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“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談

全打席敬遠「タイムスリップしたらまたやる」 響く怒声、飛ぶメガホン(第3回)

第74回全国高校野球選手権大会2回戦(明徳義塾-星稜)、九回裏星稜2死三塁、松井の敬遠後、グラウンドに投げ込まれたメガホンを拾う星稜の選手たち=阪神甲子園球場で1992年8月16日

 1992年夏の甲子園で明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った5打席連続敬遠策。高校野球史に刻まれた戦略などについて、明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(64)と星稜(石川)の当時2年生遊撃手として出場した林和成監督(44)が語る、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」での高校野球監督対談の第3回。同じ敬遠策を再び行えるか、馬淵監督が答えた。【構成・安田光高】

第74回全国高校野球選手権大会2回戦【星稜-明徳義塾】5打席連続で敬遠の四球になった星稜の松井

 九回2死三塁から5度目の敬遠で松井が一塁へと進むと、甲子園はブーイングに包まれ、グラウンドにメガホンなどが投げ込まれた。2人はその光景をベンチから見ていた。

 馬淵監督 あんな大騒ぎになるのが分かっていたら、やりませんよ。これは大変なことになったと。全打席敬遠は四国では多く(やっていたし)、どのチームも打順を決める時は神経を使う。あの試合は1点差だから、何とか勝つにはあれしかないと腹を決めてやった。あんな大騒ぎになるとは夢にも思いませんでした。

 林監督 私たちもびっくりして、すぐに山下(智茂)監督から「(メガホンを)取りに行け」と言われて拾いに行ったけど、(拾う端から)投げ込まれた。異様な雰囲気でした。

 試合は3―2で明徳義塾が逃げ切った。選手として、また指揮官の立場で林監督は敬遠策をどう思うのか。

 林監督 私は(敬遠された)当事者ではないので、敬遠がどうこうというより、ああ負けてしまったんだという気持ちだけでした。監督としては、なかなかできることではない。4打席目は七回2死走者なしでの敬遠。私は、あそこで(明徳義塾が)勝負していたら松井さんはホームランを打っていただろうと思います。それを見抜く目、ここは絶対避けるべきだというのと(作戦を)徹底する技量は私にはないですね。

 最後まで一度もバットを振らせない徹底した敬遠策。今後、再び同じ作戦を取ることはあるのだろうか。

 馬淵監督 例えば、あそこにタイムスリップしたらやりますね。今の64歳でやれと言われたら、ようやる度胸はありませんね。あの時点にタイムスリップしたら、間違いなくやりますよ。(36歳という)若さもあった。

 僕がああいう作戦をとって、互いのチームに、松井君も(先発した)河野(和洋投手)にも嫌な思いをさせた。ただ、相手の強いところは避け、弱点を突くのは(勝利への)常とう手段。ルールで認められているなら、僕はやる。この作戦は好き嫌いはあるが、良い悪いは言えないんじゃないか。

第74回全国高校野球選手権大会2回戦(明徳義塾-星稜)、5打席連続敬遠を受け、悔しそうにベンチを引き揚げる松井。右は山下監督=阪神甲子園球場で1992年8月16日、大西達也撮影

 甲子園での全打席敬遠は後にも先にもこの1例だけ。それだけ松井の能力の高さを見抜いていた。

 馬淵監督 (松井の)スイングの速さ、体の強さはこれからも出てこないんじゃないか。オーラがあった。七回2死走者なしからの敬遠は、何点も負けていたらあんなことをやらない。普通にやったら勝てる、とおそらく思っていた星稜に、ちょっといつもと違うぞという感覚を持たせる上で、あの敬遠は大きかった。(山下)監督にも後の打者にも、チーム全体にプレッシャーがかかる。松井君に恨みがあったわけでは何もないし、山下監督に恨みがあったわけでもありません。

第74回全国高校野球選手権大会2回戦【星稜-明徳義塾】先発した明徳義塾・河野=阪神甲子園球場で1992年8月16日

 当時、教育の一環である高校野球において、教育的配慮に欠けるとの声も上がった。ただ、馬淵監督は全力で勝負に向き合うことも教育だと考えている。

 馬淵監督 プロは、自分の生活やお金を払って見に来たお客さんのために(野球を)やっている。アマチュアは違う。純粋に勝敗にこだわる。最初から負けていいやと思って、はたして成長があるのだろうか。勝ちたいと努力して犠牲を払った中で勝ったり負けたりするわけで、それで成長する。いいかげんにやっての成長はない、と思っている。

 信念の上でつかんだ勝利だったが、明徳義塾はその後、敵役としてのイメージがつきまとう。馬淵監督にとっても、苦悩の始まりだった。=つづく

第74回全国高校野球選手権大会2回戦【星稜-明徳義塾】試合に敗れ、整列する星稜の松井(左)=阪神甲子園球場で1992年8月16日

5打席連続敬遠

 第74回全国高校野球選手権2回戦で、明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った敬遠策。第1打席は一回2死三塁、第2打席は三回1死二、三塁、第3打席は五回1死一塁、第4打席は七回2死走者なし、第5打席は九回2死三塁からの敬遠だった。第4打席になるとスタンドから「勝負、勝負」と怒声が上がり、第5打席の敬遠後にはスタンドからメガホンなどが投げ込まれ、一時中断した。試合は3―2で明徳義塾が逃げ切った。試合後に日本高校野球連盟の牧野直隆会長(当時)が異例の記者会見を行い「敬遠も作戦の内だが、走者のいない打席は勝負してほしかった」と述べた。「ルールに基づく戦術」「勝利至上主義」と賛否両論が起こった。

明徳義塾

 1976年創立の中高一貫の私立校。野球部も同年創部した。甲子園初出場は明徳時代の82年春。夏は初出場の84年から2014年まで初戦16連勝。02年夏に甲子園初優勝。4強以上は松坂大輔(西武)を擁した横浜(神奈川)に敗れた98年夏を含め、春夏計6回。春は19回出場で25勝18敗、夏は20回出場で34勝19敗。

馬淵史郎

 まぶち・しろう 愛媛・三瓶高、拓大では遊撃手。1986年に社会人野球・阿部企業の監督として日本選手権準優勝。87年から明徳義塾高のコーチを務め、90年に監督就任。甲子園は2002年夏に優勝。春夏通算51勝(32敗)は歴代4位タイ。U18(18歳以下)アジア選手権大会に出場する高校日本代表監督も務める。同校スポーツ局長。

星稜

 1962年に創立し、野球部も同年創部。山下智茂監督が率いて72年夏に甲子園初出場。79年夏の3回戦、箕島(和歌山)との延長十八回の激闘は「高校野球史上最高」の試合とも呼ばれる。95年夏には2年生エース・山本省吾(元ソフトバンク)を擁して準優勝。2019年夏も準優勝に輝いた。春は14回出場で9勝13敗、夏は20回出場で24勝20敗。

林和成

 はやし・かずなり 金沢市出身。星稜高では主に遊撃手として活躍し、甲子園に春1回、夏2回出場。日大では準硬式野球部に所属。星稜高で1998年からコーチ、2004年から部長をそれぞれ務め、11年4月に監督に就任した。春夏通算11勝7敗。2019年夏の甲子園では奥川恭伸(ヤクルト)を擁して準優勝した。社会科教諭。

第74回全国高校野球選手権大会2回戦、明徳義塾-星稜の試合結果
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