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「甲子園がゴールではない」28年前、沖縄水産準Vのエース大野さん 負傷から復活の教え子が今大会に出場

【作新学院-筑陽学園】一塁コーチスボックスから指示を出す筑陽学園の比嘉翼選手=阪神甲子園球場で2019年8月11日、小松雄介撮影

 1991年夏の甲子園で準優勝した沖縄水産の元エース、大野倫さん(46)=沖縄県うるま市=が中学野球チームで指導した選手たちが今大会、代表校3校で出場している。連投で故障し投手生命を絶たれた経験や、プロ野球での失敗談を交えて指導し、甲子園については「未来が開ける場所」と伝えてきた大野さん。教え子の活躍に目を細めた。

 大野さんは91年の夏の甲子園で4日連続登板を含め全6試合を完投した。しかし、代償は大きく、右肘を剥離骨折。野手に転向し、プロ野球の巨人とダイエー(現ソフトバンク)で計7年間プレーした。約10年前から地元沖縄の中学野球チーム「うるま東ボーイズ」の監督をしている。指導者として、「厳しい練習は必要だが、けがをさせてはいけない。その見極めが難しい」と語る。

大声をあげて指導する大野さん=沖縄県うるま市内で2012年3月5日、小林悠太撮影

 筑陽学園(福岡)の比嘉翼選手(3年)は大野さんのおかげで野球を続けられた。投手だった小学生の時に利き腕の右肘を痛め、野球を続けるかどうか悩んでいた。中学入学後に大野さんと出会い、曲がったままの右腕を見せられ「こうはさせないから」と約束してくれた。憧れの甲子園で活躍した大野さんの言葉には重みがあった。比嘉選手の「投げたい」気持ちを抑えながら、肘に負担がかからない練習メニューを実践し、回復。「みんなと同じ練習ができず焦っていた。投げ続けていたら野球人生は終わっていた。大野さんのおかげで高校まで野球をすることができた」と感謝する。

 好機をものにする心構えも説く。ダイエーに在籍中、慌てて代打で出場し、見逃し三振をしてしまったことがあり、「解雇のきっかけになったと思う」(大野さん)。試合で見逃し三振をする選手がいると「俺はそれで解雇されたんだよ」と声をかけ、一球の重みを教えている。

 筑陽学園は11日の大会第6日、作新学院(栃木)と対戦、3―5で惜敗した。比嘉選手は一塁コーチを務めたが、出番はなかった。それでも、「テレビで見ていた舞台にみんなと立てて、うれしかった」と話し、大野さんの指導は「宝物です」と感謝した。大野さんは「甲子園がゴールではなく、次のステップに向かって進んでほしい」とエールを送った。【石井尚】

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