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モーツァルトのピアノ協奏曲「ジュノム」を演奏する小曽根真=2006年の宮崎国際音楽祭より (C) K.Miura/提供:宮崎県立芸術劇場

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 小曽根真さんが、「モーツァルトのピアノ協奏曲は、今のところは『ジュノム』しか弾く気がしない」と語っていたころ、2006年の話。

 5月14日、彼は宮崎国際音楽祭に出演し、シャルル・デュトワの指揮で、そのモーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」を弾いた。アドリブの要素を多く織り込むことのできるカデンツァは、彼の聴かせどころだった。第3楽章では見事なジャズ的な曲想によるカデンツァを披露、演奏が自由に飛翔を続け、クラシック系のピアニストには到達しえない空間まで飛び行くと、オーケストラの楽員たちが「やってくれるねえ」という顔で笑いあう。

 やがて演奏が着陸体勢に入り、モーツァルトの主題が少しずつ姿を見せはじめると、楽員たちがまた笑みを浮かべ、やおら楽器を構える。音楽がモーツァルトのオリジナルに戻った瞬間に感じられる何とも言えぬ快さは、それまでのカデンツァが実に胸のすくようなものであったゆえだろう。もっともデュトワの方ではオーケストラを率いる責任上、この自由奔放なカデンツァの終りごろになると、かなり神経を使っていたようにも見えた。

 ソリストのアンコールでは、小曽根さんは予想通り、ジャズの即興演奏を始めた。ところが、それが進むうちに、いつの間にかそこにまた「ジュノム」の第3楽章主題が現われ、その楽章の終結近くの音楽に変わっていったのだ。すると、なんとオーケストラの楽員が、顔を見合わせて笑いながら、ひとり、またひとり、と演奏に加わりはじめたのである。もちろん、そこには指揮者はいない。だがみんなは自由に次々と加わり、ついには指揮者なしのまま、全員が演奏に参加してしまったのだった。

 終演後のパーティで、漆原啓子さんと川田知子さんに聞いたところでは、アンコールに関しては事前の打ち合せは全くなかったという。が、「三浦さん(章宏氏、コンサートマスター)だけは事前に小曽根さんと相談していたのかも」という人もいた。小曽根さんのソロの最中にだれかが(オーケストラが入るべき)練習番号を大声で叫んだようだと言う楽員もいたが、そんなものは聞こえなかったと笑う人もいた。だが、とにかくその時はみんな、アドリブで、自由に「入って、乗った」のである。

 オーケストラと小曽根さんは、全合奏で2度目の「ジュノム」を締めくくった。客席からは、その前の本編が終わった時を上回る熱狂的な拍手と歓声、スタンディング・オベーションが巻き起こった! 素晴らしい雰囲気だった。

 こういう自由なオーケストラがあるのだ。そして、ジャズとモーツァルトとをこのように同一平面上で楽しむ聴衆がこんなにも大勢いるのだ。そして、そういう得難い場をやすやすと創り出すピアニストがいるのだ。私は、すっかりうれしくなった。小曽根さん自身も「ダメかなと思ったけど、皆さん、よく一緒に入って来てくれたなあ、と思いましたよ」と大喜びだった。この時の演奏会は、私の最も楽しい思い出のひとつである。

 小曽根さんのコンサートは何度も聴いているが、その後、なかなかあの時のような「おおわざ」が聴けないのは残念である。先日の尾高忠明氏が指揮する読響と協演したモーツァルトのピアノ協奏曲(第23番)でも、「モーツァルト真正面」の演奏だった。彼がそうしたい理由もわからないではない。だが、モーツァルトのコンチェルトをオリジナル通りに演奏するピアニストは他にも星の数ほどいる。けれども、ジャズ・ピアニストとしてのフィールドから、あのような形でモーツァルトにアプローチできるセンスを持った人は、小曽根さんしかいないのではないか。これからも、せめてカデンツァの箇所だけででも、既存の殻を破った自由闊達(かったつ)、天衣無縫の大暴れの演奏を……と願うことしきりである。

筆者プロフィル

 東条 碩夫(とうじょう・ひろお) 早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(音楽之友社刊)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。

ブログ「東条碩夫のコンサート日記 http://concertdiary.blog118.fc2.com」公開中。

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