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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

<第5回> サイミール・ピルグ(テノール)

新国立劇場「ウェルテル」より 撮影:寺司正彦

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王道レパートリーに今日的な洗練を加える

輝かしく官能的な声

 昨今、政治家が小者になったといわれるが歌手も同様で、前回取り上げたパヴァロッティのようなスケールは、いまの歌手にはなかなか望めない。理由のひとつは、上演される作品数が格段に増えたことだ。眠っていた作品が次々と掘り起こされ、また古楽運動の隆盛とともに、バロック・オペラの多くも劇場のレパートリーとして定着した。それに伴い、往時の歌唱の復興も進んでいる。

 たとえば1950~60年代。当時を「オペラの黄金時代」と呼ぶ人もいるが、イタリアもので上演されたのはヴェルディ、プッチーニとヴェリズモ・オペラが中心で、それ以前の作品が舞台にかかる機会は多くはなかった。だから歌手たちは同じ方向をめざせばよく、その結果、オーケストラを突き抜ける「偉大な声」は多く輩出しても、技巧上の支えがない歌手も少なくなかった。

 一方、現在はレパートリーが増えて分業化が進んでいる。その分、一人一人が小粒になった感はあるけれど、忘れられていたベルカント時代の歌唱様式の復興と同時に、歌が洗練を増した面もある。そんななか、主に「黄金時代」と変わらない王道のレパートリーを甘い声で歌いながら、今日的な洗練も感じさせるのが、アルバニア生まれのサイミール・ピルグである。

 パヴァロッティに憧れて歌手をめざしたピルグは、実際、若いパヴァロッティを彷彿(ほうふつ)とさせる輝かしい官能的な声をもち、レパートリーもパヴァロッティと重なるものが多い。「愛の妙薬」「ランメルモールのルチア」「リゴレット」「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」「仮面舞踏会」「ラ・ボエーム」……。「ウェルテル」などのフランス・オペラも得意で、30代にしてすでに世界の主要劇場のほとんどにデビューを果たしている。また、「愛の妙薬」と「ウェルテル」を新国立劇場でも歌っている(「愛の妙薬」は風邪をひいて気の毒であったが)。

 黄金時代のような「偉大な声」ではないかもしれない。しかし、持ち前の美声を慎重にコントロールし、多彩で微妙なニュアンスを施しながら柔軟に歌う。その結果、凛(りん)としたフレージングが実現する。パヴァロッティがキャリア初期に歩みはじめた道を、ベルカント復興の果実を味わいながら深めている、と評することもできよう。それは聴き手目線で、甘い声と優雅な響きに安心して酔える、と言い換えることも可能である。

 イタリア・オペラではないが、新国立劇場で昨年、ピルグがタイトルロールを歌ったマスネ「ウェルテル」は、6月19日から1週間、同劇場HPの「巣ごもりシアター」でストリーミング配信される。ピルグは売れっ子になっても、自分ののどに負担がかかりすぎる役を避け、レパートリーを慎重に選んでいる。「ウェルテル」でも確認できる滑らかな声とみずみずしいフレージングは、その賜物(たまもの)でもある。

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。新刊「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。La valse by ぶらあぼに「いま聴いておきたい歌手たち」、ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」を連載中。

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