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センバツ平成の名場面

/21 第72回大会(2000年) 鳥羽、半世紀の空白埋め4強

明徳義塾を破り、喜ぶ鳥羽の選手たち=2000年4月2日、北村隆夫撮影

 ミレニアムが流行語になった2000(平成12)年の第72回大会では、伝統校が甲子園に戻ってきた。1915(大正4)年、夏の全国選手権の第1回大会(全国中等学校優勝野球大会)で優勝した京都二中の流れをくむ鳥羽。春の甲子園には53年ぶりとなる出場を果たした。

     1900(明治33)年に京都府立二中として創立。戦後の学制改革に伴い、府立朱雀高鳥羽分校(定時制)に再編後、全日制を加えて84(昭和59)年に府立鳥羽高として新たなスタートを切った。

     野球部は01(明治34)年に創部され、大阪・豊中で10校が出場して行われた15年夏の決勝で秋田中を降して記念すべき優勝を遂げた。47(昭和22)年の第19回選抜大会を最後に甲子園から遠ざかっていたが、北嵯峨(京都)を春夏5回甲子園に導いた卯滝逸夫監督を97(平成9)年に迎えて強化し、復活出場に結び付けた。

     1回戦で初出場の埼玉栄を7-2で破り、2回戦では金子弌大(ちひろ)投手(本名は千尋、日本ハム)を擁して68年ぶりに出場してきた長野商に2度リードを許すも8-6で逆転勝利を収めた。

     迎えた準々決勝の明徳義塾(高知)戦。4-4の三回2死満塁、小川勝也外野手が三塁前に意表を突くセーフティースクイズを決め(記録は内野安打)、相手の悪送球も誘い、2点勝ち越し。七回にも敵失に乗じて3安打で5点を加えて、勝負を決めた。

     半世紀を超すブランクを埋めて4強入りした鳥羽は翌01(平成13)年の第73回大会に2年連続出場。その後も12(平成24)年の第84回大会にも出場した。=つづく


     ▽準々決勝

    明徳義塾

      202010000=5

      20410050×=12

    鳥羽

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