アート

原爆の図丸木美術館50周年 次の世代へ

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
[15/29]
  • 「原爆の図丸木美術館」開館記念日の集いで、本橋成一さん(奥左)と小室等さん(同右)の対談を聞く来館者=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
    「原爆の図丸木美術館」開館記念日の集いで、本橋成一さん(奥左)と小室等さん(同右)の対談を聞く来館者=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 開館50周年記念日を迎えた「原爆の図丸木美術館」で、保存基金への協力を呼びかける神奈川県立近代美術館の水沢勉館長=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
    開館50周年記念日を迎えた「原爆の図丸木美術館」で、保存基金への協力を呼びかける神奈川県立近代美術館の水沢勉館長=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 「原爆の図丸木美術館」の開館記念日の旗。三角形の小さい旗は、来館者などさまざまな人々が平和への祈りを込めて作った=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
    「原爆の図丸木美術館」の開館記念日の旗。三角形の小さい旗は、来館者などさまざまな人々が平和への祈りを込めて作った=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 小室等さんとの対談で、丸木夫妻の思い出を語る本橋成一さん。「夫婦なんだけど、恋愛ごっこをしているようなお二人だった」=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
    小室等さんとの対談で、丸木夫妻の思い出を語る本橋成一さん。「夫婦なんだけど、恋愛ごっこをしているようなお二人だった」=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 小室等さんは「この絵を見た時に、壮絶であるにも関わらず、その中の『美』に気がつく子どもが少なからずいると思う。その美しさを発見できるのが、人間の素晴らしさ」と語った=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
    小室等さんは「この絵を見た時に、壮絶であるにも関わらず、その中の『美』に気がつく子どもが少なからずいると思う。その美しさを発見できるのが、人間の素晴らしさ」と語った=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • コンサートで、原爆投下の日が「今日でありつづける」という谷川俊太郎さんの詩に曲を付けた「その日」などを歌う小室等さん。会場から盛んな拍手がおくられ、涙ぐむ人もいた。背景は丸木夫妻の「アウシュビッツ」=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
    コンサートで、原爆投下の日が「今日でありつづける」という谷川俊太郎さんの詩に曲を付けた「その日」などを歌う小室等さん。会場から盛んな拍手がおくられ、涙ぐむ人もいた。背景は丸木夫妻の「アウシュビッツ」=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • ワークショップで、フィルムケースや桃の種、数珠玉などをつかったマラカスづくりに挑戦する女の子=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
    ワークショップで、フィルムケースや桃の種、数珠玉などをつかったマラカスづくりに挑戦する女の子=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 開館50周年特別展示の本橋成一写真展「ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界」。本橋さんは1980年代に夫妻のもとに通い、撮影を重ねた=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
    開館50周年特別展示の本橋成一写真展「ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界」。本橋さんは1980年代に夫妻のもとに通い、撮影を重ねた=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 美術館の南側を流れる都幾川(ときがわ)。奥が本流。丸木位里は「まア、川があったから、ここに来たのよ。いまは、どこ行ってもこんないいとこはない、と思っとんの」(本橋成一写真録「ふたりの画家 丸木位里・俊の世界」より)。故郷、広島を流れる太田川の風景に似ていたという。毎年8月6日にはひろしま原爆忌として灯籠流しがおこなわれる
    美術館の南側を流れる都幾川(ときがわ)。奥が本流。丸木位里は「まア、川があったから、ここに来たのよ。いまは、どこ行ってもこんないいとこはない、と思っとんの」(本橋成一写真録「ふたりの画家 丸木位里・俊の世界」より)。故郷、広島を流れる太田川の風景に似ていたという。毎年8月6日にはひろしま原爆忌として灯籠流しがおこなわれる
  • 都幾川のほとりに自生する菜の花。丸木夫妻と親しかった作家の石牟礼道子は「ああここは、むかしむかしの国ではあるまいか。万葉あたりの郎女(いらつめ)たちの住むところ」とたたえた(岡村幸宣「《原爆の図》のある美術館 丸木位里、俊の世界を伝える」より)
    都幾川のほとりに自生する菜の花。丸木夫妻と親しかった作家の石牟礼道子は「ああここは、むかしむかしの国ではあるまいか。万葉あたりの郎女(いらつめ)たちの住むところ」とたたえた(岡村幸宣「《原爆の図》のある美術館 丸木位里、俊の世界を伝える」より)
  • 「原爆の図丸木美術館」へ続く道。小鳥がさえずる中を歩く
    「原爆の図丸木美術館」へ続く道。小鳥がさえずる中を歩く
  • 丸木美術館の外観。向かって右手側を都幾川が流れる
    丸木美術館の外観。向かって右手側を都幾川が流れる
  • 丸木美術館の学芸員、岡村幸宣さん。「(丸木夫妻にとって)自然の中で、地面に根を下ろすようにして生きる、ということが、すごく大事だったんだと思う。戦災や混乱を描いた二人の絵はすごく厳しいのだけれど、根底の哲学みたいなものは、この土地に立ってはじめて分かる、という気がする」
    丸木美術館の学芸員、岡村幸宣さん。「(丸木夫妻にとって)自然の中で、地面に根を下ろすようにして生きる、ということが、すごく大事だったんだと思う。戦災や混乱を描いた二人の絵はすごく厳しいのだけれど、根底の哲学みたいなものは、この土地に立ってはじめて分かる、という気がする」
  • 「原爆の図第2部 火」を鑑賞する埼玉県内在住の矢内さん夫妻。三、四十年ぶりに来館したといい、「若かったときは悲惨な描写ばかりが気になり、目を背けたいような気持ちにもなった。年齢を重ねた今、『どうしてこんなふうに描かねばならなかったのか』『人間の本質は悪なのか』と、内面的な事に思いが至るようになった」
    「原爆の図第2部 火」を鑑賞する埼玉県内在住の矢内さん夫妻。三、四十年ぶりに来館したといい、「若かったときは悲惨な描写ばかりが気になり、目を背けたいような気持ちにもなった。年齢を重ねた今、『どうしてこんなふうに描かねばならなかったのか』『人間の本質は悪なのか』と、内面的な事に思いが至るようになった」
  • 虫食い跡の白い部分が点在する「原爆の図第8部 救出」の右端に描かれた少女
    虫食い跡の白い部分が点在する「原爆の図第8部 救出」の右端に描かれた少女
  • 本館2階の「小高(おだか)文庫」は、かつて丸木夫妻のアトリエだった休憩室兼図書室。自然光の中、ゆったり過ごすことができる
    本館2階の「小高(おだか)文庫」は、かつて丸木夫妻のアトリエだった休憩室兼図書室。自然光の中、ゆったり過ごすことができる
  • 「ご自由にお描きください 丸木俊さんは、『だれでも絵かきじゃよ』というのがいつもの口ぐせでした。絵を描いたことのないかたこそ、このながめのよいアトリエで、気分晴らしにらくがきなさってみてはいかがですか」。小高文庫には絵を描くためのクレヨンや紙が置いてあり、こんなメッセージが添えられている。
    「ご自由にお描きください 丸木俊さんは、『だれでも絵かきじゃよ』というのがいつもの口ぐせでした。絵を描いたことのないかたこそ、このながめのよいアトリエで、気分晴らしにらくがきなさってみてはいかがですか」。小高文庫には絵を描くためのクレヨンや紙が置いてあり、こんなメッセージが添えられている。
  • 小高文庫に置かれている丸木夫妻の遺品
    小高文庫に置かれている丸木夫妻の遺品
  • 丸木美術館本館2階からの眺望。手前の建物は、被爆した丸木家の古材を広島市三滝町から運んで建てた観音堂。観音像も広島で安置されていたもの
    丸木美術館本館2階からの眺望。手前の建物は、被爆した丸木家の古材を広島市三滝町から運んで建てた観音堂。観音像も広島で安置されていたもの
  • 本館から新館への通路部分。丸木俊は「つぎはぎの美術館なの。フフフ。つぎはぎは好きよ、わりと。みんな、すぐ壊しちゃって、新しく建てるでしょ」と語っている(「ふたりの画家」より)
    本館から新館への通路部分。丸木俊は「つぎはぎの美術館なの。フフフ。つぎはぎは好きよ、わりと。みんな、すぐ壊しちゃって、新しく建てるでしょ」と語っている(「ふたりの画家」より)
  • 丸木位里の頭部像
    丸木位里の頭部像
  • 丸木俊の頭部像
    丸木俊の頭部像
  • 丸木スマの頭部像
    丸木スマの頭部像
  • 「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」。丸木スマの言葉が、丸木位里の書で刻まれた石碑。駐車場奥にある
    「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」。丸木スマの言葉が、丸木位里の書で刻まれた石碑。駐車場奥にある
  • 丸木夫妻の晩年のアトリエだった「流々庵」。休憩室として開放されている
    丸木夫妻の晩年のアトリエだった「流々庵」。休憩室として開放されている
  • 穏やかな表情で中庭から美術館を望む丸木位里の立像
    穏やかな表情で中庭から美術館を望む丸木位里の立像
  • 開館記念日に来館した地元・埼玉県立松山高校の新聞部員3人に「何を伝えたいか」を尋ねてみた。伊勢崎太一郎さん(1年)は「『原爆の図』の制作過程について。写真展で丸木夫妻の素顔を見て、怖い人たちではなかったんだと知ることができた」。高橋永次さん(同)は「火に囲まれたり、逃げたり…授業で習う知識以外のこと、本当のつらさを伝えたい」。堀野祐人さん(同)は「戦争を経験した人が少なくなっている中、作品を保存することの重要性などを訴えたい」。写真は、本橋成一写真展の一部=2017年5月5日、岡本同世
    開館記念日に来館した地元・埼玉県立松山高校の新聞部員3人に「何を伝えたいか」を尋ねてみた。伊勢崎太一郎さん(1年)は「『原爆の図』の制作過程について。写真展で丸木夫妻の素顔を見て、怖い人たちではなかったんだと知ることができた」。高橋永次さん(同)は「火に囲まれたり、逃げたり…授業で習う知識以外のこと、本当のつらさを伝えたい」。堀野祐人さん(同)は「戦争を経験した人が少なくなっている中、作品を保存することの重要性などを訴えたい」。写真は、本橋成一写真展の一部=2017年5月5日、岡本同世
  • 「俊は根っからの油絵の絵描き。で、わしゃあ、根っからの墨絵の絵描き。まあ、水と油ちゅうこと。フフフ。それが一緒に絵を描いとる。『原爆の図』からはじまったんじゃ」(「ふたりの画家」より)。美術館の外のベンチに座る丸木位里、俊夫妻。本橋成一写真展の一部
    「俊は根っからの油絵の絵描き。で、わしゃあ、根っからの墨絵の絵描き。まあ、水と油ちゅうこと。フフフ。それが一緒に絵を描いとる。『原爆の図』からはじまったんじゃ」(「ふたりの画家」より)。美術館の外のベンチに座る丸木位里、俊夫妻。本橋成一写真展の一部
  • 丸木美術館の外のベンチに腰掛けると、目の前に広がる自然の景色を楽しむことができる=2020年6月21日、岡本同世撮影
    丸木美術館の外のベンチに腰掛けると、目の前に広がる自然の景色を楽しむことができる=2020年6月21日、岡本同世撮影
  • 「原爆の図丸木美術館」開館記念日の集いで、本橋成一さん(奥左)と小室等さん(同右)の対談を聞く来館者=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 開館50周年記念日を迎えた「原爆の図丸木美術館」で、保存基金への協力を呼びかける神奈川県立近代美術館の水沢勉館長=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 「原爆の図丸木美術館」の開館記念日の旗。三角形の小さい旗は、来館者などさまざまな人々が平和への祈りを込めて作った=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 小室等さんとの対談で、丸木夫妻の思い出を語る本橋成一さん。「夫婦なんだけど、恋愛ごっこをしているようなお二人だった」=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 小室等さんは「この絵を見た時に、壮絶であるにも関わらず、その中の『美』に気がつく子どもが少なからずいると思う。その美しさを発見できるのが、人間の素晴らしさ」と語った=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • コンサートで、原爆投下の日が「今日でありつづける」という谷川俊太郎さんの詩に曲を付けた「その日」などを歌う小室等さん。会場から盛んな拍手がおくられ、涙ぐむ人もいた。背景は丸木夫妻の「アウシュビッツ」=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • ワークショップで、フィルムケースや桃の種、数珠玉などをつかったマラカスづくりに挑戦する女の子=埼玉県東松山市で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 開館50周年特別展示の本橋成一写真展「ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界」。本橋さんは1980年代に夫妻のもとに通い、撮影を重ねた=埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で2017年5月5日、岡本同世撮影
  • 美術館の南側を流れる都幾川(ときがわ)。奥が本流。丸木位里は「まア、川があったから、ここに来たのよ。いまは、どこ行ってもこんないいとこはない、と思っとんの」(本橋成一写真録「ふたりの画家 丸木位里・俊の世界」より)。故郷、広島を流れる太田川の風景に似ていたという。毎年8月6日にはひろしま原爆忌として灯籠流しがおこなわれる
  • 都幾川のほとりに自生する菜の花。丸木夫妻と親しかった作家の石牟礼道子は「ああここは、むかしむかしの国ではあるまいか。万葉あたりの郎女(いらつめ)たちの住むところ」とたたえた(岡村幸宣「《原爆の図》のある美術館 丸木位里、俊の世界を伝える」より)
  • 「原爆の図丸木美術館」へ続く道。小鳥がさえずる中を歩く
  • 丸木美術館の外観。向かって右手側を都幾川が流れる
  • 丸木美術館の学芸員、岡村幸宣さん。「(丸木夫妻にとって)自然の中で、地面に根を下ろすようにして生きる、ということが、すごく大事だったんだと思う。戦災や混乱を描いた二人の絵はすごく厳しいのだけれど、根底の哲学みたいなものは、この土地に立ってはじめて分かる、という気がする」
  • 「原爆の図第2部 火」を鑑賞する埼玉県内在住の矢内さん夫妻。三、四十年ぶりに来館したといい、「若かったときは悲惨な描写ばかりが気になり、目を背けたいような気持ちにもなった。年齢を重ねた今、『どうしてこんなふうに描かねばならなかったのか』『人間の本質は悪なのか』と、内面的な事に思いが至るようになった」
  • 虫食い跡の白い部分が点在する「原爆の図第8部 救出」の右端に描かれた少女
  • 本館2階の「小高(おだか)文庫」は、かつて丸木夫妻のアトリエだった休憩室兼図書室。自然光の中、ゆったり過ごすことができる
  • 「ご自由にお描きください 丸木俊さんは、『だれでも絵かきじゃよ』というのがいつもの口ぐせでした。絵を描いたことのないかたこそ、このながめのよいアトリエで、気分晴らしにらくがきなさってみてはいかがですか」。小高文庫には絵を描くためのクレヨンや紙が置いてあり、こんなメッセージが添えられている。
  • 小高文庫に置かれている丸木夫妻の遺品
  • 丸木美術館本館2階からの眺望。手前の建物は、被爆した丸木家の古材を広島市三滝町から運んで建てた観音堂。観音像も広島で安置されていたもの
  • 本館から新館への通路部分。丸木俊は「つぎはぎの美術館なの。フフフ。つぎはぎは好きよ、わりと。みんな、すぐ壊しちゃって、新しく建てるでしょ」と語っている(「ふたりの画家」より)
  • 丸木位里の頭部像
  • 丸木俊の頭部像
  • 丸木スマの頭部像
  • 「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」。丸木スマの言葉が、丸木位里の書で刻まれた石碑。駐車場奥にある
  • 丸木夫妻の晩年のアトリエだった「流々庵」。休憩室として開放されている
  • 穏やかな表情で中庭から美術館を望む丸木位里の立像
  • 開館記念日に来館した地元・埼玉県立松山高校の新聞部員3人に「何を伝えたいか」を尋ねてみた。伊勢崎太一郎さん(1年)は「『原爆の図』の制作過程について。写真展で丸木夫妻の素顔を見て、怖い人たちではなかったんだと知ることができた」。高橋永次さん(同)は「火に囲まれたり、逃げたり…授業で習う知識以外のこと、本当のつらさを伝えたい」。堀野祐人さん(同)は「戦争を経験した人が少なくなっている中、作品を保存することの重要性などを訴えたい」。写真は、本橋成一写真展の一部=2017年5月5日、岡本同世
  • 「俊は根っからの油絵の絵描き。で、わしゃあ、根っからの墨絵の絵描き。まあ、水と油ちゅうこと。フフフ。それが一緒に絵を描いとる。『原爆の図』からはじまったんじゃ」(「ふたりの画家」より)。美術館の外のベンチに座る丸木位里、俊夫妻。本橋成一写真展の一部
  • 丸木美術館の外のベンチに腰掛けると、目の前に広がる自然の景色を楽しむことができる=2020年6月21日、岡本同世撮影

あわせて読みたい

ニュース特集