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第90回選抜高校野球

“富商一家”も熱い視線 最高成績塗り替えて 親子3代で野球部の蓑浦隆司さん(70) /富山

富山商時代の思い出を語る蓑浦隆司さん=富山市岩瀬白山町で、青山郁子撮影

 <センバツ2018>

     第90回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)に出場する富山商野球部。OBの蓑浦隆司さん(70)=富山市岩瀬白山町=は、父、長男と3代にわたって同部で活躍した「富商一家」だ。きょう23日に開幕する大会で、後輩たちが活躍するのを楽しみにしている。【青山郁子】

    父はベーブ・ルースと対戦

     蓑浦さんの父で1994年3月に75歳で亡くなった登司雄さんは、野球好きだった父親の影響で早くから野球を始めた。戦前、5年制だった同校で2年から主戦を務めた好投手で、甲子園まであと一歩のところで出場を逃したが、その後、昭和電工など社会人で活躍した。

    富山を訪れた時のベーブ・ルース(右)。サインも本人の直筆だ=富山市郷土博物館提供

     「野球王」ベーブ・ルース率いる全米選抜チームが34年に来日し、同11月に富山市の球場で全日本軍と対戦した時には、練習試合でオール富山の投手としてルースと対戦したという。

     戦時中は海軍に所属。乗船していた軍艦が米軍の爆撃を受け沈没し、3日間海上を漂流した末、米軍に救助され捕虜となった。その時も、アメリカ本土で野球を教えていたという。実家には戦死通知が届き葬儀も終わっていたが、終戦の翌年に無事帰還し、家族が驚いたというエピソードもあり、社会人時代は「英霊が活躍」などと新聞紙上で紹介されたという。

     現役引退後は審判として活躍。自宅近くの神社の境内で、隆司さんを熱心に指導した。口数は多くなく、家族に体験を語ることはあまりなかったが、県内の野球界で「蓑浦」と名乗れば登司雄さんを知らない人はいないほど。隆司さんは、誇りであり自慢の父と同じ進学先を選択した。

     隆司さんは富山商2年だった1963年夏に一塁手として甲子園に出場した。当時は新潟、富山両県から1校の出場で、北越大会で優勝した時は市役所で壮行会が開かれ、その後、富山駅までパレードしたほどの盛り上がりだったという。

     卒業後は電電北陸(現NTT北陸)に進み6年間プレー。66年には都市対抗野球で後楽園にも出場した。現役引退後も約20年、シニアチームで野球を続けた。

     そして、長男隆裕さん(39)も跡を継いで富山商野球部へ。3年ではレギュラーこそ外れたが、主将としてチームを引っ張った。卒業後は大学や軟式チームなどで白球を追った。

     隆司さんの目下の楽しみは小学3年の孫、大輔さん(10)。少年野球チームの岩瀬ドラゴンズの選手で、「ぜひ富山商で甲子園に出場してほしい」と、4代で富山商でプレーすることを期待している。

     隆司さんは「本当にいい仲間に恵まれ、先輩、後輩のつながりも強く富山商出身で損したことはない。今の選手たちには、富山商の甲子園での最高成績の8強を塗り替えられるよう、一つでもたくさん勝ってほしい」と、亡父の分まで後輩たちを応援している。

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