<第89回選抜高校野球>
静高の監督として9年間で春夏5回の甲子園出場を果たし、名門復活の礎を築いた。
小学生から野球を始め、磐田南高では2年春から正捕手。進学した筑波大では捕手や1軍ヘッドコーチを務め、卒業後は磐田北高、浜松工で野球部監督を歴任し、2008年に静高に赴任した。
就任直後の現実は厳しかった。2年目は春夏秋すべての県大会で初戦負け。夏は常葉橘高に七回コールド負けする歴史的な大敗を喫した。「とにかく勝ちたくて勝ちたくて仕方なかった」
悩み抜いた末、翌年わらにもすがる思いで今治西高(愛媛)の大野康哉監督(45)のもとを訪れた。大野さんは筑波大の1年先輩。優しく気配りのできる人柄を信頼し、尊敬していた。
「結果はあとでついてくる。まずは選手を大事にしなさい」。大野さんのその一言にハッとした。全力を尽くしていたつもりだったが、勝ちに固執しすぎて選手の存在は二の次になっていた。
一人一人に向き合い、小さな心の動きや変化を見逃さないようにした。選手が一日の反省などを書いて提出する「野球ノート」。字や内容から胸の内を読み取り、適切にアドバイスする。
選手は、ミーティングで栗林監督が投げかける一つ一つの言葉に熱心に聴き入る。杉山隼輔選手(2年)は「今なにをすべきか、いつも的確な助言をくれる」と話す。
「選手から『監督はもういらない』と言われるくらい自立したチームを作りたい」
選手を信頼し、悲願のセンバツ初優勝に挑戦する。【古川幸奈】