<センバツ高校野球>
劇的な勝ち方で監督として甲子園通算50勝(30敗)を挙げた明徳義塾の馬淵史郎監督。1990年夏に就任してから28年。「甲子園に出たい、1勝だけしたいと思っていた。50勝できるとは夢にも思わなかった」と振り返った。
監督2勝目は92年夏。星稜(石川)の松井秀喜(元巨人など)を「5打席連続敬遠」して物議を醸した。98年夏は松坂大輔を擁した横浜(神奈川)に終盤6点差をひっくり返されてサヨナラ負け。酸いも甘いも知る指揮官に一番の思い出の試合を聞くと、2002年夏の3回戦の常総学院(茨城)戦を挙げた。
4-6で迎えた八回に2者連続本塁打で逆転。その瞬間に「優勝すると思った」という。決勝で智弁和歌山を破って春夏通じて初優勝。実はその年のセンバツ準々決勝で右手を痛めていたエースの先発起用を回避したのが裏目に出て、福井商に敗戦している。「優勝を狙えるチームだった。帰ってすぐに練習し、春の県大会から練習試合を含め、夏の優勝まで58連勝した」。一つの負けが糧になっていた。
今年のチームもその時と同じぐらいの力があるという。その一方で「もうそろそろ(辞めて)女房と温泉巡りをしようと思っている」とも。62歳の指揮官のこの日の試合後の発言を、額面通り受け取る人はいないだろう。これからも、まだまだ勝っても負けても記憶に残る試合を見せてほしい。【安田光高】