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第91回選抜高校野球

東邦、平成締め 30年、思い交錯 元年Vメンバー決起

 <2019 第91回センバツ高校野球>

    「4強」直後にバス手配

     「平成最後の甲子園」となった3日の決勝は、東邦(愛知)が第61回大会以来30年ぶりの優勝を成し遂げ、幕を閉じた。

     アルプススタンドには30年前、元号が平成に変わってから初めて優勝したメンバー14人が応援に駆け付け、声を張り上げた。平成最初と最後のセンバツ優勝という快挙に、「後輩たちの活躍でドラマが完成した」「この場に立ち会えて本当に良かった」などと歓喜。かつてのメンバーと肩を組んで校歌を大声で歌い、優勝を祝福した。

     この日は、愛知県から「平成元年優勝メンバー号」と銘打ってバスをチャーター。企画した当時のマネジャー、袴田克彦さん(47)は「大会が始まる前からわくわくしていた」と話す。4強を決めた直後にバスを手配したという。

     主将で外野手だった会社員、山中竜美さん(47)=横浜市=は「あの時の緊張感や高揚感を思い出す」と感激していた。

     試合前には、応援団長だった自営業、伊奈誠さん(47)=名古屋市港区=が、現応援団長の山田斐祐将(ひゅうま)さん(17)に現役時代使っていたはちまきを託した。斐祐将さんは「歴史の重みを感じた。はちまきの効果です」、伊奈さんは「思いが伝わった。素晴らしいチームだ」と笑顔を見せた。

     元内野手のプロゴルファー、中川恵造さん(47)=三重県川越町=は試合後、「平成の始まりと終わりの優勝が現実になり、うれしい。令和になる夏の甲子園でも優勝してほしい」と期待した。【川瀬慎一朗、黒詰拓也、砂押健太】

    30年前に元号取材 東邦理事長も感激 節目に「因縁感じる」

     平成最初と最後のセンバツ優勝を飾った東邦。スタンドには同校を運営する学校法人の榊直樹理事長(68)も応援に駆け付けた。元毎日新聞記者の榊さんは東邦が優勝を決めた1989年、政治部の元号取材班のメンバーとして新元号を追っていた。その新元号「平成」が終わる節目に東邦が優勝を決め、「因縁を感じる。これほどの感激はない」と笑顔を見せた。

     榊さんは取材班メンバーとして政府関係者や学者を取材。89年1月7日の昭和天皇逝去の際には新元号のスクープを狙っていた。

     あれから30年、5回目の優勝を決め「神がかっている。最高のチームが最高の試合をしてくれた。多くの方の応援があってこそ」と喜んだ。【川瀬慎一朗】

    父の教えと感謝、胸に 石川投手

     最後の打者を三塁ゴロに打ち取った瞬間、チームの大黒柱はマウンドで両手を突き上げた。主将を務め、主軸も任された東邦(愛知)の石川昂弥(たかや)投手(3年)は、同校野球部OBで第61回大会の「平成最初の優勝」をスタンドから見守った父の言葉を胸に刻み、仲間を信じて9回を投げ抜いた。

     父尋貴(ひろたか)さん(47)は1987年、東邦野球部に入った。グラウンドや坂道を延々と走り、グラブがボロボロになるまでノックを受け、厳しい練習に耐えたが、背番号を受け取ることはできなかった。

     長男の石川投手が生まれると、父はおもちゃ代わりに軟式ボールを与えて遊ばせた。3歳からは自宅前でキャッチボールや素振りもするようになった。一度教えれば、すぐに自分のものにできる息子の吸収力に驚いた。

     小学校に進むと、地元の軟式野球チームに入り、父がコーチを務めた。「野球の基本を教えてくれたのは、お父さん」。石川投手の思いは、今も変わっていない。

     父が息子に技術を指導したのは小学生までだったが、その後も言い続けていることがある。「控えのサポートがあって野球ができている。感謝を忘れるな」。毎週末、父は息子の練習を見に訪れ、けがをした選手を病院に連れて行ったりと裏方を買って出る。

     2本の本塁打を放ち、相手打線を完封したこの日の主役は、試合後にチームメートへの感謝を忘れなかった。「ヒットになったと思った打球も、みんなが捕ってくれた」

     歓喜のアルプス席。父は、マイクを向けられたエースを見守った。30年前の春、自分が立てなかったグラウンドの中心にいる息子に、伝えてきた言葉は届いたと感じている。【高井瞳】

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    4月3日の試合

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