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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

<第6回> ジョイス・ディドナート(メゾソプラノ)

ヘンデル「アグリッピーナ」より (C) Marty Sohl / Metropolitan Opera

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よみがえったベルカント時代の歌唱を理想的に体現する

超絶技巧のよって立つところ

 1950~60年代が「オペラの黄金時代」と呼ばれた旨は前回も書いたが、そのころ聴けた歌唱が理想だとは即断しないほうがいい。スケールの大きな歌手を多く輩出したのは事実だが、彼らに普遍性があるかどうかは別の問題だ。ある時期に好まれた歌唱法は、その当時の思潮や嗜好(しこう)に左右され、400年を超えるイタリア・オペラの歴史上で捉えなおすと、むしろ特殊性が浮かび上がることもある。

 顕著なのはロッシーニ作品やバロック・オペラの歌唱である。「黄金時代」にそれらは、言ってみればヴェルディやプッチーニとさほど違わない様式で歌われていた。装飾を施したフレーズを通して感情を表出させるという、ロッシーニやそれ以前のバロック時代のスタイルは、19世紀半ば以降、言葉や感情を音楽と一体化させる流れのなかで顧みられなくなり、歌唱法自体が忘れ去られていたからだ。

 しかし、ロッシーニ・ルネサンスやバロック作品の復興を通して、装飾的パッセージを華麗に歌いつつフレーズに種々のニュアンスを加える、ベルカント時代の歌唱がよみがえった。その成果を顕著に体現するのがジョイス・ディドナートで、「黄金時代」には存在しえなかったタイプの歌手である。ベルカント復興の成果を吸収し、ドラえもんがどこでもドアを通してベルカント時代から連れてきたかのような歌唱を披露したのがチェチーリア・バルトリだったが、そこにスケール感と力強さが加わったのがディドナートだと言える。

 ディドナートは新国立劇場への出演歴がある。2002年、ロッシーニ「セビリャの理髪師」のロジーナ役で、卓越した技巧が印象に残ったものの発音に英語なまりが感じられた。だが、2003年にペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)で歌った「アディーナ」では歌唱が急に洗練され、ROFで2005年に聴いたロジーナでは、英語なまりが消えたばかりか、驚異的な技巧にさらに磨きがかかっていた。以後の目覚ましい活躍は周知のとおりである。

 彼女の歌を聴いて、いつも感じることがある。その声には常に細かなビブラートがかかっているが、それを誇張すればそのままトリルになり、ビブラートを随所で強く屈折させればメリハリの効いたアジリタになる。つまり、ディドナートの歌唱に特徴的なビブラートは華麗な装飾歌唱の基礎なのではないか、と。

 レガートを美しく、力強く歌うには、声の滑らかな連なりやふくよかな広がりが求められる。だが、そういう特徴がある歌手のアジリタはどこか人工的だ。一方、俊敏なアジリタを変幻自在に聴かせる歌手のレガートは、バルトリにせよ、フローレスにせよ、ふくよかさに欠ける。だが、ややソリッドでビブラートが効いた発声こそが、ベルカントの華である華麗な装飾歌唱につながっているのではないか。

 上映されたばかりの「METライブビューイング」のヘンデル「アグリッピーナ」における充実の歌唱に、改めてそう感じた。アンコール上映などで、ぜひ確かめてほしい。

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。新刊「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。La valse by ぶらあぼに「いま聴いておきたい歌手たち」、ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」を連載中。

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