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「結婚式」の絵である。
豪華な服をつけた花嫁と花婿が、司教に祝福されている。誇らしげな表情を浮かべる花嫁の服の裾をささげ持つのは、ギリシャ神話の結婚の神ヒュメナイオス。だが初老の花婿は、戸惑っているような印象を受ける。
実はこれは「代理結婚」を描いた一枚である。花嫁はマリー・ド・メディシス。フィレンツェの名門、メディチ家の令嬢である。花婿はフランス国王アンリ4世だが、フィレンツェにまで来られなかったので、早くに両親を亡くしたマリーの育ての親だった叔父が花婿の役割を演じているのだ。花嫁の左後ろで十字架を掲げているのは、この画の作者、ペーター・パウル・ルーベンスである。
「マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式」。24枚からなる連作絵画「マリー・ド・メディシスの生涯」の1枚である。アンリ4世はブルボン朝の開祖で、あまたのフランス国王の中でも人気の高い王様だ。美男でモテた(50人以上!の愛人がいた)ことも、人気の一因らしい。
マリーは2人目の妃である。前妃のマルグリットとは反りが合わず、再婚しようとした愛妾(あいしょう)には先立たれた。マルグリットを離縁したアンリは、持参金目当てにイタリアの銀行家(メディチ家)の娘、マリーを選ぶ。
夫婦仲は最初から悪かった。新しい恋人に夢中だったアンリは、20歳も若いマリーがフランスに来ても1カ月近く会わず、子供ができても女遊びをやめず、結婚後10年で暗殺された。マリーは息子の成人までという約束で摂政になるが、ルイ13世として即位した息子とうまくいかず、追放される。息子ともめる中で当代最高の人気画家ルーベンスに発注したのが、自分の生涯を華々しく美化した「マリー・ド・メディシスの生涯」だった。ルーベンスはこの画に描かれている通りマリーの代理結婚式に出席し、そこでマリーと出会っている。当時仕えていたマントヴァ公爵ヴィンチェンツォ・ゴンザーガに従って、フィレンツェを訪れていたのである。
マントヴァ公に従って代理結婚式に出た芸術家は、おそらくルーベンスだけではなかった。同じマントヴァ公爵に仕えていた作曲家クラウディオ・モンテヴェルディも、この場に居合わせた可能性が高い。
だが公爵(とモンテヴェルディ?)が感動したのは、マリーでも結婚式でもなく、祝宴の席で上演された特別な出し物、現存する最古のオペラ「エウリディーチェ」だったかもしれない。公爵は7年後、モンテヴェルディにこの新しいジャンルの作曲を依頼し、オペラ「オルフェオ」が誕生する。現在劇場のレパートリーになっている、もっとも古いオペラである。
オペラは、音楽史上の「バロック」の幕を開けた。ルーベンスはバロックを代表する画家だ。音楽と美術、二つの「バロック」を象徴する傑作は、芸術より富と虚栄に生きたある王妃の結婚がきっかけで生まれたのである。
加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「音楽で楽しむ名画」「バッハ」(平凡社新書)。最新刊は「オペラで楽しむヨーロッパ史」(平凡社新書)。
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ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」