写真特集

皆既日食:明治時代にもブーム

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  • 皆既日食当日の紙面に掲載された皆既時に東京で見えるであろう天体図。天頂には北斗七星。下の方に天狼星(おおいぬ座のシリウス)も。「東京では九分九厘の食になり一時暗黒の世界になるので、この図と空を比べてみるのも面白い」=1887(明治20)年8月19日、東京日日新聞
    皆既日食当日の紙面に掲載された皆既時に東京で見えるであろう天体図。天頂には北斗七星。下の方に天狼星(おおいぬ座のシリウス)も。「東京では九分九厘の食になり一時暗黒の世界になるので、この図と空を比べてみるのも面白い」=1887(明治20)年8月19日、東京日日新聞
  • 各地の第一報と、東京での様子を伝えた紙面=1887(明治20)年8月20日、東京日日新聞付録
    各地の第一報と、東京での様子を伝えた紙面=1887(明治20)年8月20日、東京日日新聞付録
  • 新潟大崎山で観測した日食連続写真=1887年(明治20年)8月撮影
    新潟大崎山で観測した日食連続写真=1887年(明治20年)8月撮影
  • 内務省に寄せられたコロナの図の一つ。特に優秀とのことで紙面でも紹介=1887(明治20)年8月23日、東京日日新聞
    内務省に寄せられたコロナの図の一つ。特に優秀とのことで紙面でも紹介=1887(明治20)年8月23日、東京日日新聞
  • 1896(明治29)年8月11日、北海道北部で皆既日食が見られたが、当日の各測候所の速報によると釧路では見られたものの、厚岸、根室は曇り、網走は雷雨、紋別も曇りで観測できなかったようである=1896(明治29)年8月11日、東京日日新聞
    1896(明治29)年8月11日、北海道北部で皆既日食が見られたが、当日の各測候所の速報によると釧路では見られたものの、厚岸、根室は曇り、網走は雷雨、紋別も曇りで観測できなかったようである=1896(明治29)年8月11日、東京日日新聞
  • 1936(昭和11)年6月19日、北海道北東部での皆既日食当日の紙面。「日食の科学的観測が始まって70年、観測の条件においては千載一遇ともいうべき恵まれたものであるが、しかもなおすべてを託するはわずかに“2分間”である。文字通り運を天に任せてこの瞬間を待つ真摯(しんし)な科学者の情熱を思えば、ただ晴れよ!とばかりに祈らずにはおれない」=1936(昭和11)年6月19日、大阪毎日新聞朝刊
    1936(昭和11)年6月19日、北海道北東部での皆既日食当日の紙面。「日食の科学的観測が始まって70年、観測の条件においては千載一遇ともいうべき恵まれたものであるが、しかもなおすべてを託するはわずかに“2分間”である。文字通り運を天に任せてこの瞬間を待つ真摯(しんし)な科学者の情熱を思えば、ただ晴れよ!とばかりに祈らずにはおれない」=1936(昭和11)年6月19日、大阪毎日新聞朝刊
  • ラジオで日食の全国リレー中継も行われた=1936(昭和11)年6月19日、大阪毎日新聞朝刊
    ラジオで日食の全国リレー中継も行われた=1936(昭和11)年6月19日、大阪毎日新聞朝刊
  • 北海道上斜里で日食を観測する人々=1936年(昭和11年)6月撮影
    北海道上斜里で日食を観測する人々=1936年(昭和11年)6月撮影
  • 6月19日に女満別で撮影された皆既日食の様子を伝える翌日発行の号外。この写真は女満別から仙台まで飛行機で運ばれ、仙台から東京までは汽車で送られた=1936(昭和11)年6月20日、東京日日新聞号外
    6月19日に女満別で撮影された皆既日食の様子を伝える翌日発行の号外。この写真は女満別から仙台まで飛行機で運ばれ、仙台から東京までは汽車で送られた=1936(昭和11)年6月20日、東京日日新聞号外
  • 大阪市動物園では「日食時における動物生態変化の観察」を試みたが、普段から新世界の電飾や夜間開園時の投光器や客のカメラのフラッシュに慣れていることもあってか、たいがいは平気なようであった=1936(昭和11)年6月20日、大阪毎日新聞朝刊
    大阪市動物園では「日食時における動物生態変化の観察」を試みたが、普段から新世界の電飾や夜間開園時の投光器や客のカメラのフラッシュに慣れていることもあってか、たいがいは平気なようであった=1936(昭和11)年6月20日、大阪毎日新聞朝刊
  • アイヌ日食祭=1936(昭和11)年6月撮影
    アイヌ日食祭=1936(昭和11)年6月撮影
  • 日中戦争の戦場、漢口でも皆既日食が見られた。ガラス板をロウソクの“すす”でいぶして、日食を見上げる漢口の市民 =1941(昭和16)年9月21日撮影
    日中戦争の戦場、漢口でも皆既日食が見られた。ガラス板をロウソクの“すす”でいぶして、日食を見上げる漢口の市民 =1941(昭和16)年9月21日撮影
  • 日中戦争の戦場、漢口でも皆既日食が見られた。皆既日食をいぶしガラスで見る女性たち=1941(昭和16)年9月21日撮影
    日中戦争の戦場、漢口でも皆既日食が見られた。皆既日食をいぶしガラスで見る女性たち=1941(昭和16)年9月21日撮影
  • 日中戦争の戦場、華中でも天体望遠鏡をすえて、皆既日食の観測を行った=1941(昭和16)年9月21日撮影
    日中戦争の戦場、華中でも天体望遠鏡をすえて、皆既日食の観測を行った=1941(昭和16)年9月21日撮影
  • 日食が観測できた都内の様子から。「上野の科学博物館では屋上の20ミリ望遠鏡を一般に開放して日食を公開したが、日曜日の行楽を兼ねた観衆約8000名が午前8時の開館と同時に殺到」「昼過ぎの帝都はどこへ行っても色ガラス片手の天文ファンで大にぎわい」「観測用メガネを1個20銭で売る人も。4年前の北海道の日食の時の売れ残りをストックしてこの日を待った」=1941(昭和16)年9月22日、東京日日新聞朝刊
    日食が観測できた都内の様子から。「上野の科学博物館では屋上の20ミリ望遠鏡を一般に開放して日食を公開したが、日曜日の行楽を兼ねた観衆約8000名が午前8時の開館と同時に殺到」「昼過ぎの帝都はどこへ行っても色ガラス片手の天文ファンで大にぎわい」「観測用メガネを1個20銭で売る人も。4年前の北海道の日食の時の売れ残りをストックしてこの日を待った」=1941(昭和16)年9月22日、東京日日新聞朝刊
  • 礼文島で見られた金環食の様子を伝える翌日の紙面。この時の金環食は極めて皆既日食に近く、太陽と月が重なったときに輪を描くには至らず、図のように月の表面のわずかな谷間から太陽の光が数珠のように見える「ベイリーの数珠」という現象が見られた=1948(昭和23)年5月10日、毎日新聞朝刊
    礼文島で見られた金環食の様子を伝える翌日の紙面。この時の金環食は極めて皆既日食に近く、太陽と月が重なったときに輪を描くには至らず、図のように月の表面のわずかな谷間から太陽の光が数珠のように見える「ベイリーの数珠」という現象が見られた=1948(昭和23)年5月10日、毎日新聞朝刊
  • 礼文島金環食。アメリカ地理学協会、東京天文台の日米共同観測所を見学の小学生と村民ニュースのカメラマン。起登臼で=1948(昭和23)年5月撮影
    礼文島金環食。アメリカ地理学協会、東京天文台の日米共同観測所を見学の小学生と村民ニュースのカメラマン。起登臼で=1948(昭和23)年5月撮影
  • 礼文島金環食。ガラス片で見る起登臼の漁民=1948(昭和23)年5月9日撮影
    礼文島金環食。ガラス片で見る起登臼の漁民=1948(昭和23)年5月9日撮影
  • 礼文島金環食。大阪の電気科学館で日食を見る子供たち=1948(昭和23)年5月9日撮影
    礼文島金環食。大阪の電気科学館で日食を見る子供たち=1948(昭和23)年5月9日撮影
  • 9月12日の日食を控え、国立科学博物館で太陽を観測する子供たち=1950(昭和25)年9月撮影
    9月12日の日食を控え、国立科学博物館で太陽を観測する子供たち=1950(昭和25)年9月撮影
  • 銀座の街頭で日食観測をする人々=1955(昭和30)年6月撮影
    銀座の街頭で日食観測をする人々=1955(昭和30)年6月撮影
  • 八丈島で見られた金環食の様子を伝える紙面。国内で見られる20世紀最後の金環食であった。都内でも天気に恵まれ、学校、デパート、路上と各地で日食を楽しむ人々の姿が見られた=1958(昭和33)年4月19日、毎日新聞夕刊
    八丈島で見られた金環食の様子を伝える紙面。国内で見られる20世紀最後の金環食であった。都内でも天気に恵まれ、学校、デパート、路上と各地で日食を楽しむ人々の姿が見られた=1958(昭和33)年4月19日、毎日新聞夕刊
  • 金環食を観測する八丈島の小学校の児童=1958(昭和33)年4月撮影
    金環食を観測する八丈島の小学校の児童=1958(昭和33)年4月撮影
  • いろいろな器材を使い日食観測する小学生=1958年(昭和33)年4月撮影
    いろいろな器材を使い日食観測する小学生=1958年(昭和33)年4月撮影
  • 46年前に国内で観測された皆既日食。明け方に北海道で観測された「黒い日の出」。皆既の時間は日の出の一瞬、わずか20秒程であったが、この瞬間を撮ろうと網走の海岸には4000人ものアマチュアカメラマンが訪れた=1963(昭和38)年7月21日、毎日新聞夕刊
    46年前に国内で観測された皆既日食。明け方に北海道で観測された「黒い日の出」。皆既の時間は日の出の一瞬、わずか20秒程であったが、この瞬間を撮ろうと網走の海岸には4000人ものアマチュアカメラマンが訪れた=1963(昭和38)年7月21日、毎日新聞夕刊
  • 雲の隙間(すきま)から垣間見えた部分日食。大阪市北区=2002(平成14)年6月11日撮影
    雲の隙間(すきま)から垣間見えた部分日食。大阪市北区=2002(平成14)年6月11日撮影
  • オーストラリアで見られた皆既日食=2002(平成14)年12月4日撮影
    オーストラリアで見られた皆既日食=2002(平成14)年12月4日撮影
  • 南極皆既日食、南極のドーム基地で撮影された「ダイヤモンドリング」=2003(平成15)年11月24日撮影
    南極皆既日食、南極のドーム基地で撮影された「ダイヤモンドリング」=2003(平成15)年11月24日撮影
  • 南極のドーム基地前にこたつを持ち出し、日食を観測する隊員=2003(平成15)年11月24日撮影
    南極のドーム基地前にこたつを持ち出し、日食を観測する隊員=2003(平成15)年11月24日撮影
  • 皆既日食の観測のため、アメリカ政府はトッド博士を日本に派遣。日本政府も帝国大学理科大学教授の寺尾壽氏に白川(現・白河)で皆既日食の観測を命じた(記事中、天明5年五月朔日は正月朔日の誤り)=1887(明治20)年7月23日、東京日日新聞
    皆既日食の観測のため、アメリカ政府はトッド博士を日本に派遣。日本政府も帝国大学理科大学教授の寺尾壽氏に白川(現・白河)で皆既日食の観測を命じた(記事中、天明5年五月朔日は正月朔日の誤り)=1887(明治20)年7月23日、東京日日新聞
  • 1887(明治20)年8月19日の皆既日食に併せて内務省が発表した「白光(コロナ)写図心得」。新潟、福島、栃木、茨城など皆既日食が見える地域に住む人々にコロナの様子をスケッチするようにとの通達があった=1887(明治20)年8月6日、東京日日新聞
    1887(明治20)年8月19日の皆既日食に併せて内務省が発表した「白光(コロナ)写図心得」。新潟、福島、栃木、茨城など皆既日食が見える地域に住む人々にコロナの様子をスケッチするようにとの通達があった=1887(明治20)年8月6日、東京日日新聞
  • 白光(コロナ)写図心得の一部。「皆既の2、3分前に観測者は目を閉じ手ぬぐいで顔を覆い眼の力を鋭敏にすると良い。そして傍らにある一人が皆既の始まりを合図をもって、手早く手ぬぐいを取り、すぐにコロナの図を写すべし」=1887(明治20)年8月6日、東京日日新聞
    白光(コロナ)写図心得の一部。「皆既の2、3分前に観測者は目を閉じ手ぬぐいで顔を覆い眼の力を鋭敏にすると良い。そして傍らにある一人が皆既の始まりを合図をもって、手早く手ぬぐいを取り、すぐにコロナの図を写すべし」=1887(明治20)年8月6日、東京日日新聞
  • 皆既日食を見るために東京・横浜から白河への臨時列車や犬吠崎沖の海上から観察するための船も出た。仕事で観測に行く人には申し出れば割引も=1887(明治20)年8月19日、東京日日新聞
    皆既日食を見るために東京・横浜から白河への臨時列車や犬吠崎沖の海上から観察するための船も出た。仕事で観測に行く人には申し出れば割引も=1887(明治20)年8月19日、東京日日新聞
  • 各地の第一報と、東京での様子を伝えた紙面(部分拡大したもの)。「太陽はまるで糸のように細くなり、周囲は蒼白色となり電燈の下で物を見ているようである。冷気を感じるのもまた一つの特異現象か。太陽の東南に帝座(ヘラクレス座)の一等星が3、4個と金星と水星の二つも見られた。午後より往来の人も少なくなり、最大の食の時には一時銀座の大通りも人通りがなく、大川筋の船の運航も止まった。店も客がなく、寄席も休みに」=1887(明治20)年8月20日、東京日日新聞付録
    各地の第一報と、東京での様子を伝えた紙面(部分拡大したもの)。「太陽はまるで糸のように細くなり、周囲は蒼白色となり電燈の下で物を見ているようである。冷気を感じるのもまた一つの特異現象か。太陽の東南に帝座(ヘラクレス座)の一等星が3、4個と金星と水星の二つも見られた。午後より往来の人も少なくなり、最大の食の時には一時銀座の大通りも人通りがなく、大川筋の船の運航も止まった。店も客がなく、寄席も休みに」=1887(明治20)年8月20日、東京日日新聞付録
  • 同日福島県白河で取材した特派員の記事。「皆既時には温度が最も低く肌寒さを感じ、空は暗く時計の針を見ることができないので、寺の僧がランプを持ってきたが、その暗さはまるで今の午後7時半のようだった。今までうるさく泣いていたセミも鳴きやみ鈴虫等が鳴き始めたのは、実に奇妙な光景であった」=1887(明治20)年8月21日、東京日日新聞
    同日福島県白河で取材した特派員の記事。「皆既時には温度が最も低く肌寒さを感じ、空は暗く時計の針を見ることができないので、寺の僧がランプを持ってきたが、その暗さはまるで今の午後7時半のようだった。今までうるさく泣いていたセミも鳴きやみ鈴虫等が鳴き始めたのは、実に奇妙な光景であった」=1887(明治20)年8月21日、東京日日新聞

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