肺がんのため24日に89歳で死去した高校野球界を代表する名将・木内幸男さんは、茨城県の取手二、常総学院で、甲子園に合計春7度、夏15度出場し、春1度、夏2度の優勝に導いた。大事な一戦で見せる意表をつく継投やスクイズは「木内マジック」と称された。だがその采配の背後には、選手の個性を見抜く観察眼と、戦況を冷静に判断する洞察力があった。
一躍有名になったのは、取手二を率いた1984年夏の甲子園だ。「KKコンビ」として知られた清原和博さん(53)、桑田真澄さん(52)を擁したPL学園(大阪)との決勝。エースが完投するのが当然だった時代、九回に追いつかれると、エースを一度外野に下げ、冷静さを取り戻させてから再びマウンドに戻し、春夏通じて茨城県勢初の甲子園制覇に導いた。
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