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勝負心・春

2018センバツ中央学院 第4部・4人のコーチ/4止 挫折乗り越え母校へ 羽豆恭コーチ /千葉

羽豆恭コーチ

 <第90回記念選抜高校野球>

    羽豆恭コーチ(28)

     福嶋翔平コーチと同級生。中央学院高2年だった2006年夏、監督と部長が突然辞任した際の野球部員の1人だった。元々は船橋市の自宅から電車通学だったが1時間半以上かかり、終電で帰宅する日も。「遠すぎるから」と1年冬から自宅に下宿させてくれたのが当時の監督だった。「監督を信じてやってきたのに」。突然の事態にただただ戸惑うだけだった。

     2年の春からエースを務めていたが、夏の大会は初戦敗退。その後の新チームは「『甲子園を目指そう』なんて言い出せる雰囲気じゃなかった」。そんな中、部長に就任した相馬幸樹監督の問いかけに驚かされた。「お前らは甲子園を目指す気があるのか」。野球部に真正面からぶつかってくれたことがうれしかった。

     最後の夏は3回戦で敗退。「純粋に悔しかった」。プロを目指していたが、野球にきちんと取り組めた時間は決して長くなかった。「もっといろいろなことができたはずだった」。スポーツ推薦の特待生で中央学院大に進み、1年春からベンチメンバーになったものの、秋には肘のけがで外れた。2年春に初めて先発したが3年時には再びベンチ外に。「結果を出そうと焦ってしまった」。それでもプロへの思いを断ち切ることはできず、可能性を探ろうと独立リーグ「BCリーグ」の新潟アルビレックスに入った。

     しかし、新潟でも空回りが続いた。「もう少し軽い方が良いかも」と体重を10キロ絞ると、球速や球威も落ちてしまった。コーチの助言で体重と筋力を取り戻し、中継ぎ投手として次第に結果を出せるようになった。2年目には抑え投手として活躍した。チーム内で自分の役割を確立する重要性を知ったが、3年目の14年11月、自分自身に見切りをつけた。「プロを目指していたはずなのに、チームで確立したポジションに心のどこかで甘んじていた」

     野球は辞めて普通に働こう--。そう考えていた時、母校にあいさつに行くと相馬監督から「うちに来いよ」と誘われた。教員免許取得も勧められ、再び中央学院大に通いながら、練習に顔を出す毎日が始まった。16年から正式にコーチに就任。「厳しいコーチが多いのでなるべく話しやすさを意識しています」と笑顔を見せ、「自立した大人同士の関わり合いができる選手になってほしい」と願う。=おわり(富美月が担当しました)


     ■人物略歴

    はず・たかし

     1989年生まれ。中央学院高・大を経て新潟アルビレックス(BCリーグ)へ。2016年に正式に外部コーチとなり、主に投手を担当。寮生活の面倒も見ている。

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