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平田に夢切符再び 山陰から2校招待 吉報に笑顔の輪 /島根

センバツ交流試合出場を伝えられる平田の選手たち=島根県出雲市で、小出洋平撮影

 新型コロナウイルスの影響で中止となった今春の選抜高校野球大会の実質的な代替イベント「センバツ交流試合」(日本高野連主催、朝日新聞社・毎日新聞社後援)の8月開催が10日に発表され、山陰からは21世紀枠で選出されていた平田(出雲市)と、中国・四国地区代表でセンバツに出場するはずだった鳥取城北(鳥取市)の2校が招待された。一度はあきらめた甲子園の土を踏めることになり、両校ナインは笑顔で聖地での全力プレーを誓った。

     この日午後5時前、学校のグラウンドで練習を始めようとしていた平田高野球部に吉報が届いた。坂根昌宏校長からセンバツ交流試合の開催を聞き、選手はうなずいて喜びをかみしめた。植田悟監督が「高校球児の代表として甲子園に立つことを許された」と訓示すると、副主将の黒田泰司選手(3年)は大声で「最高です!」と答え、笑顔の輪が広がった。

     選手らを支える人たちも感無量の様子。エース・古川雅也選手(3年)の父で保護者会長の豊さん(48)は「(夏の島根大会の)代替大会はあるが、子供たちの目標はずっと甲子園だった。本来とは違う形だがたくさんの人が注目している。平高らしい野球を見せてほしい」。選手御用達のスポーツ用品店、マツウラスポーツ(出雲市)の松浦康之さんは「思いっきり甲子園の舞台を満喫してほしい」とエールを送った。

     植田監督は「一度は絶たれた夢に再びチャレンジできる。センバツ出場が決まった日よりもうれしい」としつつ、1カ月半に及んだ休校による選手の体力低下を念頭に「どこまで力を伸ばせるか」と課題を挙げた。

     主将の保科陽太(ひなた)選手(3年)は「出場校はどこも強豪。練習の成果を発揮したい」と8月の聖地を見据えた。【小坂春乃】

     ◆学校紹介

     1916年に平田農学校として創立された県立校。48年に普通科と農業科を置く平田高校となった。校訓は「自律・協同・創造」。主体的な姿勢と協調の精神で、新しい時代を切り開く人格の形成を目指す。平田商工会議所との協定による「地域課題解決学習」を導入し、地域密着の学校づくりにも取り組む。

     野球部は51年創部。3人のマネジャーを含む部員数は34人。野球部以外のクラブ活動も盛んで、陸上競技部や柔道部は全国大会の常連として知られる。

     生徒数453人。出雲市平田町1(0853・62・2117)。

    鳥取城北にも喜び

    甲子園でのセンバツ交流試合の説明を聞く鳥取城北の選手ら=鳥取市で、野原寛史撮影

     鳥取城北の選手らはこの日午後、鳥取市内の野球部グラウンドに集まり、練習前に中島悠貴部長からセンバツ交流試合の開催決定を伝えられた。真剣な表情で耳を傾け、一度は断たれた夢舞台での試合に向け、闘志を新たにした。

     吉田貫汰主将(3年)は「小さい頃からの夢だった甲子園で自分たちがプレーできることになったのはとてもうれしい。全力プレーを見せて、必ず勝って終わりたい」と笑顔を見せた。春に続いて夏の甲子園も中止が決まった後は練習に気持ちが乗らない時期があったが、7月に開催が決まった県独自の「2020年夏季県高校野球大会」を念頭に気合を入れ直したという。

     吉田主将は「(甲子園には)県大会2位で行くより1位で行った方が断然いい。まずは優勝できるように練習していきたい」と意気込んだ。

     交流試合開催について山木博之監督(45)は「本当に驚いた。準備していただいたことに感謝したい。(県大会に優勝して)名実ともに県代表として甲子園でプレーしたい」と話した。県高野連の山本英樹会長は「コロナ禍で同じような境遇にある全国の高校生や県民に夢と希望を与えるプレーを見せてほしい」と選手らにコメントを寄せた。【野原寛史】

     ◆学校紹介

     1963年開校の私立校。校訓は「質実剛毅(ごうき)」。知・徳・体の調和がとれた教育により、明朗闊達(かったつ)で進取の気性に富んだ人材の育成を目指している。

     野球部は69年創部。甲子園は春夏通算6度出場し、最高戦績は2012年夏の1勝。他の運動部も活動が盛んで、全国大会で上位常連の相撲部OBには大相撲・元大関の照ノ富士、元関脇の逸ノ城ら。幕内の石浦は石浦外喜義校長の長男。駅伝部は19年の全国高校駅伝に男女とも出場を果たした。

     生徒数1129人。鳥取市西品治848(0857・23・3502)。

    毎日新聞のアカウント

    8月17日の試合

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