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次代への伝言

戦後初の甲子園 センバツ90/6止 存続、民主社会の礎に

1948年の「第1回大会」閉会式で優勝した京都一商の健闘をたたえて握手する神戸基地司令官P・メノハー代将(右)。この大会は55年に「第20回大会」に戻された。

 <第90回記念選抜高校野球>

     戦後初めて甲子園で開かれた第19回選抜中学野球大会は1947年4月7日、盛況のうちに終わった。ただ、関係者は喜んでばかりもいられなかった。開催は連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)からこの年に限り、特例で認められただけだった。大会存続へ向けて、遮二無二奔走した。

     CIEは「全国大会は年1回」との態度を変えなかった。夏の選手権大会との違いを際立たせるため、当時の全国中学校野球連盟副会長だった佐伯達夫氏は、センバツをシーズン初めの野球祭と位置づけた。公式戦のできる期間は49年に制度化され、12月1日から3月19日までの間は原則試合を禁止する現在の「アウトオブシーズン」規定の土台となった。

     大会名からは「全国」を外し、出場は近畿の学校を中心とした招待試合とし、北海道や東北を除外した。現在の大会名に「全国」がないのはこの名残だ。さらに、それまでの通算回数を捨て、48年の大会を第1回とする案も出した。

     CIEとの交渉には佐伯氏が当たった。その裏で毎日新聞は衆院議員だった松本滝蔵氏に協力を依頼。GHQにいる米ハーバード大留学時代の多数の同窓生に説明してもらった。48年2月、数々の努力が実って大会は認められた。後援に回った毎日新聞は、高野連主催をより明確にするためにホームベースにフェデレーション(連盟)の「F」をあしらった連盟旗を作製した。

     食料にすらことかく時代に、なぜそこまで必死に大会を存続させようとしたのか。佐伯氏は45年8月15日に玉音放送を聞いた際、こう誓ったと自伝に記している。「青少年たちが正しい進路を踏み外さぬように引っ張っていくべきだ。正しい民主社会を目指すほどチームワークが大切。その大きな柱になるのが野球だ」

     戦後初の甲子園に出場し、翌春の「第1回」大会で優勝した京都一商(現西京)の種田吉富氏(87)は「あの大会に出た選手はほぼ兵役に行かなかった世代。そんな我々に次代の日本を背負ってもらおうと考えてくれたのでは」と振り返る。種田氏は58年から甲子園大会の審判、その後はセンバツの選考委員を務めた。そのきっかけは、第19回大会の選考委員で、後に日本高野連会長となった牧野直隆氏からのひと言だったという。「高校野球へ恩返ししなさい」

     戦後初の甲子園大会の開催に関わり、大会を守った先人たちからの伝言は次代へつながれ、センバツは今年、90回目の大会を迎える。【安田光高】=おわり

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