長崎原爆翌日の写真 110枚余りの撮影場所特定 「惨禍伝える礎に」

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  • 1945年8月10日に山端庸介氏が長崎市の井樋ノ口の救護所で撮影した救援物資のおにぎりを持つ母と息子=山端祥吾さん提供
    1945年8月10日に山端庸介氏が長崎市の井樋ノ口の救護所で撮影した救援物資のおにぎりを持つ母と息子=山端祥吾さん提供
  • 長崎平和推進協会の写真資料調査部会が開いている原爆写真展で、山端庸介氏の写真について説明する松田斉さん=長崎市で2022年7月25日午後2時10分、樋口岳大撮影
    長崎平和推進協会の写真資料調査部会が開いている原爆写真展で、山端庸介氏の写真について説明する松田斉さん=長崎市で2022年7月25日午後2時10分、樋口岳大撮影
  • 山端庸介氏の写真を確認する松田斉さん=長崎市で2022年7月19日午後4時11分、樋口岳大撮影
    山端庸介氏の写真を確認する松田斉さん=長崎市で2022年7月19日午後4時11分、樋口岳大撮影
  • 山端庸介氏の写真を確認する松田斉さん=長崎市で2022年7月19日午後3時58分、樋口岳大撮影
    山端庸介氏の写真を確認する松田斉さん=長崎市で2022年7月19日午後3時58分、樋口岳大撮影
  • 1945年8月10日に山端庸介氏が長崎市で撮影した荷車の下敷きになって死んでいた馬。52年出版の写真集や長崎原爆資料館の展示説明では撮影地点が「爆心地松山町付近」となっているが、松田斉さんは数百メートル南の岩川町と特定した=山端祥吾さん提供
    1945年8月10日に山端庸介氏が長崎市で撮影した荷車の下敷きになって死んでいた馬。52年出版の写真集や長崎原爆資料館の展示説明では撮影地点が「爆心地松山町付近」となっているが、松田斉さんは数百メートル南の岩川町と特定した=山端祥吾さん提供
  • 1945年8月10日に山端庸介氏が長崎市の井樋ノ口の救護所で撮影した救援物資のおにぎりを持つ母と息子=山端祥吾さん提供
  • 長崎平和推進協会の写真資料調査部会が開いている原爆写真展で、山端庸介氏の写真について説明する松田斉さん=長崎市で2022年7月25日午後2時10分、樋口岳大撮影
  • 山端庸介氏の写真を確認する松田斉さん=長崎市で2022年7月19日午後4時11分、樋口岳大撮影
  • 山端庸介氏の写真を確認する松田斉さん=長崎市で2022年7月19日午後3時58分、樋口岳大撮影
  • 1945年8月10日に山端庸介氏が長崎市で撮影した荷車の下敷きになって死んでいた馬。52年出版の写真集や長崎原爆資料館の展示説明では撮影地点が「爆心地松山町付近」となっているが、松田斉さんは数百メートル南の岩川町と特定した=山端祥吾さん提供

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