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東条碩夫「マエストロたちのあの日、あの時」

世紀の大テノール、マリオ・デル・モナコの来日(続き)

マリオ・デル・モナコ

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 今から思えば、あの1961年秋の「イタリア・オペラ」第3回来日の際の雰囲気たるや、本当に熱っぽいものがあった。

 ファンの熱狂ぶりは前回書いた通りだが、招請元のNHKの力の入れようもものすごく、テレビでは第1チャンネル(!)で各初日公演を生中継、そのあとも第3チャンネルと併せて録画全曲再放送や抜粋再放送などをほとんど毎日のように繰り返していたのだった。つまり、のちにDVDでリリースされた映像が、ある期間、日常的にテレビで放送されていたのである。これだけテレビで放送されれば、オペラが大勢の人々の目に触れる機会も多かったのも当然であろう。60年前のNHKは全くたいしたものだった!

 歌手陣にも、マリオ・デル・モナコ、レナータ・テバルディ、ジュリエッタ・シミオナート、アルド・プロッティら強力な布陣がそろっていたが、何といっても目立っていたのは、やはりデル・モナコだった。誰だったか評論家が音楽専門誌で「何しろテレビのおかげで、子供までがデル・モナコという名前を覚えてしまったわけですからね」と話していたのが記憶に残っている。

 「アンドレア・シェニエ」の初日の公演では、ラストシーンで断頭台に向かう馬車に乗ろうとした彼が何かにつまずいたのを、生中継のテレビで観(み)てヒヤリとさせられた(市販のDVDのライヴ映像にも入っている)が、私が会場で観た第3回公演の時には、すべての場面を鮮やかに決めて、――おそらくあれは彼にとっても最高の舞台だったのではなかろうか。

 声も絶好調で、第4幕のアリア「五月の美しい日のように」のあとでは拍手が止まらず、まるでビス(もう一度)を求めるような熱狂が長く続き、なぜかデル・モナコは一度舞台の上手側袖に引っ込んでしまったが、再度登場しても拍手は延々と続き、結局演奏は5分近く中断していたはずである(これと同じことは「トスカ」で、テバルディが「歌に生き愛に生き」を歌った時にも起こった)。微笑して拍手に応えていたデル・モナコは、タイツ姿がトレードマークで、どんなオペラでもこの姿で登場していたのだった。

 そのあと、1963年の「イタリア・オペラ」の第4回来日公演では、デル・モナコは、体調の問題があって、さんざんファンの気をもませたあげくに、結局来日しなかった。「出ナイ・モナコか」と、そんなダジャレをみんな口にしたものである。代わりに「西部の娘」のジョンソン役を演じた、彼の弟子というテノールが、師匠そっくりの身振りで歌ったのには、みんな少々白けたものであった。

 デル・モナコその人は、その後、1969年(54歳)に独りで来日して、東京文化会館、フェスティバルホール(大阪)、茨城県立県民文化センターでリサイタルを行なった。私が聴いたのはもちろん東京での演奏会だが、曲目全体のうち、彼が歌った曲は半分くらいしかなかったであろう。全盛期の頃の迫力こそ薄らいでいたとはいえ、やはりデル・モナコはデル・モナコだった。ある週刊誌は、しかし彼を凋落(ちょうらく)と決めつけ、「ミーハー・ファンは熱狂、だが評論家たちは一様に渋い顔」とえげつない書き方をしていたが、吉田秀和氏が「でも、これがファンというものなのだ」とあたたかい評を新聞に書いておられたのを読んだ時には、ほっとしたものである。

 この来日の時、私はFM東京のインタビュ―番組を制作、録音機を持って彼のホテルまで出かけて行った。ちょうどエレベーターの前でどこからか帰って来たばかりのご本人と鉢合わせしたが、10月半ばだというのに厚手のコートに大きなマフラーとマスク、という重装備のいでたち。ステージで見るよりも意外に小柄な人だなという感で、身長は私と同じくらい(170センチ)のように見えた。あいさつするとうなずきながら小声で何か一言口にしたに過ぎなかったので、もしかしたら気難しい人なのかと心配になったほどである。

 彼の部屋に入ると、マスクだけ外し、「さあ?」という顔になった。「声を出すのはなるべく短い時間で済ませたい、ついては質問事項についてまとめてお話しすることでお許し願いたい」と前もって聞かされていたので、テープレコーダーをスタートさせ、こちらがある質問をすると、うなずいたと見るや、途端に朗々たる声で、猛烈な勢いで話し始めた。そして情熱的に切れ目なくしゃべり続け、それは実に10分間もの長きにわたったが、そのあとは火の消えたように口をつぐんでしまった。私はわざと「で?」と催促してみたのだが、通訳さんが「これでおしまいですって」。

 「これでいいだろ?」という表情で私を見て、ニコッと笑った彼の人懐っこい笑顔は、もうあの厳しいオテロのそれではなかった。彼が日本に来たのは、その時が最後だった。

筆者プロフィル

 東条 碩夫(とうじょう・ひろお) 早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。FM静岡編成制作部長、FM東京制作一課長、「ミュージックバード」(CS-PCM衛星デジタル・ラジオ)編成部長などを歴任し、現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(音楽之友社刊)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。

ブログ「東条碩夫のコンサート日記 http://concertdiary.blog118.fc2.com」公開中。

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