警察庁長官狙撃事件「実行犯逃走手助け」 当時参考人の元自衛官新証言 2023/3/20 05:00 ツイート みんなのツイートを見る シェア ブックマーク 保存 メール リンク 印刷 [1/28] 狙撃現場の見取り図 狙撃事件当日の動き 警察庁長官狙撃事件を巡る主な出来事① 警察庁長官狙撃事件を巡る主な出来事② 1995年3月30日、国松孝次・警察庁長官(当時)が東京都荒川区南千住の自宅のマンション「アクロシティ」Eポートを出たところを背後から銃撃され重傷を負った=1995年3月30日撮影 国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃された現場=東京都荒川区南千住で、長谷川直亮撮影 中村泰受刑者 護送される中村泰受刑者(中央)=大阪府警本部で2004年6月11日午後5時33分、望月亮一撮影 2020年8月、元自衛官の男性の元に届いた中村泰受刑者からの手紙の写し。「パーキンソン病と白内障が進行し、満足に字が書けない」などと記されている=長谷川直亮撮影 三重県内の知人名義の住宅から押収されたフロッピーディスクには、中村受刑者が警察庁長官狙撃事件をほのめかす詩がデータで残されていた。「墨田の河畔」は事件現場、「敵の首領」は警察庁長官を示唆した可能性がある=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影 中村泰受刑者は犯行動機について、「このタイミングで警察庁長官を暗殺すれば、オウム教団による犯行と誰もが信じ込むはず。警察はオウム教団に対して強力な捜査を進めることになり、テロに怯(おび)えている市民の不安が解消される」などと語っていた=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影 中村泰受刑者は「国松長官は玄関ではなく通用口から出てきた。偵察の時と違う光景にも躊躇(ちゅうちょ)することなく、上半身中心部にまず1発目を撃ち込んだ」などと「狙撃時の状況」を詳細に語っていた=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影 中村泰受刑者は凶器の拳銃について「新宿の貸金庫に隠した」と供述した。警視庁が中村受刑者が契約していた貸金庫を確認したところ、事件発生から約1時間後の1995年3月30日午前9時26分に開けられた記録が確認された=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影 2009年10月5日に開かれた検討会で、青木五郎・警視庁公安部長(当時)が「中村泰に対する捜査は、立件すれば、逮捕・起訴・有罪判決が可能」などと発言したことが記されている=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影(画像の一部を加工しています) オウム真理教の信者によってサリンが散布された地下鉄日比谷線の電車が停車した築地駅から地上に出て倒れたサリン中毒症の乗客を、新大橋通りの築地本願寺前交差点付近の路上で手当てする東京消防庁の救急隊員ら。奥右は出動した大型特殊救急車「スーパーアンビュランス」=東京都中央区築地で1995年3月20日、本社ヘリから山下浩一撮影 オウム真理教の第6サティアンに入る捜査員ら=山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)で1995年3月22日、本社ヘリから撮影 「狙撃した銃は神田川に捨てた」という警視庁巡査長の供述にもとづき、しゅんせつ船を出動させ、さらい上げたヘドロを丹念に調べる警察官=1996年11月5日撮影 警視庁捜査本部は、国松孝次・警察庁長官(当時)の狙撃に関与した疑いで、オウム信者だった警視庁元巡査長ら3人を殺人未遂容疑で逮捕した。記者会見する永井力・公安1課長(左)=警視庁で2004年7月7日 警察庁長官狙撃事件の時効を迎え記者会見に臨む青木五郎・警視庁公安部長(右奥)=2010年3月30日、塩入正夫撮影 2010年3月30日の公訴時効の際に警視庁が発表した「警察庁長官狙撃事件の捜査結果概要」には「オウム真理教グループにより敢行された計画的、組織的なテロであったと認めた」と記されている=長谷川直亮撮影 警視庁捜査本部がマンション敷地内の目撃情報をまとめた文書。「年齢30~40歳、身長170~180センチ、やや痩せ形」などと記されている=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影 警視庁捜査本部がマンション敷地内の目撃情報をまとめた文書。「年齢30~40歳、身長170~180センチ、やや痩せ型の男」などと記されている=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影 国松孝次・警察庁長官(当時)が東京都荒川区の自宅「アクロシティ」Eポートを出たところを背後から狙撃され重傷を負った=1995年3月30日、本社ヘリから 国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃されたマンション玄関付近を調べる捜査員=東京都荒川区南千住のマンション「アクロシティ」で1995年3月30日 田盛正幸秘書官(当時)は事件の約1週間前に「身長160センチ、黒っぽいコート、ショルダーバッグを身につけた一見して田舎のオヤジ風」の不審者を目撃したと証言していた=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影 犯行に使われた拳銃はコルト・パイソンと推定されている=警視庁提供 中村泰受刑者は、狙撃事件2日前の1995年3月28日、長官公用車のナンバーが、それまでの「品川33り」から別のナンバーに変更されたと供述していた=Nの捜査記録から、長谷川直亮撮影 インタビューで当時を振り返る国松孝次・元警察庁長官=東京都千代田区で2010年3月29日午前11時半、手塚耕一郎撮影 あわせて読みたい 関連記事 警察庁長官狙撃事件で新証言「車で逃走助けた」 スクープ 「Nの捜査記録」900ページ入手 新証言と矛盾も 「オウム信者犯行説」に固執した公安部 修正できなかった理由 独り歩きした犯人像 捜査混乱させた「身長180センチ」 そもそも長官狙撃事件って? 28年の壁高く未解決 オウムの後、再び漂う閉塞感 もの言える社会に 元警察庁長官・国松孝次さん スポニチのアクセスランキング 現在 昨日 1カ月 アクセスランキングトップ