東日本大震災9年 巡る「仮設」の春

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
[1/13]
  •                 福島第1原発事故後、大熊町から避難した斎藤やよいさん(中央奥)一家が8年あまり暮らす木造仮設住宅の木の柱には、6人の子供たちの成長をしるした跡が残る。子供たちがよじ登って遊び、消えかかった線も多い。斎藤さんは「事故当時おなかの中にいた末っ子の輝(右から2人目)がここまで大きくなったと思うと、時間の長さを感じる」=福島県会津若松市で2020年1月31日、和田大典撮影
    福島第1原発事故後、大熊町から避難した斎藤やよいさん(中央奥)一家が8年あまり暮らす木造仮設住宅の木の柱には、6人の子供たちの成長をしるした跡が残る。子供たちがよじ登って遊び、消えかかった線も多い。斎藤さんは「事故当時おなかの中にいた末っ子の輝(右から2人目)がここまで大きくなったと思うと、時間の長さを感じる」=福島県会津若松市で2020年1月31日、和田大典撮影 記事本文を読む
  • 家族で食卓を囲む大谷雄二さん(左奥)一家。震災当時はまだ小学生だった長男一真さん(右奥)、次男海雅さん(手前左)も成長し、仮設住宅での暮らしは窮屈になった。3部屋しかないため、リビングは雄二さんの寝室も兼ねており、妻潤子さんと海雅さんは今も同じ部屋で寝ている。造成の遅れていた高台に自宅を再建し、3月中には引っ越す予定だ=岩手県陸前高田市で2020年2月2日、喜屋武真之介撮影
    家族で食卓を囲む大谷雄二さん(左奥)一家。震災当時はまだ小学生だった長男一真さん(右奥)、次男海雅さん(手前左)も成長し、仮設住宅での暮らしは窮屈になった。3部屋しかないため、リビングは雄二さんの寝室も兼ねており、妻潤子さんと海雅さんは今も同じ部屋で寝ている。造成の遅れていた高台に自宅を再建し、3月中には引っ越す予定だ=岩手県陸前高田市で2020年2月2日、喜屋武真之介撮影 記事本文を読む
  • 草野主馬さんは仮設住宅で約8年間ひとりで暮らしてきた。震災前は福島県富岡町で弟と土木関係の仕事をしながら農業の勉強をし、ゆくゆくは農業体験の場を作ろうと準備を進めていた。原発事故で仕事と目標を失い親戚とも疎遠になった。最近は仮設の住人も減りほとんど会話もしていない。同町民への仮設供与は3月末で終わるため古里に戻る。「俺が知ってた富岡とはもう違う。だけど、また人とのつながりが戻ると良いな」=福島県郡山市で2020年2月14日、北山夏帆撮影
    草野主馬さんは仮設住宅で約8年間ひとりで暮らしてきた。震災前は福島県富岡町で弟と土木関係の仕事をしながら農業の勉強をし、ゆくゆくは農業体験の場を作ろうと準備を進めていた。原発事故で仕事と目標を失い親戚とも疎遠になった。最近は仮設の住人も減りほとんど会話もしていない。同町民への仮設供与は3月末で終わるため古里に戻る。「俺が知ってた富岡とはもう違う。だけど、また人とのつながりが戻ると良いな」=福島県郡山市で2020年2月14日、北山夏帆撮影 記事本文を読む
  • 「行ってくっぞ」。津波で孫の理子さん(当時11歳)ら家族4人を亡くした鈴木堅一さんは、1人で暮らす仮設住宅から外出する際には「出入りの時はいつも見たい」と玄関先にかけた理子さんのランドセルを軽くたたいて、心の中で声をかける。春には自宅の再建が始められる見通しで「4人が見つかった時、家建ててそこで供養してやっからって約束したんだ。もうしばらくで自分の家に帰れるかんな」=岩手県釜石市で2020年2月25日、和田大典撮影
    「行ってくっぞ」。津波で孫の理子さん(当時11歳)ら家族4人を亡くした鈴木堅一さんは、1人で暮らす仮設住宅から外出する際には「出入りの時はいつも見たい」と玄関先にかけた理子さんのランドセルを軽くたたいて、心の中で声をかける。春には自宅の再建が始められる見通しで「4人が見つかった時、家建ててそこで供養してやっからって約束したんだ。もうしばらくで自分の家に帰れるかんな」=岩手県釜石市で2020年2月25日、和田大典撮影 記事本文を読む
  • 宮城県気仙沼市の仮設住宅集会所でのお茶会。元住民らの輪に、個人で支援活動を続ける村上充さん(左奥)の姿も。自身も被災し、高齢者が多かった避難所で「自分が一番動ける」と活動を始めた。現在は医療相談などでボランティアと住民をつなぐ。「弱者への支援が足りない。小回りがきく、軽自動車のような支援が必要だ」。災害公営住宅の住民や在宅被災者への「草の根の活動」を続けていく=2020年2月14日、小川昌宏撮影
    宮城県気仙沼市の仮設住宅集会所でのお茶会。元住民らの輪に、個人で支援活動を続ける村上充さん(左奥)の姿も。自身も被災し、高齢者が多かった避難所で「自分が一番動ける」と活動を始めた。現在は医療相談などでボランティアと住民をつなぐ。「弱者への支援が足りない。小回りがきく、軽自動車のような支援が必要だ」。災害公営住宅の住民や在宅被災者への「草の根の活動」を続けていく=2020年2月14日、小川昌宏撮影 記事本文を読む
  • 岩手県山田町の仮設団地まで30分かけて坂道を上り、玄関先で大きな籠を下ろす鈴木リヤ子さん(78)。昨年の台風19号で自宅が被災し仮設暮らしになった。「震災で壊れた家を建て直した後での台風。厳しい寒さもあって疲れてしまった」=2020年2月7日、滝川大貴撮影
    岩手県山田町の仮設団地まで30分かけて坂道を上り、玄関先で大きな籠を下ろす鈴木リヤ子さん(78)。昨年の台風19号で自宅が被災し仮設暮らしになった。「震災で壊れた家を建て直した後での台風。厳しい寒さもあって疲れてしまった」=2020年2月7日、滝川大貴撮影 記事本文を読む
  • 昼下がり、のれんを下ろして一息つく仮設商店街「おがつ店こ屋街」の定食屋店主・上山政彦さん(50)。新たな防潮堤に雄勝湾の景色が遮られて寂しさを感じたが、友人が撮影し幅約4メートルに伸ばした写真(後方)が気持ちを前向きにしてくれた。商店街は観光物産交流施設完成に伴い近く撤去される。「いったん商売に区切りを付けるが、かれても、朽ち果てても、雄勝で生きていきたい」=宮城県石巻市で2020年2月3日、和田大典撮影
    昼下がり、のれんを下ろして一息つく仮設商店街「おがつ店こ屋街」の定食屋店主・上山政彦さん(50)。新たな防潮堤に雄勝湾の景色が遮られて寂しさを感じたが、友人が撮影し幅約4メートルに伸ばした写真(後方)が気持ちを前向きにしてくれた。商店街は観光物産交流施設完成に伴い近く撤去される。「いったん商売に区切りを付けるが、かれても、朽ち果てても、雄勝で生きていきたい」=宮城県石巻市で2020年2月3日、和田大典撮影 記事本文を読む
  • 福島県会津若松市内にあるプレハブ校舎で音楽の授業中、ハンドベルの練習する大熊中学校の生徒たち。震災の年に同市内で再開した同校には当初約200人が通っていたが、避難住民がいわき市や郡山市などに生活基盤を移す中で生徒数は年々減ってきた。現在は仮設住宅などから2、3年生の5人が通う=2020年2月12日、和田大典撮影
    福島県会津若松市内にあるプレハブ校舎で音楽の授業中、ハンドベルの練習する大熊中学校の生徒たち。震災の年に同市内で再開した同校には当初約200人が通っていたが、避難住民がいわき市や郡山市などに生活基盤を移す中で生徒数は年々減ってきた。現在は仮設住宅などから2、3年生の5人が通う=2020年2月12日、和田大典撮影 記事本文を読む
  • 解体工事が進む仮設団地。敷地にはプレハブや駐車場の跡が残る。各地で役目を終えた仮設住宅の撤去作業が進められている=宮城県石巻市で2020年2月14日、小川昌宏撮影
    解体工事が進む仮設団地。敷地にはプレハブや駐車場の跡が残る。各地で役目を終えた仮設住宅の撤去作業が進められている=宮城県石巻市で2020年2月14日、小川昌宏撮影 記事本文を読む
  • 旧平石小学校応急仮設住宅で暮らしていた住民たちが開いたお茶会。仮設住宅は無くなり、復興住宅や自宅に戻る人など皆バラバラになったが今でも交流は続く。旧住民の橋本由利子(66)さんが理事長を務めるNPO法人の喫茶店で行われたお茶会では、笑顔が絶えることがなかった。橋本さんは「こうやって仮設の人たちで集まってお互いの顔を確かめるとほっとする」と話した=福島県二本松市で2020年1月15日、宮武祐希撮影
    旧平石小学校応急仮設住宅で暮らしていた住民たちが開いたお茶会。仮設住宅は無くなり、復興住宅や自宅に戻る人など皆バラバラになったが今でも交流は続く。旧住民の橋本由利子(66)さんが理事長を務めるNPO法人の喫茶店で行われたお茶会では、笑顔が絶えることがなかった。橋本さんは「こうやって仮設の人たちで集まってお互いの顔を確かめるとほっとする」と話した=福島県二本松市で2020年1月15日、宮武祐希撮影 記事本文を読む
  • 東日本大震災の被災自治体で最多となる7153戸が建設された宮城県石巻市のプレハブ仮設住宅で、最後の住人となった男性は1月17日の退去日を迎えた。前夜、仮設団地のなかで唯一明かりがともる部屋で退去準備をした。もとの自宅があった地域に戻るつもりだったが、土地の境界を巡る交渉がまとまらず、仮暮らしが長引いた。一時、災害公営住宅に移り、今年中には自宅の再建が始められる見通しだ。「仮設の生活は4、5年だと思っていた。本当の家が建った時に初めて気持ちが前向きになると思う」と話した=2020年1月16日、和田大典撮影
    東日本大震災の被災自治体で最多となる7153戸が建設された宮城県石巻市のプレハブ仮設住宅で、最後の住人となった男性は1月17日の退去日を迎えた。前夜、仮設団地のなかで唯一明かりがともる部屋で退去準備をした。もとの自宅があった地域に戻るつもりだったが、土地の境界を巡る交渉がまとまらず、仮暮らしが長引いた。一時、災害公営住宅に移り、今年中には自宅の再建が始められる見通しだ。「仮設の生活は4、5年だと思っていた。本当の家が建った時に初めて気持ちが前向きになると思う」と話した=2020年1月16日、和田大典撮影 記事本文を読む
  • 仮設住宅の集会所での医療相談を終え、参加したボランティア医師らと別れのあいさつを交わす村上充さん(左)。定期的に医師や整体師らも参加する相談会を、仮設住宅や災害公営住宅の住民、在宅被災者らを対象として開催している=宮城県気仙沼市で2020年1月19日、小川昌宏撮影
    仮設住宅の集会所での医療相談を終え、参加したボランティア医師らと別れのあいさつを交わす村上充さん(左)。定期的に医師や整体師らも参加する相談会を、仮設住宅や災害公営住宅の住民、在宅被災者らを対象として開催している=宮城県気仙沼市で2020年1月19日、小川昌宏撮影 記事本文を読む
  • 解体工事が進む仮設団地。各地で役目を終えた仮設住宅の撤去作業が進められている=宮城県石巻市で2020年2月14日、小川昌宏撮影
    解体工事が進む仮設団地。各地で役目を終えた仮設住宅の撤去作業が進められている=宮城県石巻市で2020年2月14日、小川昌宏撮影 記事本文を読む

あわせて読みたい

注目の特集