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先月のピカイチ 来月のイチオシ

取材で接したアーティストの「ちょっといい話」

 新型コロナウイルスの感染防止対策を施して演奏会が徐々に開催され始めている一方で、国内では感染者が再び急増し感染拡大第2波の様相を呈し始めている。世界的に見ても音楽界が元の日常を取り戻すにはもう少し時間がかかりそうだ。そこで今月も「先月のピカイチ、来月のイチオシ」の経験豊かな執筆陣に特別企画として、これまでの取材体験の中から心に残る「ちょっといい話」を紹介していただいた。

東条碩夫(音楽評論家)選

◆ロシアのソプラノ、ワレンチーナ・ツィディーポワ

1994年夏、マリインスキー劇場の楽屋でツィディーポワ(右)と筆者=筆者提供

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 ワレンチーナ・ツィディーポワは、マリインスキー劇場に所属して活躍し、1993年11月の同オペラ初来日公演ではチャイコフスキーの「スペードの女王」のヒロインのリーザをガリーナ・ゴルチャコーワとダブルキャストで歌ったことがある。また同じころ映像収録されたリムスキー=コルサコフのオペラ「サトコ」にも主演していた。写真で見る通り、ちょっと東洋系の風貌をしたソプラノだ。日本女性だと言っても通用したかもしれない。

 彼女はその2カ月前に一足早く初来日し、アゼルバイジャン出身の作曲家フセイノフのオペラ「光太夫」の日本初演にも出演していた。ロシア人歌手の派遣を依頼されたマリインスキー劇場芸術監督ゲルギエフから「日本のオペラなら、お前がいいよ」と言われ、ハイと来てみたら「ところが私の歌う役は、ソフィアというロシア人の役だったのよ!」(笑)。

 この「光太夫」とは、漂流してアリューシャンの島にたどり着き、ペテルブルクでエカテリーナ女帝に謁見して帰国した18世紀末の日本人「大黒屋光太夫」のことである。ソフィアは、彼に思いを寄せたロシアの女性だ。

 そういうオペラの内容もロクロク確認しないまま歌手を選ぶとは、ゲルギエフも意外にそそっかしいところがある。そういえば、彼と長年仕事を進めてきたジャパン・アーツの中藤泰雄社長が「あいつオッチョコチョイだからさ、話を半分しか聞かないでカーッとくる時があって」と苦笑していたのを見たことがあるが……。

 さてそのツィディーポワだが、「みなさん、あの時、私を本当に日本人歌手だと思いこんでいたんじゃないかしら」と言う。それなら日本で歌う時には、いっそ日本人の名をつけてやってみたら? センセーションになりますよ、と私が言うと、「でも日本には、こんな体の大きな女なんて、いないでしょ?」

 この話を交わしたのは、1994年夏、マリインスキー劇場の楽屋でのことだった。当時、彼女も絶頂期にいたはずだ。日本ではあまり話題にならなかったけれど、素晴らしいソプラノだった。

      *  *  *

柴田克彦(音楽ライター)選

◆「2度目だね」 重ねた握手に笑った90歳のスクロヴァチェフスキ

90歳の誕生日を迎えた2013年10月3日、演奏会後のカーテンコールで楽団員と聴衆から祝福されるスクロヴァチェフスキ (C) 読売日本交響楽団

 「取材で接したアーティストのちょっといい話」という今回のテーマから若干離れる気もするが、ここでは「今なお忘れがたいアーティスト」のことを記しておきたい。それは2017年2月に93歳で亡くなった指揮者、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキだ。取材したのは2013年10月、90歳の誕生日に読売日本交響楽団を立ったまま指揮して覇気みなぎる演奏を聴かせた数日後で、場所は読売ランドにあるかつての読響練習所だった。

 マエストロはことのほか元気で、取材する部屋がエレベーターのない2階だった(なぜ1階にしてあげない?と当時思った)にもかかわらず、手すり伝いながらも階段をさっさと(?)上って行った。「耳が聞こえない」との噂もあったが、そんな様子も皆無。驚異的なかくしゃくぶりに、「元気を保つ秘訣(ひけつ)は?」と尋ねると、「特に秘訣はありません。ただ言えるとすれば、音楽に対する集中力でしょうか。食事など特に気を遣っていることもなく、肉、魚、野菜、フルーツ……何でも食べます。あとはグラス1杯の赤ワイン(笑)。いいワインがあるとき、友人が来たときなどには多めに飲んでいますよ」と答えた。「長生きするには食事が大事か」「やはり『酒は百薬の長』なのか、いや元気だから飲めるのか?」などと考えながら、読響に関する話をし、取材のメインだったベートーヴェンのCDの話題に移った。すると何と「録音をどう感じるかは自分では言えない」の一言で終わり。だが「うわー、本題の情報がゼロだ……」とうろたえる当方の気配を感じたのか、マエストロはそのあと「1番最初に影響を受け、存在感の大きかった作曲家」など、ベートーヴェンに関する話をたくさんしてくれた。結果的に取材者を助けてくれた心優しきマエストロ……。そしてインタビュー終了時に握手をし、彼が部屋を出るときに重ねて握手をすると、「2度目だね」と言って笑った。このときのことがなぜか妙に忘れられない。

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池田卓夫(音楽ジャーナリスト)選

◆深い友情で結ばれたミレッラ・フレーニとテレサ・ベルガンサ

ミレッラ・フレーニ(左)とテレサ・ベルガンサ

 2020年2月9日、イタリアの偉大なソプラノ歌手、ミレッラ・フレーニが85歳の誕生日を目前に亡くなった。同郷で同年齢のテノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティが亡くなって13年近くがたっていた。

 フレーニにインタビューしたのは後にも先にも1度だけ。建て替え前の旧キャピトル東急ホテル(東京・永田町)で、憧れのプリマドンナと面会した。1963年に日本最初のヒルトンとして開業した旧館は窓の開け閉めができたため、2006年に建て替え休業するまで、空調に敏感な歌系の来日アーティストの定宿だった。ザ・ビートルズもパヴァロッティも泊まり、フレーニも愛用した。

 待ち合わせのカフェに現れたフレーニは、他のどの歌手とも違う不思議なバランスのオーラを放っていた。大歌手ならではの超然と優雅な雰囲気と、労働者家庭に育った気さくさの両面を備え、表情もエレガントなマダムと開けっぴろげの「おばさん」(ファンの方々、ごめんなさい)の間を目まぐるしく往来する。質問に対し真摯(しんし)に答えを探るとき、大きな目がさらに大きくなる。

 「あなたはカラヤンの求めに応じて何でも歌い、どんどんレパートリーを重たくしていったと言われています」と切り出した瞬間、フレーニの目が最大になった気がした。「それは違います。私ほどマエストロに『ノン』を連発した歌手はいません。レパートリーの拡張には細心の注意を払いました。私の楽器は声。ヴァイオリンやピアノと違い、一度こわしてしまったら修理がきかないのです。あなたは日本人だから、わかるでしょ? 素晴らしい盆栽の枝振りを一度損ねてしまえば、二度と元には戻らないことを。歌手の楽器は、それほど繊細です。時にマエストロのご機嫌を損ねたとしても、自分で守るしかありません」

 フレーニはベルカントの歌唱芸術に深い尊敬を抱いていた。スペインのメゾソプラノ歌手、テレサ・ベルガンサを2004年来日時にインタビューしたとき「ベルカント歌唱の技術の源流はスペインにあるの、ご存知ですか?」と逆に問われ、びっくりした覚えがある。テノールのアルフレード・クラウスやソプラノのマリア・バーヨ(ベルガンサの弟子だ)の演奏に触れると、「確かにそうかな」とも思う。フレーニと2歳年長のベルガンサは高純度ベルカント唱法の継承者どうし、大の親友だった。1987年にフレーニがカラヤン盤(デッカ)に次ぐ2度目の「蝶々夫人」(プッチーニ)をジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団とドイツ・グラモフォンに録音したとき、ベルガンサは若いころ歌ったきり、普通はセコンド(脇役)のメゾソプラノに任せるスズキ役を引き受けた。「ミレッラの頼みですもの、特別に歌いました」。すてきな友情だ。

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毬沙琳(音楽ジャーナリスト)選

◆2挺の世界的名器を一晩で弾き分けたコリヤ・ブラッハー

2019年6月、2挺のヴァイオリンを手にするコリヤ・ブラッハー

 数億円のストラディヴァリウスと練習用ヴァイオリンの音色の違いを芸能人が聴き分けられるか試す人気番組がある。テレビの電波に乗ってしまうからなのか、恥ずかしながら私にはどうも判別できないことが多い。

 昨年ヴァイオリニストのコリヤ・ブラッハーが20年以上愛用してきたストラディヴァリウス「トリトン」(1730年製)と2年前から使用しているガルネリ・デル・ジェス「Ex.ズッカーマン」(1730年製)を一晩で弾き分けるリサイタルを開いた。ベートーヴェンのソナタ「クロイツェル」はストラディヴァリウス、ブラームスのソナタ第3番とラヴェルのソナタはガルネリで演奏し、奇しくも同じ1730年製の歴史的な名器の音色の違いを心ゆくまで堪能することができた。

 誰もが羨むような2挺のヴァイオリンをどのように使い分けているのか取材したところ意外な答えが返ってきた。ガルネリを手にしてからの2年間は、なんとガルネリしか弾いていないという。2002年に取材した際「ストラディヴァリウスはとてもデリケートな貴婦人のようで、彼女を理解するのに7年という歳月は短すぎる」と語り、名器とは出会った瞬間に恋に落ちても、一朝一夕で理想の音が出せるものではないことを教えてくれた。ガルネリという新たなパートナーと出会い、お互いを深く知るための時間が必要だったのだろう。

 それぞれが強烈な個性を放ち、サイズも微妙に異なる楽器を一晩で弾き分けるというチャレンジングな演奏会に対して、ブラッハー自身は当初積極的ではなかった。しかし感情を自在に託せるガルネリと完璧な美の象徴とも言えるストラディヴァリウスによって、ヴァイオリニストとしてこれまでにない表現の扉を開いた演奏会が成功裏に終わると、「またやってみても良い」という思いがけない言葉を聞いた。世界最高峰のソリストが愛用する名器の饗宴(きょうえん)は、聴き手にとってこの上ない極上の体験だったが、ブラッハーにとっても彼しか知り得ない達成感があったのかもしれない。(2挺のヴァイオリンはキミコ・パワーズ氏より貸与されている)

      *  *  *

宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)選

◆第1回PMF取材中に経験した二つのサプライズ

1990年6月26日、さっぽろ芸術の森で開催されたPMFオープン・セレモニーに出席したレナード・バーンスタイン(前列右)、指揮者のマイケル・ティルソン・トーマス(同中央)、五嶋みどり(後列)=筆者提供

 20世紀の巨匠レナード・バーンスタインの提唱で1990年6月に始まった国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌(PMF)」。その第1回の取材で札幌市郊外にある札幌芸術の森を訪れた時の思い出を紹介したい。

 それはPMFの開催期間中、バーンスタインがロンドン交響楽団とのリハーサルを行っていた際の出来事である。練習所内部の取材は認められていなかったが、バーンスタインのリハーサルをどうしても見たかった筆者は政治記者が国会取材でやるように、会場のドアに耳を付けて中の音を聴いていた。するとドアが開き当時、巨匠のチーフ・アシスタントを務めていた若き日の指揮者、大植英次が現れた。筆者の様子を見た大植は「そんなことするくらいなら、中に入りなよ」と練習場に入れてくれたのだ。練習していた曲はブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」の〝四つの海の間奏曲〟。巨匠のリハーサルはメンバーの創造性を最大限引き出し、作品の核心に近づけていこうとするスタイルで大変興味深いものであった。休憩となり会場を出ようとするバーンスタインを大植が呼び止め、筆者が中にいることの了解をとってくれた。するとバーンスタインがゆっくりと私に歩み寄り、ガシッとハグし、しわがれ声で「Thank you very much. I need you(どうもありがとう。君のことが必要だよ)」と耳元で囁いてくれた。(後日、この時のことを大植に聞いてみたが〝覚えていない〟との答えだった)

予期せぬ出来事に筆者は呆然(ぼうぜん)。リップ・サービスとはいえ、あの巨匠が自分に「I need you」と言ってくれたことにうれしさのあまり我を忘れてしばらくたたずんでいた。

 20分くらい経過しただろうか。ロンドン響のメンバーが三々五々、練習場に戻ってきて調弦や音出しを始めた。会場中にいろいろな楽器のサウンドが渦巻く中で筆者の背後からオケのメンバーの音をはるかに突き抜ける素晴らしいヴァイオリンの音色が聴こえてきた。驚いて我にかえり「こんなすごい音、いったい誰が弾いているのだろうか」と振り返ってみると当時18歳で、まだあどけなさすら感じさせる五嶋みどりであった。腕利きぞろいの世界的名門ロンドン響メンバーの音を制するほどの圧倒的な存在感を示す音色を事もなげに紡ぎ出す若きヴァイオリニスト。天才を目の当たりにした瞬間であった。

 わずか30分あまりの間に起こった二つのサプライズ。初夏の札幌の爽やかな青空とともに一生思い出となった強烈な印象を残す出来事であった。

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