高橋智史が撮る故郷・秋田

受け継がれしものたち 潟上・ボラ塚 魚への感謝込め /秋田

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
[1/13]
  • 八郎潟でとれたボラへの感謝と供養を示すために安政、明治、大正、昭和に建立された「ボラ塚」。潟上市指定有形民俗文化財に登録されている=潟上市で2022年2月撮影
    八郎潟でとれたボラへの感謝と供養を示すために安政、明治、大正、昭和に建立された「ボラ塚」。潟上市指定有形民俗文化財に登録されている=潟上市で2022年2月撮影
  • 江戸期の安政6年に建立された「ボラ塚」。ボラは漁業者に大きな恩恵をもたらした。家庭では、煮付け、刺身、塩焼きなどにして食べた=潟上市で2022年2月撮影
    江戸期の安政6年に建立された「ボラ塚」。ボラは漁業者に大きな恩恵をもたらした。家庭では、煮付け、刺身、塩焼きなどにして食べた=潟上市で2022年2月撮影
  • 八郎潟でとれた魚への感謝と供養を示すために明治7年に建立された「大漁供養塔」。潟上市指定有形民俗文化財に登録されている=潟上市で2022年2月撮影
    八郎潟でとれた魚への感謝と供養を示すために明治7年に建立された「大漁供養塔」。潟上市指定有形民俗文化財に登録されている=潟上市で2022年2月撮影
  • 国指定重要有形民俗文化財となっている八郎潟で漁に使われていた10メートルを超える「潟船」。水深の浅い八郎潟の特性に合わせ、底が平らな作りになっている=潟上市の「八郎潟漁撈用具収蔵庫」で2022年2月撮影
    国指定重要有形民俗文化財となっている八郎潟で漁に使われていた10メートルを超える「潟船」。水深の浅い八郎潟の特性に合わせ、底が平らな作りになっている=潟上市の「八郎潟漁撈用具収蔵庫」で2022年2月撮影
  • 八郎潟で行われていた「張切網漁」の模型。ボラ漁の代名詞だった。八郎潟では、魚の生態に合わせた50種近くの漁法が生み出された=潟上市の「八郎潟漁撈用具収蔵庫」で2022年2月撮影
    八郎潟で行われていた「張切網漁」の模型。ボラ漁の代名詞だった。八郎潟では、魚の生態に合わせた50種近くの漁法が生み出された=潟上市の「八郎潟漁撈用具収蔵庫」で2022年2月撮影
  • 八郎潟で使用されていた1200点以上の漁撈用具を、漁業者の協力のもとで収集保存し「潟」の伝承活動に取り組む「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
    八郎潟で使用されていた1200点以上の漁撈用具を、漁業者の協力のもとで収集保存し「潟」の伝承活動に取り組む「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた「秤」に用いる錘。戦時中には陶器の錘が使われていた(写真右)=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
    「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた「秤」に用いる錘。戦時中には陶器の錘が使われていた(写真右)=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた結氷した湖面を割る道具「テジカラ」=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
    「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた結氷した湖面を割る道具「テジカラ」=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟でとれた魚を詰める「ガンガン」と呼ばれたブリキの箱。人々は魚を詰めて行商に向かった=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
    「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟でとれた魚を詰める「ガンガン」と呼ばれたブリキの箱。人々は魚を詰めて行商に向かった=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた貝をおもりに使用した漁網=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
    「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた貝をおもりに使用した漁網=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 八郎潟残存湖に通じる漁業者の船着き場。干拓前は約3000人の漁師がいたが、現在は200人を下回る=潟上市で2021年9月撮影
    八郎潟残存湖に通じる漁業者の船着き場。干拓前は約3000人の漁師がいたが、現在は200人を下回る=潟上市で2021年9月撮影
  • 高齢化と後継者不足が重なり、八郎潟残存湖に通じる船着き場周囲には、乗船者を失ったような漁船が目に付く=潟上市で2021年9月撮影
    高齢化と後継者不足が重なり、八郎潟残存湖に通じる船着き場周囲には、乗船者を失ったような漁船が目に付く=潟上市で2021年9月撮影
  • 八郎潟残存湖を満月が照らし出す=男鹿市側から2021年9月撮影
    八郎潟残存湖を満月が照らし出す=男鹿市側から2021年9月撮影
  • 八郎潟でとれたボラへの感謝と供養を示すために安政、明治、大正、昭和に建立された「ボラ塚」。潟上市指定有形民俗文化財に登録されている=潟上市で2022年2月撮影
  • 江戸期の安政6年に建立された「ボラ塚」。ボラは漁業者に大きな恩恵をもたらした。家庭では、煮付け、刺身、塩焼きなどにして食べた=潟上市で2022年2月撮影
  • 八郎潟でとれた魚への感謝と供養を示すために明治7年に建立された「大漁供養塔」。潟上市指定有形民俗文化財に登録されている=潟上市で2022年2月撮影
  • 国指定重要有形民俗文化財となっている八郎潟で漁に使われていた10メートルを超える「潟船」。水深の浅い八郎潟の特性に合わせ、底が平らな作りになっている=潟上市の「八郎潟漁撈用具収蔵庫」で2022年2月撮影
  • 八郎潟で行われていた「張切網漁」の模型。ボラ漁の代名詞だった。八郎潟では、魚の生態に合わせた50種近くの漁法が生み出された=潟上市の「八郎潟漁撈用具収蔵庫」で2022年2月撮影
  • 八郎潟で使用されていた1200点以上の漁撈用具を、漁業者の協力のもとで収集保存し「潟」の伝承活動に取り組む「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた「秤」に用いる錘。戦時中には陶器の錘が使われていた(写真右)=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた結氷した湖面を割る道具「テジカラ」=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟でとれた魚を詰める「ガンガン」と呼ばれたブリキの箱。人々は魚を詰めて行商に向かった=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 「潟船保存会」会員の天野荘平さん(72)が収集した、八郎潟の漁業者が使用していた貝をおもりに使用した漁網=漁ろう用具を保管している潟上市の旧昭和中央保育園で2022年2月撮影
  • 八郎潟残存湖に通じる漁業者の船着き場。干拓前は約3000人の漁師がいたが、現在は200人を下回る=潟上市で2021年9月撮影
  • 高齢化と後継者不足が重なり、八郎潟残存湖に通じる船着き場周囲には、乗船者を失ったような漁船が目に付く=潟上市で2021年9月撮影
  • 八郎潟残存湖を満月が照らし出す=男鹿市側から2021年9月撮影

あわせて読みたい

ニュース特集