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アンコール

被爆75年、明子のピアノが響いた広響「平和の夕べ」コンサート

世界初演となる藤倉大のピアノ協奏曲第4番で被爆した明子のピアノを弾く萩原麻未

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 2020年も、広島交響楽団の「平和の夕べ」コンサートが8月5日・6日に開催された。

 被爆75年を迎えた今年は、各国から多くのアーティストが集い、特別なプログラムが披露されるはずだった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大のなか、出演予定の海外在住のアーティストの来日が難しく、同時にソーシャルディスタンスに配慮した演奏形態をふまえた結果、演奏曲目や出演者の大きな変更を余儀なくされた。

 このコンサートの大きな柱のひとつは、広響が委嘱した藤倉大のピアノ協奏曲第4番「Akiko’s Piano」の世界初演であろう。「Akiko’s Piano」とは、被爆してわずか19歳でこの世を去った河本明子が生前弾いていたアップライト・ピアノだ。

 ボールドウィン社製のそのピアノは、2002年に空き家の河本家から発見され、2005年に調律師の坂井原浩によって修復され、マルタ・アルゲリッチらの名ピアニストに弾き継がれている。

 今回、明子のピアノを弾くのは、来日できなくなったアルゲリッチに代わり、広島市出身の萩原麻未だ。「よい意味で長い年月を経て味わい深くなった音色であったり……不ぞろいのところもありますが、逆にそこに魅力を感じます」と語る。

 リハーサルが終わり、筆者が萩原と話していた時、リハーサルを見ていた坂井原が通りかかり、「上の方(高音域)、最後のあたり……どうですか、動きは?」と萩原に問いかけた。すると「あのまま残しておいた方が良いような気がします……それをわかって作曲していらっしゃるので」と彼女は答えた。藤倉は、明子のピアノを使って作曲しており、その響きを楽譜に一音一音つづっていったに違いない。

 本番当日。客席数は制限されたものの、多くの市民が広島文化学園HBGホールを訪れていた。

 プログラムは、シャコンヌに始まり、シャコンヌに結ばれた。

 まず、昨年広響を指揮し、今年3月に亡くなったペンデレツキのシャコンヌ。荘重さと悲哀のはざまからこぼれ落ちる美しい弱音に、思わず息をのむ。

 藤倉大のピアノ協奏曲 第4番「Akiko’s Piano」は、オーケストラとグランド・ピアノで演奏された後、明子の被爆ピアノ(アップライト・ピアノ)によるカデンツァで結ばれる構成である。萩原は、高度な集中力をもって作品と対話してゆく。そっと耳を傾け、デリケートに音の綾(あや)を紡ぎ上げ、寄り添うような演奏である。オーケストラは、彼女の音の呼吸に細やかに呼応する。やがて照明が落とされ、彼女は明子のピアノでカデンツァを弾き始めた。明子のピアノは、今のピアノよりも音の減衰が少し早く、萩原は消えゆく音の響きを慈しむかのように奏でてゆく。最後の高音部のトリルでは、カタカタと鳴る鍵盤の音が名残惜しく響き渡る。

 演奏後、舞台脇の大きなスクリーンには、ロンドンの藤倉が映し出され、世界初演を果たした萩原と下野&広響に喝采を送った。

スクリーンに映し出される作曲家の藤倉大(左)

 休憩をはさんだのち、後半の冒頭は、ベートーヴェンの「カヴァティーナ」(弦楽四重奏曲第13番第5楽章の弦楽合奏版)。弦楽器の細やかな弓さばきは見事で、低弦のどっしりとした響きを礎とし、ヴァイオリンなどがどこまでも滑らかに柔らかく歌い上げてゆく。

 マーラーの「亡き子をしのぶ歌」では、日本が誇る世界的メゾソプラノの藤村実穂子が圧倒的な存在感を示した。その透き通るようなしなやかな歌声は、堂々とした美しい輝きを放つ。繊細なテンポの緩急のなかで、オーケストラを引っ張っていくような彼女の声に強い意思を覚える。

「亡き子をしのぶ歌」でソリストを務めた藤村実穂子

 プログラムを締めくくるのは、J・S・バッハの「シャコンヌ」(齋藤秀雄によるオーケストラ版)。変奏ごとに表情を大きく描き分け、音の要素にも大きなメリハリをつけた演奏だ。そして、下野はその思いを心の奥に秘めるかのように音楽を結んだ。

 アンコールは、プーランクの「平和のためにお祈りください」を下野の編曲したオーケストラ版で。

 当初は、藤倉作品とベートーヴェン:交響曲第9番のプログラムであった。変更された曲目には、「第九」のような大勢で歌い上げる歓喜はない。声高な主張や平和賛美ではなく、下野がリハーサルで述べていたように「心からの共感、共鳴を得たい」との思いの込められたプログラムであった。とりわけ、弱奏と時の間にその思いを感じた。

 一人ひとりの心のなかで、「平和とは何か」と静かに振り返る75年目の夏の宵であった。

公演データ

【2020「平和の夕べ」コンサート「Music for Peace」】

8月5日(水)、6日(木)18:45 広島文化学園HBGホール

指揮:下野竜也

ピアノ:萩原麻未

メゾソプラノ:藤村実穂子

管弦楽:広島交響楽団

ペンデレツキ:シャコンヌ(ポーランド・レクイエムより)

藤倉大:ピアノ協奏曲第4番「Akiko’s Piano」(広響委嘱・世界初演)

ベートーヴェン:カヴァティーナ(弦楽四重奏曲第13番より弦楽合奏版)

マーラー:亡き子をしのぶ歌

J・S・バッハ(齋藤秀雄 編曲):シャコンヌ(パルティータ第2番BWV1004より)

筆者プロフィル

 道下京子(みちしたきょうこ)東京都大田区生まれ、広島・世羅育ち。桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科(音楽学専攻)卒業、埼玉大学大学院文化科学研究科(日本アジア研究)修了。音楽月刊誌「音楽の友」「ムジカノーヴァ」「ショパン」への寄稿や、コンサートのプログラムやCDのライナーノートなどに曲目解説やエッセイなどを執筆。共著は、大学院在学中に出版された「ドイツ音楽の一断面――プフィッツナーとジャズの時代」など。

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