ウクライナ侵攻 記者が見た戦禍の日常 2023/2/8 11:25 MAINICHI PHOTOGRAPHY ツイート みんなのツイートを見る シェア ブックマーク 保存 メール リンク 印刷 [1/56] リビウ市内の縫製工場。男性の多くが戦地に向かい、残された女性たちが経済を支える。激戦地から逃れてきた人たちも合流している=ウクライナ西部リビウで2023年2月1日、宮川裕章撮影 リビウ市内の縫製工場。男性の多くが戦地に向かい、残された女性たちが経済を支える。激戦地から逃れてきた人たちも、合流している=ウクライナ西部リビウで2023年2月1日、宮川裕章撮影 リビウ市内の縫製工場。男性が戦地に向かい、残された女性が経済を支える=ウクライナ西部リビウで2023年2月1日、宮川裕章撮影 ウクライナ西部リビウ市内の戦没者墓地「マースフィールド」には西部地方出身の兵士たちが眠る。ロシアによるウクライナ侵攻後、新しい墓標が増えていく。吹雪の中、多くの人が慰霊に訪れていた=リビウで2023年2月1日、宮川裕章撮影 ウクライナ西部リビウ市内の戦没者墓地「マースフィールド」には西部地方出身の兵士たちが眠る。ロシアによるウクライナ侵攻後、新しい墓標が増えていく。吹雪の中、多くの人が慰霊に訪れていた=リビウで2023年2月1日、宮川裕章撮影 ウクライナ軍のルスラン・スカルスキー中尉の墓標。「1991年2月20日生まれ、2022年6月4日没」と記されている=ウクライナ西部リビウで2023年2月1日、宮川裕章撮影 ウクライナ西部リビウの仮設住宅には礼拝所がある。居住者の要望を受け、リビウ市が設置した=リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 ウクライナ西部リビウの仮設住宅。東部、南部などの激戦地から避難してきた人たちが暮らしている=リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 仮設住宅で配給品を受け取る人々。東部、南部などの激戦地から避難してきた人たちが暮らしている=ウクライナ西部リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 仮設住宅で掃除をする男性。東部、南部などの激戦地から避難してきた人たちが暮らしている=ウクライナ西部リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 雪で遊ぶ仮設住宅の子どもたち。東部、南部などの激戦地から避難してきた人たちが暮らしている=ウクライナ西部リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 ウクライナ西部リビウの仮設住宅には、東部、南部などの激戦地から避難してきた人たちが暮らしている=リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 ロシア軍と戦い亡くなったウクライナ兵士の遺影が並ぶ壁で、父親の写真を見つけた少年=キーウで2023年2月8日、宮川裕章撮影 キーウ市内の広場に展示されたロシア軍の戦車の残骸を眺める人たち=キーウで2023年2月8日、宮川裕章撮影 キーウ市内の広場に展示されたロシア軍の戦車の残骸を眺める人たち=キーウで2023年2月8日、宮川裕章撮影 2022年10月のロシア軍による攻撃で破壊された蒸気プラント。運転を再開している=キーウで2023年2月8日、宮川裕章撮影 ロシア軍の攻撃で破壊された民家を案内する男性=キーウ近郊ストヤンカで2023年2月8日、宮川裕章撮影 キーウ市内のビル「101タワー」。ロシア軍によるミサイル攻撃で破壊された=キーウで2023年2月8日、宮川裕章撮影 市場で野菜を売る女性=キーウで2023年2月8日、宮川裕章撮影 ロシアによるウクライナ侵攻からまもなく1年。攻撃の被害が比較的少ないリビウでは、穏やかな日常生活が戻りつつある=ウクライナ西部リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 ロシアによるウクライナ侵攻からまもなく1年。攻撃の被害が比較的少ないリビウでは、穏やかな日常生活が戻りつつある=ウクライナ西部リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 ロシアによるウクライナ侵攻からまもなく1年。攻撃の被害が比較的少ないリビウでは、穏やかな日常生活が戻りつつある=ウクライナ西部リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 ロシアによるウクライナ侵攻からまもなく1年。攻撃の被害が比較的少ないリビウでは、穏やかな日常生活が戻りつつある=ウクライナ西部リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 ロシアによるウクライナ侵攻からまもなく1年。攻撃の被害が比較的少ないリビウでは、穏やかな日常生活が戻りつつある=ウクライナ西部リビウで2023年2月3日、宮川裕章撮影 停電が頻発するのがウクライナの新しい日常だ。ホテルやレストランでは、停電時の照明用にろうそくが用意されている=ウクライナ西部リビウ市内で2023年2月3日、宮川裕章撮影 リビウ市内の青果店には新鮮な果物が並ぶ。「値段が上がったかって? 果物屋ならだれも、昨年と同じだと答えるわ」と店主。ウクライナの物価上昇率は25%を超えている=ウクライナ西部リビウ市内で2023年2月3日、宮川裕章撮影 リビウ市内の青果店には新鮮な果物が並ぶ。「値段が上がったかって? 果物屋ならだれも、昨年と同じだと答えるわ」と店主。ウクライナの物価上昇率は25%を超えている=ウクライナ西部リビウ市内で2023年2月3日、宮川裕章撮影 ロシア軍の砲撃で被害を受けたハネンコ美術館に勤務するダリア・スホスタビェッツさん(31)。「前に開いた日本をテーマにした展覧会は好評でした。戦争が終わったらこの美術館で美術史家としてのキャリアをスタートさせたいです」と語る=首都キーウで2023年1月17日午後1時59分、念佛明奈撮影 停電時に電力を供給するための発電機。ロシアによる侵攻後、多くの店やホテルで導入され、発電機がたてる大きな音は日常のものとなっている=首都キーウで2023年1月12日午後3時29分、念佛明奈撮影 伝統的なウクライナ料理を出すレストランで働くユリア・ダニチュクさん(24)。「一つの料理にどんな素材が使われているか食べたお客さんに当ててもらったりもします。ウクライナ料理の魅力をたくさんの人に知ってほしいです」=首都キーウで2023年1月12日午後8時4分、念佛明奈撮影 昨年10月10日朝、ロシア軍は首都キーウを集中攻撃し、この児童公園にも空爆で大きな穴が開いた。現在は修復されブランコが置かれている=首都キーウで2023年1月17日午前11時5分、念佛明奈撮影 現存するキーウ最古の教会で世界遺産のソフィア大聖堂=首都キーウで2023年1月12日午後2時10分、念佛明奈撮影 ロシアによる侵攻直後から砲弾にさらされ、被害の特に大きかったサルティフカ地区。団地の一部には明かりがともっていた=東部ハリコフで2023年1月15日午後4時21分、念佛明奈撮影 特に被害の大きかった団地の建物は今も立ち入り禁止となっている。崩落した建物の前にたたずむ市民の姿もみられた=東部ハリコフで2023年1月15日午後4時21分、念佛明奈撮影 壊れた団地を恋人と見にきたハリコフ在住のユーリ・イルハさん(31、右)は「私は侵攻前日までロシアが侵攻してくることを信じていませんでした」と1年前を振り返った=東部ハリコフで2023年1月15日午後4時46分、念佛明奈撮影 アパートのベランダに掲げられた横断幕には「ウクライナに栄光あれ。ロシアの船は出ていけ」と書かれている=ウクライナ南部オデッサで2023年2月13日、宮川裕章撮影 オデッサ中心部の公園でくつろぐ人たち=ウクライナ南部オデッサで2023年2月13日、宮川裕章撮影 公園で遊ぶ親子=ウクライナ南部オデッサで2023年2月13日、宮川裕章撮影 オデッサの目抜き通り。新型コロナウイルス禍やロシアによる侵攻の影響で、観光客が大幅に減った=ウクライナ南部オデッサで2023年2月13日、宮川裕章撮影 オデッサ中心部の公園でチェスに興じる人たち=ウクライナ南部オデッサで2023年2月13日、宮川裕章撮影 オデッサ中心部の公園を歩く人たち。穏やかな生活が戻りつつある=ウクライナ南部オデッサで2023年2月13日、宮川裕章撮影 オデッサ中心部の公園で絵を売る人=ウクライナ南部オデッサで2023年2月13日、宮川裕章撮影 街のいたるところに設置された発電機のモーター音も、新たな日常になった=ウクライナ南部オデッサで2023年2月13日、宮川裕章撮影 幹線道路沿いの建物は破壊されつくしていた=ウクライナ南部ヘルソン州北部で2023年2月11日、宮川裕章撮影 幹線道路沿いの建物は破壊されつくしていた=2023年2月11日、ウクライナ南部ヘルソン州北部で宮川裕章撮影 幹線道路沿いの建物は破壊されつくしていた=ウクライナ南部ヘルソン州北部で2023年2月11日、宮川裕章撮影 幹線道路沿いに放置されたロシア軍の車両=2023年2月11日、ウクライナ南部ヘルソン州北部で宮川裕章撮影 幹線道路沿いの建物。おびただしい数の銃撃の跡が残っていた=ウクライナ南部ヘルソン州北部で2023年2月11日、宮川裕章撮影 キーウの学校であった避難訓練。学校地下のシェルターでは、教師の指導で生徒らがガスマスク着用の速さを競っていた=キーウで2023年2月14日、鈴木一生撮影 ロシア軍が設置した地雷=ウクライナ南部ヘルソン州プラブディネ村で2023年2月11日、宮川裕章撮影 地雷を除去するロマン・シュティロさん=ウクライナ南部ヘルソン州プラブディネ村で2023年2月11日、宮川裕章撮影 停電が日常となったウクライナ。1月18日にウクライナ内相らを乗せたヘリコプターが墜落した集合住宅も当時停電中だった。住民のアンナ・ポリシュクさん(39)は「共同廊下が真っ暗だったので、ヘリ墜落で避難しようとする住民は半ばパニック状態になっていた」と振り返った=首都キーウ(キエフ)近郊ブロバルイで2023年1月18日午後0時49分、念佛明奈撮影 ロシア皇帝エカテリーナ2世が18世紀後半の露土戦争後に港湾を建設して発展したオデッサ。ウクライナ各地でロシア関連の銅像や地名を排除する動きが進み、エカテリーナ2世の銅像も撤去された=ウクライナ南部オデッサで2023年1月19日午後6時55分、念佛明奈撮影 ウクライナ東部ドネツク州の前線から少し離れたレストラン。ウクライナ軍の兵士らが食事をとり、一時の休息を楽しんでいた=2023年2月17日、鈴木一生撮影 ウクライナ軍の後方拠点のある東部ドネツク州クラマトルスク。最大激戦地のバフムトが近く、弾痕のある車も行き来している=2023年2月16日、鈴木一生撮影 授業の終わった長女のソフィアさん(10)=左=を学校に迎えに来たナターリア・シーラさん(38)。「ロシアの侵攻以来、娘が腕の中に戻ってくる時はいつでも幸せを感じる」=ウクライナの首都キーウで2023年2月14日午後2時25分、鈴木一生撮影 あわせて読みたい 関連記事 【写真特集】渡部陽一さんが撮ったウクライナの現実 人々に深く残る戦争の傷 なくならない記憶 癒やすカギは 戦争をした国民同士は、いずれ和解できるのか 専門家に聞いた 徴兵恐れるロシア人、南国リゾートに大量"移住" 「それは残虐です」渡部陽一さんが見たウクライナ 記念式典で浮き彫りになったプーチン政権の狙い