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春に挑む・国士舘センバツへ

/上 国士舘 百戦錬磨の監督再任 意識改革で信頼関係築く /東京

 「お前たち、俺のことを信じるか」

     昨秋の東京大会3回戦。甲子園への大きな山場となる強豪・関東一戦に勝利した後、永田昌弘監督(61)は選手に問いかけた。「信じます!」。迷いなく答える選手たち。勝利を一つ一つ積み重ねることで、監督と選手の信頼関係を築いてきた。永田監督はこの時初めて「優勝できるかもしれない」と感じた。

     東京ガスの内野手として都市対抗に3年連続で出場した後、1983年に25歳の若さで国士舘高校野球部の監督に就任した。8年後の91年春、同高を初めて甲子園に導き、4強に進出。23年間で春夏通算8回出場という輝かしい実績を残した。

     2006年、国士舘大学野球部の監督に転身し、後進に指導を譲ったが、同高は09年春を最後に甲子園から遠ざかった。16年秋、チーム再生を託されるかのように、再び高校のユニホームに袖を通した。

     10年ぶりに見た高校の野球部員たちは「まるで強がるように、肩で風を切って打席に向かっていた。本気で甲子園を目指しているようには、とても見えなかった」という。初めて監督に就任した頃「甲子園とは何だ」と部員に聞くと「夢です」と返された。30年以上前、選手に抱いた失望がよみがえった。

     甲子園から遠ざかったチームに、何より必要なのは意識改革だ。「甲子園はかなわぬ夢ではない。努力すれば手が届く」。そう信じさせることだった。

     試合で勝つために、つらいことを乗り越える経験が必要だ、という信念を持っていた。「自分たちの高飛車な態度がどれほど恥ずかしいことか、分かっているのか」。日々の練習では、あえて厳しい言葉を部員に投げかけた。

     先発、中継ぎ、抑えと投手の「分業制」が定着した大学野球を経験したことで、采配も変化し、試合で思い切った継投策ができるようになった。象徴的な試合が、秋季東京大会の2回戦、昭和第一学園戦だ。先発した白須仁久(のりひさ)投手(2年)は五回まで1失点に抑えていたが、永田監督は六回から山崎晟弥(せいや)投手(2年)に切り替えた。「白須は試合中盤で突然乱れることがあった」と永田監督は言う。

     部員の特徴と性格を見極め、守備のコンバートも断行した。「初めは力がなかった選手たちが、1試合ごとに成長してくれた」。監督再任2年で秋季東京大会の頂点に立ち、永田監督は今、部員たちが積んできた努力をたたえる。

     永田監督自身にとっては、05年夏以来の甲子園となる。「僕も初出場のような気持ち。国士舘高校野球部の新しい歴史をつくるスタートにしたい」。冬場を越えて挑む春の大舞台。百戦錬磨の指揮官は、選手の力を最大限に引き出そうと、チームづくりに思いをめぐらせている。【川村咲平】

       ◇

     第91回選抜高校野球大会に、都内から国士舘(世田谷区)が出場する。10年ぶり9回目のセンバツ切符を手にしたチームの飛躍に迫る。

    〔都内版〕

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