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想いをつなぐ

東邦OBを訪ねて/6止 77年夏、1年生でエース、準優勝・坂本佳一さん(54) /愛知

「野球で得た仲間や経験が財産になっている」と話す坂本佳一さん=名古屋市中区で

 <第88回選抜高校野球>

戦った仲間、財産に

 中学時代は、外野手の控えだった。強豪私学野球部のセレクションを受けたが、「体の線が細い。君じゃあ無理だ」と落とされた。東邦には一般入試で入った。「当時は『見返してやる』という気持ちが全てだった」。入学式の日に、グラブを持って職員室にいる当時の阪口慶三監督(71)のもとに向かい、入部を希望した。その足で東郷町のグラウンドに向かったという。

 東邦入学直後から、投手としての才能を見いだされた。硬球を指に引っかけ、切るように投げる力を、阪口監督は「指先にダイヤモンドがある」と評していた。練習は過酷だった。投げ込みのほかに、ひたすら腹筋、背筋と走り込み。他の1年生とはまったくの別メニューだった。「まだ体力もなく、ついていくだけで必死だった」。中学生時代の苦い体験だけが、坂本さんを突き動かしていた。

 1年夏の県大会で背番号10を着け、決勝ではセレクションで落とされた学校を相手に勝利した。硬球を握り始めて数カ月で、甲子園の舞台に立つことになった。打線にも支えられた快進撃で、決勝に進出し、東洋大姫路(兵庫)との延長戦の末、サヨナラ3点本塁打を浴びて敗れた。

 「まだ、子供だったからね。何も考えずに投げられた」と話す。細身の体で投げる姿と、サヨナラ負けという結末。甲子園以降、周囲は坂本さんを「バンビ」と呼び、もてはやした。

 期待にこたえたいという気持ちでいた半面、世間が抱く「悲劇のヒーロー」というイメージを、自分で抱え込むことが苦痛になっていた。「『良い子』でいないと許されない。それは本当にしんどかった」。街を歩いていて心ない言葉をかけられたこともあった。

 「甲子園にいたのは、たった3週間。長い人生からすれば、ほんのわずかな時間だけど、僕にしてみるとその時間があまりにも大きかった」。法政大、日本鋼管では思うように結果が残せず、86年に引退した。

 それでも、変わらない野球への思いがある。「時代が移り変わっても、高校球児が期待を背負って甲子園でプレーしているのは同じ」。2003年には、野球を通して青少年の育成を目指すNPO法人「フィールドオブドリームズ」を設立した。社会人選手らを招き、中学生を対象にした野球教室を開いている。賛同してくれたのは、かつてともに白球を追った同世代の仲間たちだ。一緒に戦った仲間とのつながりが財産になっている。「東邦で必死にやった野球のおかげで今があると思う」。野球への恩返しの気持ちで、子供たちに楽しさをこれからも地道に伝えていくつもりだ。

 一昨年の夏の甲子園で好投し、「バンビ2世」と呼ばれることもある現チームの藤嶋健人主将(2年)について「彼は1年の夏以降、いろいろなものを背負いながら、再び甲子園で投げるチャンスをつかんだ。呼び名なんかにとらわれずに、堂々と投げてほしい」。そんな思いで、センバツを見守る。=おわり

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