東日本大震災

東日本大震災定点写真・歩みつづけて

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  • 東日本大震災で津波と火災が発生し、壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町の中心部の夜景。人がいなくなり真っ暗になった町に車のライトだけが光っていたが、今では再建された住宅の明かりがともる(2011年3月、須賀川理撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
    東日本大震災で津波と火災が発生し、壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町の中心部の夜景。人がいなくなり真っ暗になった町に車のライトだけが光っていたが、今では再建された住宅の明かりがともる(2011年3月、須賀川理撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
  • 東日本大震災の大津波で大型漁船「第18共徳丸」が打ちあげられた宮城県気仙沼市鹿折地区。JR大船渡線の線路はバス専用道路となり、赤いBRTが乗客を乗せて走っていた(2011年3月、梅村直承撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
    東日本大震災の大津波で大型漁船「第18共徳丸」が打ちあげられた宮城県気仙沼市鹿折地区。JR大船渡線の線路はバス専用道路となり、赤いBRTが乗客を乗せて走っていた(2011年3月、梅村直承撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
  • 仙台市宮城野区の道路に大津波で流された数多くの車が残り、その間を縫うように被災した住民らが歩いた。現在は多くの乗用車が行き交う(2011年3月、手塚耕一郎撮影 2021年2月、玉城達郎撮影)
    仙台市宮城野区の道路に大津波で流された数多くの車が残り、その間を縫うように被災した住民らが歩いた。現在は多くの乗用車が行き交う(2011年3月、手塚耕一郎撮影 2021年2月、玉城達郎撮影)
  • 東京電力福島第1原発事故で全域が避難対象区域となった福島県大熊町。子どもの声が聞こえなくなった幼稚園に園児が戻ることはなく、園庭は雑草に覆われていた(2011年6月、川田雅浩撮影 2021年2月、渡部直樹撮影)
    東京電力福島第1原発事故で全域が避難対象区域となった福島県大熊町。子どもの声が聞こえなくなった幼稚園に園児が戻ることはなく、園庭は雑草に覆われていた(2011年6月、川田雅浩撮影 2021年2月、渡部直樹撮影)
  • 東日本大震災の津波だけでなく、大規模な火災で焼け野原と化した岩手県山田町の市街地。かさ上げされた場所に住宅や店舗などが再建された(2011年3月、久保玲撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
    東日本大震災の津波だけでなく、大規模な火災で焼け野原と化した岩手県山田町の市街地。かさ上げされた場所に住宅や店舗などが再建された(2011年3月、久保玲撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
  • 東京電力福島第1原発事故で立ち入りが規制された福島県浪江町の請戸地区で一時帰宅が行われ、防護服を着て沿岸部を歩く避難住民。現在は請戸漁港周辺を工事するトラックなどが行き交う(2011年5月、藤井太郎撮影 2021年1月、滝川大貴撮影)
    東京電力福島第1原発事故で立ち入りが規制された福島県浪江町の請戸地区で一時帰宅が行われ、防護服を着て沿岸部を歩く避難住民。現在は請戸漁港周辺を工事するトラックなどが行き交う(2011年5月、藤井太郎撮影 2021年1月、滝川大貴撮影)
  • 防潮堤を越える大津波で、多くの犠牲者が出た岩手県宮古市田老地区。震災後に道の駅(左)や市営田老野球場(左奥)ができた(2011年3月、木葉健二撮影 2021年2月、吉田航太撮影)
    防潮堤を越える大津波で、多くの犠牲者が出た岩手県宮古市田老地区。震災後に道の駅(左)や市営田老野球場(左奥)ができた(2011年3月、木葉健二撮影 2021年2月、吉田航太撮影)
  • 東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町志津川地区。震災後にかさ上げ工事が行われ、左には「南三陸さんさん商店街」が見える(2011年3月、三浦博之撮影 2021年2月、喜屋武真之介撮影)
    東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町志津川地区。震災後にかさ上げ工事が行われ、左には「南三陸さんさん商店街」が見える(2011年3月、三浦博之撮影 2021年2月、喜屋武真之介撮影)
  • 大津波で岩手県宮古市の鍬ケ崎地区に打ち上げられた観光船(右)。船は撤去され、住宅や商店などが再建された(2011年3月、木葉健二撮影 2021年2月、吉田航太撮影)
    大津波で岩手県宮古市の鍬ケ崎地区に打ち上げられた観光船(右)。船は撤去され、住宅や商店などが再建された(2011年3月、木葉健二撮影 2021年2月、吉田航太撮影)
  • 大津波と大規模火災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市の鹿折地区は、かさ上げ工事が行われ、住宅や商店などが並ぶ(2011年3月、手塚耕一郎撮影 2021年1月、北山夏帆撮影)
    大津波と大規模火災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市の鹿折地区は、かさ上げ工事が行われ、住宅や商店などが並ぶ(2011年3月、手塚耕一郎撮影 2021年1月、北山夏帆撮影)
  • 福島県大熊町は東京電力福島第1原発事故で警戒区域に指定され、JR大野駅前の商店街に人の姿はなかった。現在も立ち入り規制が続く商店街では一部の建物が取り壊された(2011年11月、武市公孝撮影 2021年2月、渡部直樹撮影)
    福島県大熊町は東京電力福島第1原発事故で警戒区域に指定され、JR大野駅前の商店街に人の姿はなかった。現在も立ち入り規制が続く商店街では一部の建物が取り壊された(2011年11月、武市公孝撮影 2021年2月、渡部直樹撮影)
  • 東日本大震災で甚大な被害を受け、岩手県内で最大の犠牲者を出した陸前高田市は、かさ上げ工事や防潮堤建設が進み、中心市街地には商業施設がオープンした(2011年3月、貝塚太一撮影 2021年1月、佐々木順一撮影)
    東日本大震災で甚大な被害を受け、岩手県内で最大の犠牲者を出した陸前高田市は、かさ上げ工事や防潮堤建設が進み、中心市街地には商業施設がオープンした(2011年3月、貝塚太一撮影 2021年1月、佐々木順一撮影)
  • 津波被害を受けた福島県いわき市のスーパーで店内を片付けるボランティアら。現在は震災前と同じ場所で営業を再開した(2011年4月、西本勝撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
    津波被害を受けた福島県いわき市のスーパーで店内を片付けるボランティアら。現在は震災前と同じ場所で営業を再開した(2011年4月、西本勝撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
  • 福島県双葉町の目抜き通りに掲げられていたPR看板「原子力明るい未来のエネルギー」は撤去されて無くなった。現在、双葉駅周辺地域の避難指示は解除され、宿泊はできないが、自由に立ち入りが可能となっている(2011年11月、宮本明登撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
    福島県双葉町の目抜き通りに掲げられていたPR看板「原子力明るい未来のエネルギー」は撤去されて無くなった。現在、双葉駅周辺地域の避難指示は解除され、宿泊はできないが、自由に立ち入りが可能となっている(2011年11月、宮本明登撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
  • 津波による大量のがれきが浮かんでいた岩手県大船渡市の須崎川。現在、JR大船渡駅前を流れる川は元の豊かさを取り戻している(2011年3月、西本勝撮影 2021年2月、佐々木順一撮影
    津波による大量のがれきが浮かんでいた岩手県大船渡市の須崎川。現在、JR大船渡駅前を流れる川は元の豊かさを取り戻している(2011年3月、西本勝撮影 2021年2月、佐々木順一撮影
  • 路線バスが大破したまま放置されていた岩手県釜石市大渡町の商店街には、2017年に完成した釜石市民ホール「TETTO」(奥)など新しい建物も並んでいた(2011年3月、鬼山親芳撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
    路線バスが大破したまま放置されていた岩手県釜石市大渡町の商店街には、2017年に完成した釜石市民ホール「TETTO」(奥)など新しい建物も並んでいた(2011年3月、鬼山親芳撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
  • 宮城県名取市(手前)から岩沼市(奥)にかけて沿岸一帯をのみ込みながら、内陸へと進む大津波。現在、中心を流れる運河「貞山堀」は平穏を取り戻し、中央には土台に震災がれきなどを用いた「千年希望の丘」(岩沼市)が整備された(2011年3月11日、2021年2月ともに手塚耕一郎撮影)
    宮城県名取市(手前)から岩沼市(奥)にかけて沿岸一帯をのみ込みながら、内陸へと進む大津波。現在、中心を流れる運河「貞山堀」は平穏を取り戻し、中央には土台に震災がれきなどを用いた「千年希望の丘」(岩沼市)が整備された(2011年3月11日、2021年2月ともに手塚耕一郎撮影)
  • 東日本大震災の大津波で海岸線一帯が水没し、火災が発生した福島県相馬市の住宅街。約10年が経過し、新たな住宅が建ち並んでいた。奥の入り江は松川浦(2011年3月11日、貝塚太一撮影 2021年2月、手塚耕一郎撮影)
    東日本大震災の大津波で海岸線一帯が水没し、火災が発生した福島県相馬市の住宅街。約10年が経過し、新たな住宅が建ち並んでいた。奥の入り江は松川浦(2011年3月11日、貝塚太一撮影 2021年2月、手塚耕一郎撮影)
  • 津波と火災に見舞われ、壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。大規模な火災が発生した町の中心部には新しい住宅地が広がる(2011年3月、貝塚太一撮影 2021年1月、佐々木順一撮影)
    津波と火災に見舞われ、壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。大規模な火災が発生した町の中心部には新しい住宅地が広がる(2011年3月、貝塚太一撮影 2021年1月、佐々木順一撮影)
  • 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市雄勝地区。震災後に雄勝湾を囲うように巨大な防潮堤が建設された(2011年3月、山本晋撮影 2021年2月、西夏生撮影)
    東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市雄勝地区。震災後に雄勝湾を囲うように巨大な防潮堤が建設された(2011年3月、山本晋撮影 2021年2月、西夏生撮影)
  • 東日本大震災で津波と火災が発生し、壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町の中心部の夜景。人がいなくなり真っ暗になった町に車のライトだけが光っていたが、今では再建された住宅の明かりがともる(2011年3月、須賀川理撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
  • 東日本大震災の大津波で大型漁船「第18共徳丸」が打ちあげられた宮城県気仙沼市鹿折地区。JR大船渡線の線路はバス専用道路となり、赤いBRTが乗客を乗せて走っていた(2011年3月、梅村直承撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
  • 仙台市宮城野区の道路に大津波で流された数多くの車が残り、その間を縫うように被災した住民らが歩いた。現在は多くの乗用車が行き交う(2011年3月、手塚耕一郎撮影 2021年2月、玉城達郎撮影)
  • 東京電力福島第1原発事故で全域が避難対象区域となった福島県大熊町。子どもの声が聞こえなくなった幼稚園に園児が戻ることはなく、園庭は雑草に覆われていた(2011年6月、川田雅浩撮影 2021年2月、渡部直樹撮影)
  • 東日本大震災の津波だけでなく、大規模な火災で焼け野原と化した岩手県山田町の市街地。かさ上げされた場所に住宅や店舗などが再建された(2011年3月、久保玲撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
  • 東京電力福島第1原発事故で立ち入りが規制された福島県浪江町の請戸地区で一時帰宅が行われ、防護服を着て沿岸部を歩く避難住民。現在は請戸漁港周辺を工事するトラックなどが行き交う(2011年5月、藤井太郎撮影 2021年1月、滝川大貴撮影)
  • 防潮堤を越える大津波で、多くの犠牲者が出た岩手県宮古市田老地区。震災後に道の駅(左)や市営田老野球場(左奥)ができた(2011年3月、木葉健二撮影 2021年2月、吉田航太撮影)
  • 東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町志津川地区。震災後にかさ上げ工事が行われ、左には「南三陸さんさん商店街」が見える(2011年3月、三浦博之撮影 2021年2月、喜屋武真之介撮影)
  • 大津波で岩手県宮古市の鍬ケ崎地区に打ち上げられた観光船(右)。船は撤去され、住宅や商店などが再建された(2011年3月、木葉健二撮影 2021年2月、吉田航太撮影)
  • 大津波と大規模火災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市の鹿折地区は、かさ上げ工事が行われ、住宅や商店などが並ぶ(2011年3月、手塚耕一郎撮影 2021年1月、北山夏帆撮影)
  • 福島県大熊町は東京電力福島第1原発事故で警戒区域に指定され、JR大野駅前の商店街に人の姿はなかった。現在も立ち入り規制が続く商店街では一部の建物が取り壊された(2011年11月、武市公孝撮影 2021年2月、渡部直樹撮影)
  • 東日本大震災で甚大な被害を受け、岩手県内で最大の犠牲者を出した陸前高田市は、かさ上げ工事や防潮堤建設が進み、中心市街地には商業施設がオープンした(2011年3月、貝塚太一撮影 2021年1月、佐々木順一撮影)
  • 津波被害を受けた福島県いわき市のスーパーで店内を片付けるボランティアら。現在は震災前と同じ場所で営業を再開した(2011年4月、西本勝撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
  • 福島県双葉町の目抜き通りに掲げられていたPR看板「原子力明るい未来のエネルギー」は撤去されて無くなった。現在、双葉駅周辺地域の避難指示は解除され、宿泊はできないが、自由に立ち入りが可能となっている(2011年11月、宮本明登撮影 2021年2月、佐々木順一撮影)
  • 津波による大量のがれきが浮かんでいた岩手県大船渡市の須崎川。現在、JR大船渡駅前を流れる川は元の豊かさを取り戻している(2011年3月、西本勝撮影 2021年2月、佐々木順一撮影
  • 路線バスが大破したまま放置されていた岩手県釜石市大渡町の商店街には、2017年に完成した釜石市民ホール「TETTO」(奥)など新しい建物も並んでいた(2011年3月、鬼山親芳撮影 2021年2月、北山夏帆撮影)
  • 宮城県名取市(手前)から岩沼市(奥)にかけて沿岸一帯をのみ込みながら、内陸へと進む大津波。現在、中心を流れる運河「貞山堀」は平穏を取り戻し、中央には土台に震災がれきなどを用いた「千年希望の丘」(岩沼市)が整備された(2011年3月11日、2021年2月ともに手塚耕一郎撮影)
  • 東日本大震災の大津波で海岸線一帯が水没し、火災が発生した福島県相馬市の住宅街。約10年が経過し、新たな住宅が建ち並んでいた。奥の入り江は松川浦(2011年3月11日、貝塚太一撮影 2021年2月、手塚耕一郎撮影)
  • 津波と火災に見舞われ、壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。大規模な火災が発生した町の中心部には新しい住宅地が広がる(2011年3月、貝塚太一撮影 2021年1月、佐々木順一撮影)
  • 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市雄勝地区。震災後に雄勝湾を囲うように巨大な防潮堤が建設された(2011年3月、山本晋撮影 2021年2月、西夏生撮影)

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