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オーケストラのススメ

~47~ 指揮者にとって、指揮棒がデフォルトではなくなった

指揮棒を使わずに手指で細かなニュアンスを表現する尾高忠明 (C)上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団

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山田治生

 指揮者のことを「棒振り」と呼んだりするように、「指揮棒」は指揮者を象徴する道具であり、実際、齋藤秀雄の高名な教則本「指揮法教程」(1956年)は指揮棒を用いることを前提に書かれている。しかし、近年、明らかに指揮棒を使わない指揮者が増えている。齋藤秀雄の一番弟子である小澤征爾は20年ほど前から指揮棒を使わなくなり、同じく齋藤門下の尾高忠明も現在、指揮棒を使っていない。

 もともと、バロックから前期古典派にかけての時代は、オーケストラのなかのチェンバロ奏者(多くの場合、作曲家本人)が演奏しながら振ったり、あるいは、コンサートマスターが弓で合図を送ったりして、指揮者の役目を担った。その後、オーケストラの管楽器の数や種類が増え、作品が複雑になるにつれて、指揮だけを専門にする者が必要となった。指揮者が指揮棒を使うようになったのは、ルイ・シュポーア(1784~1859年)やカール・マリア・フォン・ウェーバー(1786~1826年)以降だといわれている。ニコラウス・アーノンクール、フランス・ブリュッヘン、トン・コープマンら、バロックなどの古楽を専門とする指揮者の多くが指揮棒を持たないのは、その発生からすれば、当然のことといえるだろう。

 一方、現代音楽の作曲家では、ピエール・ブーレーズやペーテル・エトヴェシュが指揮棒を持たず、素手で指揮する。そういえば、ストラヴィンスキーもNHK交響楽団を指揮したときには指揮棒を使っていなかった。

 指揮棒を使わない巨匠指揮者としては、古くはレオポルド・ストコフスキー、晩年のロヴロ・フォン・マタチッチ、現在ではユーリ・テミルカーノフ、アレクサンドル・ラザレフなどがあげられる。

 今は、若い指揮者の間で指揮棒を使わないのがトレンドとなっているようにみえる。新しい世代の代表格といえるテオドール・クルレンツィスも指揮棒を使わない。トゥガン・ソヒエフも最近は素手で振る方が多い。山田和樹や原田慶太楼は曲によって指揮棒を使ったり使わなかったりする。鈴木優人は、この9月にバッハの「ミサ曲ロ短調」を素手で振り、10月にメシアンの「峡谷から星たちへ…」では指揮棒を使っていた。

 指揮棒を使わないメリットの一つに、指揮棒1本よりも5本の指の方が音楽の表情を伝えやすいことがあげられる。確かに指揮棒そのものは無表情な物体である。かつてのヴィルヘルム・フルトヴェングラー、現代では大野和士が指揮棒を震わせるのは、指揮棒に表情をもたらすためであろうか。

 長らく、大編成の作品を指揮するには指揮棒が必要と言われてきた。それについて尾高忠明はこう反論する。

 「棒を持つのは遠くにいる演奏者まで分かるからと言いますが、指揮は手旗信号じゃないのです。指揮者のほんの小さな指先の動きにも、遠くにいる合唱団の歌手までちゃんと反応します」

 今や指揮者にとって、指揮棒がデフォルトではなくなった。指揮者が指揮棒を使うか使わないかを主体的に判断しなければならない時代になったのである。

筆者プロフィル

 山田 治生(やまだ はるお) 音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。

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