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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

<第7回> プラシド・ドミンゴ(テノール)

 

プラシド・ドミンゴ=1月31日サントリーホールで (C)堀田力丸

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80歳でも毎月舞台で主役

休息を要求しない驚異の声帯

 日本でも大ブームを呼び起こしコンサートが3回開催された「3テナーズ」、すなわち「世界三大テノール」。ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3人が初めて集まったのは1990年7月、サッカーW杯イタリア大会決勝前夜のローマだった。その模様を収録したCDやビデオ、レーザーディスクが売れに売れ、4年後にアメリカで開催した際の映像と併せれば世界で10億人が視聴したといい、3人がオペラの普及に果たした役割は計り知れない。

 それから30年。パヴァロッティは2007年に物故し、カレーラスもリサイタルはともかくオペラの舞台から遠ざかって久しい。そもそも30年前の時点で功成り名を遂げたテノールたちだったのだから当然だが、30年前に「アラフィフ」だったドミンゴだけはなお現役で、今年は新型コロナの影響でキャンセルが相次いだものの、毎月のようにオペラの舞台に立つ予定で、この秋以降も同様に予定が入っているのだから、恐れ入るほかない。日本で歌う予定もあるようだ。

 いま歌うのはバリトンの役ばかりだが、バリトン歌手にせよ、80歳近くなって毎月のようにオペラの舞台に立った例は寡聞にして知らない。しかも、ドミンゴが歌うのはいずれも主役もしくは主役級である。400年を超えるオペラの歴史のなかでもほかに類例がないのではなかろうか。

 全盛期のドミンゴは、艶のある声と制御されたフレージングに加え、演劇的にも説得力のあるセクシーな立ち姿で世界を魅了した。また作曲や指揮も学んでいて音楽性が高く、おそらくは天性の使い減りしない声に支えられて驚異的なレパートリーの広さを誇った。むろん欠点もあり、最初期から最高音が苦手で硬く、やわらかい中低音となめらかに接続できずに、響きがこもりがちになることが多かった。それは同時に力みにもつながったが、まろやかな声とノーブルな表現には抗しがたい魅力があった。

 私の記憶に残る最良のドミンゴは2001年12月のスカラ座公演、ヴェルディ「オテロ」のタイトルロールだ。キャンセルを続けたあとに現れたドミンゴの声には全盛期のような艶が宿り、年輪を重ねてこそ得られる深い精神性と相まって圧巻だった。

 以前から「休むと腐る」をモットーにしていたドミンゴには、声を保つために休むという歌手の常識が通じない。休まずにリリコからドランマティコまでの広いレパートリーを歌い続ける、という一般には歌手生命を失いかねない暴挙を続けることで、むしろ長い歌手生命を勝ちとった。それは使い減りしない特殊な声帯の賜物(たまもの)であるとしか考えられない。その意味でも不世出の歌手である。

 テノールとバリトンでは声の作り方が異なる。だが、ドミンゴはいま、バリトンの役をテノールのままの発声で歌っている。そこには賛否両論があるが、テノールのままの声でバリトンの役を歌っても役に説得力を与えることができるのもまた、ドミンゴが無二の歌手であることの証しであろう。

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。新刊「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。La valse by ぶらあぼに「いま聴いておきたい歌手たち」、ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」を連載中。

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