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高校野球・新世紀

第3部 生き残り懸けて/5 中学指導者、変革呼ぶ

就任後、初の甲子園となった16年のセンバツで練習を見守る秀岳館の鍛治舎巧前監督(左)=久保玲撮影

 中学生年代の少年野球チームの指導者を監督として招き、一緒に選手も獲得するという手法で一躍有名になったのが、今年の夏まで4季連続甲子園出場を果たした秀岳館(熊本)だ。夏の甲子園を区切りに退任した鍛治舎巧氏(66)は、少年硬式野球チーム「枚方ボーイズ」(大阪)で全国優勝を果たした監督だった。

 鍛治舎氏と秀岳館との出会いは2001年、初出場した夏の甲子園。はつらつとしたプレーが当時、NHKの解説をしていた鍛治舎氏の目に留まった。その後、枚方の選手を送り出すなど縁が続き、14年4月に秀岳館の監督に就任。「熊本のカンフル剤になる」が目標だった。

 16年春に13年ぶりのセンバツ出場を果たし、ベスト4に進出。九鬼隆平(現ソフトバンク)や松尾大河(現DeNA)ら中心メンバー9人中7人が枚方時代の教え子だった。ベンチ入り18人に熊本県出身選手はゼロというチームに地元は冷たかった。「県民すべてを敵に回したような感じだった。出る前のくいを打たれた」と鍛治舎氏。試合後に選手に向けて厳しいやじが飛ぶこともあった。

 鍛治舎氏は「勝てば良いというチームは地域にとっても学校にとってもいらない」と「地元密着」を掲げ続けた。ゴミ拾いなどの奉仕活動を始め、やじに対しては「ほほ笑みで返しなさい」と指導した。

 甲子園で勝ち始めると同時に、周囲の接し方も変わってきたという。選手は九州中心に変わり、今年4月の入部者は41人中32人が九州出身者だった。鍛治舎氏は「これまで外に出ていた九州の有望選手が、甲子園で勝ちたいと残ってくれるようになった」と手応えを感じていた。

 今年の夏の甲子園前に、鍛治舎氏は任期の5年よりも短い3年半での退任を申し出た。「自分がいなくても同じような野球ができるようになった」というのが理由だった。しかし、新チームは今秋、熊本大会の準決勝で敗れ、九州大会出場を逃した。

 チームを一から鍛え上げるよりもずっと早いスピードで全国の強豪チームになった秀岳館。まさに「カンフル剤」だった鍛治舎氏が去った後、どのようなチームを作っていくのか。その戦いぶりで、真価が問われる。【生野貴紀】=つづく

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