フィガロの結婚」とベートーヴェンの「フィデリオ」、ハインリヒ・ホルライザーの指揮するベルクの「ヴォツェック」。そしてもうひとつがワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」で、それを指揮したのが、当時33歳のロリン・マゼールだった。

 マゼールはこの時期、日の出の勢いにあり、すでにバイロイト祝祭でのワーグナー指揮でも成功を収めたことは日本でも知られていたが、しかし一般的には、いまだほとんどなじみのない人だったと言ってよかったであろう。そしていまだベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督にも就任する前だったので、指揮者としての存在感も、特に当時のわが国では、ベームには及びもつかなかったのだ。

 ただ、私はいくつかのレコードで彼の歯切れのいい、いかにも若者らしく突っ張った、傍若無人なほどの音楽づくりに魅力を感じていたのだったが・・・・。

 「トリスタン」は、それが日本初演だった。4回上演されたが、私が観(み)たのはその初日、10月27日の上演だった。徹夜で行列して買った1階のF17という席のチケットを握りしめて劇場に入り、さていよいよ前奏曲のチェロが聞こえはじめ、続いて木管群のあの「トリスタン和音」が響きはじめた瞬間の感激はいかばかりだったろう! レコードが擦り切れるまで聴いて覚え込み、憧れていたこの「トリスタン」がついにナマで全曲が聴け、しかも舞台を観られるようになったのだから!

 だが、実は感激はそこまでで、そのあとは自分が思い描いていた「トリスタン」とのあまりのギャップに、やはり戸惑った。これは多分、他の同好の士たちも似たようなものだったはずである。

 その時のヴィーラント・ワーグナーの演出がバイロイト版でなくシュトゥットガルト版だった、とか、トリスタン役のハンス・バイラーが細かいニュアンスも何もない怪物的な歌い方で押し通していた、などはともかくとしても、何より、マゼールの指揮するワーグナーがあまりに割り切り過ぎていて、殺風景で、官能や陶酔といった感覚から遠く、味も素っ気もないものに聞こえたのである。夢幻的なはずの〝ブランゲーネの警告〟でさえ、恐ろしくリアルな演奏になっていたのだ。

 ある人が「マゼールは〝愛の二重唱〟の箇所でも明確なリズムで指揮していた」と言っていたのを聴いて、なるほどと思ったものだった。

 演奏時間も正味3時間20分強という短さ。大幅なカットはあったものの、テンポそのものが速かったのも事実だった。オーケストラも音が薄く、とても重厚壮大なワーグナーなどと言えたものではなかった。もっとも考えてみれば、日生劇場のピットでワーグナーの後期の作品の巨大な重量感を響かせるなど、どだい無理な話だったのだが。

 最近、その来日公演のライヴが初めてCDで出て、その音の豊麗さ、演奏の壮大さが絶賛されているが、あれはあくまで録音の仕方と、エコー(残響)の付加と、マスタリングなどによる「お化粧」のなすところであって、実際の音はとてもあのようなものではなかったのである。実際の演奏のイメージも、CDとは全く違っていた。録音というものは、しばしばそういういたずらをするのである。

 その時の演奏を聴いた故・三島由紀夫氏が「ワーグナーの『夜』はあまりに巨大であった」と「芸術新潮」だったかに書いていたが、マゼールの指揮する演奏について何と書いていたかは、あいにく私も記憶していない。

 そんなわけで、初めて彼の指揮をナマで聴いた生意気盛りのガキにとっては、感動とは程遠かったというのが本音だ。だが、マゼールの他のレパートリーをレコードで聴いている範囲では、私は依然としてマゼール・ファンだった。それにナマで聴いて、これはやはり面白い指揮者だ、と驚いたことも、間もなく起こったのである。(この項続く)

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