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夏の甲子園中止に「野球に感謝できる時が来る」 元巨人投手の小野仁さん

小野仁さん=上鵜瀬浄撮影

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 秋田経法大付(現ノースアジア大明桜)高時代から野球の日本代表に選ばれた大型左腕は、プロで挫折を経験し、引退後は職を何度も変えた。元巨人投手の小野仁さん(43)だ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、春のセンバツに続いて夏の甲子園も中止になり、小野さんは、自らの人生を振り返ったうえで「どんな状況でも目標と夢を持ち続けていれば、将来、野球に感謝できる時が来る。良い縁が巡ってくる」と球児たちに呼びかけている。

 現在、横浜市に住む小野さんは2017年、東京都内の健康機器会社に入社した。「コロナ前までは、ほぼ毎日、大学野球の監督や選手とグラウンドで会い、自分の経験を伝えてました」と話す声は明るい。学生の就職支援や採用を担当しているといい、「数人の内定が決まりました。来春入社してもらえるよう、日々フォローしています」。

◇春夏連続出場、五輪、プロ入りも果たしたが

1996年3月のアトランタ五輪壮行試合で、プロ選抜を相手に力投する小野仁

 190センチ近い長身から投げ下ろす140キロ台後半の速球が魅力のサウスポーだった。2年生エースとして1993年に春のセンバツと夏の甲子園に連続出場を果たした。高校生で日本代表に選ばれ、当時、世界最強だったキューバの主力打者から三振を奪って注目された。「親にもらった恵まれた体だけで勝負し、深く考えていなかった」と振り返る。五輪を目指すため、社会人の日本石油(現JX―ENEOS)に進んだ。96年アトランタ五輪に出場し、銀メダルを獲得した。自身は予選のキューバ戦に先発して打ち込まれるなど、活躍できなかっただけに「メダルは秋田の実家にあるかな。過去は過去」と語った。

1997年8月の広島戦で初先発初勝利し、喜ぶ巨人の新人・小野仁

 巨人を逆指名してドラフト2位で入団したプロでは壁にぶつかった。1年目の97年に巨人の新人投手では66年の堀内恒夫以来となる初先発初勝利を挙げたものの、その後は制球難に苦しんだ。02年11月にトレードで移籍した近鉄では1軍で投げることなく、03年に戦力外通告を受けた。プロ通算3勝8敗だった。現役引退後は、「給料を得ることの大変さ」を痛感した。魚市場や宅配業者で働いたり、飲食店の「黒服」を務めたりと、いろいろな職に就いた。私生活では離婚を経験した。

地元での再会「野球の縁戻った」

 そんな小野さんに地元とのつながりが戻ったのは、父勉さんが心筋梗塞(こうそく)のため72歳で急死した18年夏だった。葬儀を済ませた後、高校野球関係者にあいさつしようと、秋田大会の開会式を訪れたところ、93年夏の秋田大会決勝で対戦した金足農の菅原天城コーチと再会した。「声をかけてもらって、野球の縁が戻った感じでした」。金足農は18年夏の全国選手権で秋田勢103年ぶりに決勝に進んで準優勝した。母校の輿石重弘監督とも連絡を取り合うようになり、小野さんは「母が一人なので、よく帰るようになった。全国で旋風を巻き起こしてほしい」と秋田勢の動向を気に掛けている。

 採用活動の一環で大学生に投球を披露することもあり、草野球の登板日には万全の準備をして臨んでいるという小野さんは「今でも130キロは出るかな」。自身の反省も踏まえ「大学生の大半は4年春、高校生は3年夏で選手生活を終える。すべてを打ち込んだ野球で学んだことも多いはず。光をつかみに行くために、準備して研さんして」と話している。【上鵜瀬浄】

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