「先生を少し元気づけていただけませんか?」と、高弟のOさんからメールをもらったのは、7月に入ってすぐ暑さが襲ってきたときであった。先生は、かつてヨーロッパでも演奏会が好評であった女性ピアニストである。長らく音大で教えていたが最近は動静を聞いていなかった。お世話をしているOさんも音大を定年で去ったかどうかの年齢であろう。ためらったが、県境をまたぐ外出自粛要請も解除されたので、ご自宅を訪れることにした。
鎌倉の鶴岡八幡宮を抜けて少々行ったあたりで、うろ覚えでタクシーを降りた。ひとつの筋に入ると、見上げる庭に1本、小ぶりながら葉の茂ったライラックの木があってすぐに思い出した。かつて白い薄いカーディガンを羽織って木の下に立たれていた先生の後ろ姿を覚えている。
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