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春に挑む・国士舘センバツへ

/下 国士舘 選手目線で熱血指導 「永田イズム」継ぐ2人 /東京

国士舘の選手に打撃指導をする池田泉コーチ=東京都多摩市の練習グラウンドで2019年1月、川村咲平撮影

 <第91回選抜高校野球>

     「腹から声出せよ!」「足を止めるな!」。多摩市の国士舘大キャンパス内。広大な練習グラウンドに威勢のよい声が響き渡った。池田泉さん(36)が高校野球部のコーチに就任して18年目に入る。

     国士舘高野球部で永田昌弘監督(61)の指導を受け、同大に進学。準硬式野球部員だった1年の冬、永田監督からコーチ就任を打診された。

     高校時代の自分は「野球センスがなかった」と苦笑する。最後の夏こそ背番号3を付けたものの、フル出場した試合は数えるほど。2000年にセンバツに出場した時は、甲子園の土を踏むことができなかった。それだけに、レギュラーの当落線上にいる現役部員の姿が自分と重なり、指導に熱が入る。

     今の主力選手の大半は昨夏まで、主に池田さんが指導するBチーム(2軍)に所属していた。Aチーム(1軍)に昇格した後、国士舘の伝統といえる小技を生かした機動力野球に対応できるよう、池田さんは部員を鍛えた。そして「つまらないミスをしたら絶対に勝てない」と、一つ一つのプレーに手を抜かないように責任感を持たせた。

     新チームは当初、なかなか練習試合で勝てなかった。だが池田さんは「実力はこんなものではない」と感じていた。初の公式戦となった東京大会は選手に硬さがあったが、試合経験を積むごとに粘り強さが生まれ、ピンチに踏ん張れる底力が表れてきた。池田さんは「レギュラーとして、勝利への執着心が試合ごとに強まったのでしょう」と、選手たちのめざましい成長をたたえた。

     部員に交じって軽快なグラブさばきを見せる箕野豪(みののたけし)助監督(41)も野球部OBだ。「怒った記憶がないほど優秀」(永田監督)だった内野手。卒業後は東北福祉大から神戸製鋼を経て松下電器(現パナソニック)に入り、二塁手として出場した05年の社会人野球日本選手権大会で優勝している。

     翌06年、永田監督が大学野球部に転身した際、後継の監督に指名された。「高校時代に届かなかった甲子園への思い」もあった。

     就任3年目にしてセンバツに出場。だが、その後はあと一歩のところで及ばず、采配を悔やんでふさぎこむ日もあった。「結果に対して責任を負う厳しさを痛感しました」。16年に永田監督が高校へ戻ると、助監督として再スタートを切った。

     今は野球指導はもちろん、恋愛相談にものって、部員とのコミュニケーションを図る。登校拒否に陥りそうになった部員に付き添ったことも。「部員に近い目線に立って、監督の意図を伝えるのが自分の役目」と語る。

     永田監督が信頼する2人の指導が花開く春の舞台は、もうすぐだ。【川村咲平】

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