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選抜高校野球

今度は「三十二の瞳」で 中村、旋風を

センバツ出場が決まり指を突き出し喜ぶ中村の選手たち=高知県四万十市で2017年1月27日午後3時47分、大西岳彦撮影

 1977年に選手12人で準優勝を果たし、「二十四の瞳」として旋風を巻き起こした中村。過疎化が進む地元は21世紀枠でつかんだ出場に沸き、「野球部は地域の希望」とたたえた。今回は「三十二の瞳」で40年ぶりの春に挑む。

 この日、1年生は修学旅行中。グラウンドでは2年生10人が上岡哲朗校長の「お前たちは最高だ!」の掛け声に合わせて円陣を組み、横山真哉監督(54)を胴上げした。四万十市役所では、出場を祝う懸垂幕が早速掲げられ、新たに組織された「甲子園出場支援実行委員会」が試合ごとに応援バス50台を送り込む案の検討を始めた。

 77年は、後に阪急(現オリックス)で112勝を挙げる好投手・山沖之彦さん(57)を擁し、全国の注目を集めた。当時の毎日新聞は、凱旋(がいせん)パレードに、人口の9割近い約3万人の市民が参加したと報じている。

 学校がある高知県西部はその後、少子化が進み、周辺の学校の多くが公式戦に出場できないのが現状。中村も選手不足に悩んできた。

 「強い中村をもう一度」。地元、四万十市民が「中村高校野球部を支援する会」を2001年に設立した。数年後、同会は「想(おも)いは一つ甲子園」と書かれた横断幕を作り、グラウンドに掲げた。甲子園は部員と市民が一緒にかなえる目標になった。教材販売会社を営む松岡勲会長(72)は「中村の活躍が地域に希望をくれる。本当に感謝したい」と声を詰まらせた。

 チームは練習の効率を重視。科学的な筋力トレーニングと徹底した食事管理で体作りを進めた。OBも加わって練習の密度を高め、少人数をチャンスに変えた。

 「二十四の瞳」に憧れ、自身も中村でプレーした横山監督は「選手たちは、支えてくれる地域の思いに報いようと戦っている。16人はハンディではない」と話す。

 山本泰生主将(2年)は「目指すのは、前回出場した準優勝を上回ること」と気合十分。かつて「二十四の瞳」を率いた市川幸輝元監督(79)は「前回より4人多い。頑張ってくれるでしょう」と笑顔で見守った。【岩間理紀】

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