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【20代・女性①-1】言うことを聞かない息子をカッとなって外に閉め出した後、玄関でそっと抱きしめた。母は精神的に不安定で、激しい暴力と自傷を繰り返した。同じシングルマザーになり、感情をコントロールできずに息子につらく当たってしまう今の自分の姿が、かつての母と重なる。「私は『普通の母親』にはなれないのかな」。精神的にも経済的にも余裕のない生活の中で、後悔を繰り返している=2019年10月、喜屋武真之介撮影
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【20代・女性①-2】3歳の息子を寝かしつけた後は、起こさないように台所以外の明かりを消して家事をする。未婚の母として出産し、妊娠中から生活保護を受給している。「早く自立したい」。週5、6日は朝から夕方までコンビニで働くが、子供の体調を崩したりすれば仕事は休まざるを得ず、収入は安定しない。仕事に追われ心身共に疲弊した状態が続くと、子育てにも余裕がなくなる=2019年7月、喜屋武真之介撮影
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【20代・女性①-3】リストカットの傷跡にそっと触れ、「いたい?」と尋ねる3歳の息子に「痛くないよ」と答えた。中学3年で保護され、児童自立支援施設へ入った。「それまでは不安定な母をなんとかしないと思い耐えていたが、離れたことでかえって自分をコントロールできなくなった」と、周りへの暴力と激しい自傷行為を繰り返すようになった。出産後も何度かリストカットしたが、精神的な不安定さを理由に何度が息子が一時保護されたため、最近は懸命に我慢している=2019年1月、喜屋武真之介撮影
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【40代・女性②-1】ぬいぐるみに安らぎを求め、夜もそばにないと眠れない。幼い頃から家には母が決めたルールの一覧が貼られ、ダメ出しや暴力で毎日反省を強いられた。「ほめられたことはない」。子供らしい物を禁じられていた反動で、大人になり衝動的にぬいぐるみを買い求めるように。摂食障害などに苦しみ、治療で母の過干渉が原因と知った。内緒で転居し、分籍もして関係を断ったが、「いつか突然会いに来るかもしれない」。その恐怖をぬぐえずにいる=2019年7月、喜屋武真之介撮影
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【40代・女性②―2】トラウマ治療のために受けた精神科のプログラムで、幼い頃に母にガムテープで口をふさがれた記憶がフラッシュバックし、布団の上で馬乗りになる母の表情や服装、アパートの風景まで鮮明によみがえった。それきっかけに、店などでガムテープを見るだけで立っていられないほどに気分が悪くなるように。その後も治療を続け症状は改善したが、「まだふたをしている記憶があるかも知れない」と語る=2019年7月、喜屋武真之介撮影
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【40代・男性③-1】呼びかけると笑顔で駆け寄ってくる子どもたち。3歳だった弟は35年前に父の暴行後に死んだ。当時は事件にもならなかった。暴力におびえ、助けられなかったことを今も悔いる。「しつけのつもりだった」。今年死んだ父はそう振り返った。自身も2児の親となり、子育ての大変さは理解できる。「でも、手をあげる必要はない」。決して繰り返しはしない覚悟で、子どもたちと向き合っている=2019年4月、喜屋武真之介撮影
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【40代・男性③-2】わずかにゆがんだ警棒は、父の暴力の証だ。中学生の時にこれ以上殴られないようと隠し、今も捨てられずにいる。アイロンを押しつけられ、冬に裸で外に閉め出されたこともある。「死ぬ勇気のない自分が嫌いだった。よく生きていたなと思う」。3歳だった弟は父の暴行後に風呂場に閉じ込められ、様子を見に行くと浴槽に浮かんでいた。弟の名前が由来の「橋本隆生」(https://ameblo.jp/hashiryuu/)という活動名で虐待サバイバーとして講演などを続けるのも、「弟のように命を落とす子ども減らしたい」という思いからだ。昨年には当事者グループ「インタナリバティ プロジェクト」(https://internareberty.hatenablog.com/)を結成して活動の幅を広げている=2019年4月、喜屋武真之介撮影=2019年4月、喜屋武真之介撮影
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【40代・女性④-1】絵に描いた自分の心の姿は、消しゴムで入念に消し去った。母は交際相手優先で、再婚後も義父の暴力や性的虐待を見て見ぬふりだった。「守ってもらえなかった」。母への怒りと、「愛されなかった存在」としての自尊心の低さが今も消えない。中学で親元を離れ、その後夢だった漫画家になった。結婚し、男児にも恵まれたが、虐待の経験からスキンシップに嫌悪感を覚えることも。「子供は愛しい。でも、母親をやめたいと、時々思う」=2019年10月、喜屋武真之介撮影
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【40代・女性④-2】母は頻繁に交際相手を変えた。激しい暴力を振るう相手と付き合っていた時は、一人で家を飛び出して何日も帰ってこないこともあった。母を探し夜の公園をさまよった記憶。「愛されていなかったのか」。20歳で漫画家としてデビューし、過労で倒れ入院するほど仕事に没頭した。「仕事に依存することで何とか生きてこられた」と振り返る=2019年10月、喜屋武真之介撮
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【30代・女性⑤-1】娘にねだられ買ったスカート型の水着。「着せたくない」のが本音だ。義父から性的虐待を受けた経験から、娘に「女の子」らしい姿をさせることに強い抵抗感がある。これまでは腕や足をさらさない水着を着せていたが、成長するに従い周りの子どもの影響は避けられなくなった。「私の心の問題で子どもに不自由はさせたくない」と購入に踏み切ったが、娘が着た姿を見るのを避けるため、プールなどの付き添いは全て夫に任せている=2019年10月、喜屋武真之介撮影
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【30代・女性⑤-2】母から孫である娘あてに届いた手紙を、ためらうことなく破り捨てた。時折送られてくるが、見せることはない。約10年にわたった義父の性的虐待を、母は気づかないふりをした。その後離婚したが「親らしいこともせず、何を今さら」。15歳ごろから自傷行為や薬の過剰摂取を繰り返すようになり、体調を崩して入院することもあったが、社会人となり結婚もして、「乗り越えたと思っていた」。しかし、産まれた娘が成長するにつれ昔の自分と重なり、虐待の記憶が鮮明によみがえるように。「まだ終わっていないと思うと、絶望的な気分になった」。娘だけでなく、夫と接することも難しくなり、トラウマ治療を始めて2年半。過去と向き合う精神的な負担は大きいが、「娘のそばにいたい。だから続けられる」=2019年10月、喜屋武真之介撮影