2018自民総裁選/2 岸田文雄政調会長(60) 確証なき禅譲路線 「加藤の乱」トラウマ重く

毎日新聞

 「(9月の自民党)総裁選にどう臨むか、まだ秋まで時間がある。日本の政治にどのように貢献できるかを考える中で総裁選の対応も考えていく」

 4日、地元・広島市で自宅近くの神社に初詣をした自民党政調会長の岸田文雄は、集まった記者団を前に慎重な物言いに終始した。

 東京都議選での自民党惨敗から半月が過ぎた昨年7月20日夜、都内のホテルで岸田は安倍晋三首相と向かい合っていた。安倍のもとで4年7カ月務めた外相職の続投を固辞しつつ「首相を全力で支える」と伝えた岸田に、安倍は「宏池会を大切にする」と約束した。

 外相の実績に加え、党三役を経験することによって「ポスト安倍」候補に名乗りを上げる岸田の思惑は明らかだった。内閣支持率の低下で政権が弱体化していた当時の安倍に岸田派「宏池会」(現在45人)を敵に回す余力はなかった。

 8月の内閣改造・党人事で岸田は党三役の一つ、政調会長に起用され、岸田派内は「(総裁選出馬へ向けた)最後のピースが埋まった」と盛り上がった。

 9月には岸田の母校・開成高校のOBが「永田町・霞が関開成会」を結成し、岸田が会長に就任。会場には安倍から祝福のメッセージが届き、出席者から「事実上の『岸田首相を目指す会』だ」との声も漏れた。

 振り返れば、岸田が最もポスト安倍に近づいた時期だったのかもしれない。

勝ちにこだわる

 だが、役者は安倍の方が上だった。衆院解散・総選挙に打って出た安倍は自民党を大勝に導き、総裁3選へ党内基盤を固めた。それだけではない。安倍が岸田の後任の外相に起用した河野太郎が積極的な中東外交などで一躍、存在感を高めてきた。河野は副総理兼財務相の麻生太郎が会長を務める麻生派に所属し、官房長官の菅義偉とも近い。政権主流派の後継首相候補に河野が急浮上した。

 岸田と安倍は1993年衆院選で初当選した同期だが、「お友達」と言えるほどの親しさはない。岸田派が政権主流派として安倍を支え続けても、安倍から禅譲を受けられる確証はない。

 岸田派内には「勝てなくても総裁選に出るべきだ」との主戦論もくすぶるが、岸田は「安倍首相にこれまでついてきて今の地位がある」と否定的だ。9日夜のBSフジの番組では揺れる心境を語った。

 「(熟柿(じゅくし)が)落ちてくるのを待って得られるほど世の中は甘くないということは思う。ただ、戦う以上は勝たないとならない」

 岸田が勝ちにこだわる底流には、2000年に起きた「加藤の乱」の苦い記憶がある。宏池会の会長だった加藤紘一(16年死去)はかつて「首相に最も近い男」と呼ばれたが、森喜朗内閣への不信任決議案に同調しようとして失脚した。

 求心力を失った保守本流の名門派閥はその後の分裂を経て、新たな首相を生むこともなく、岸田派となって現在に至っている。加藤の乱を知るベテラン議員は岸田に「我慢」を説く。「徳川家康が天下を取ったのも我慢できたからだ」と。

焦りと我慢

 昨年末、岸田派が都内で開いた忘年会の席で、岸田はつぶやいた。

 「今年の漢字は『支』だったな。自民党を支え、首相を支えた」

 忘年会の2次会はカラオケ。岸田がまず歌ったのは「戦争を知らない子供たち」だった。1970年代に流行した反戦歌だ。

 岸田は「首相はタカ派、私はハト派」と信条の違いを語る。被爆地出身の外相としてオバマ米大統領(当時)の広島訪問を実現させた自負も強い。憲法9条の改正にも慎重だ。カラオケに同席した議員は「(首相に対する)憲法のアンチテーゼだよ」と解説する。

 そして、2次会の締めに岸田が歌ったのは「人生劇場」。母校・早稲田大を舞台にした昭和の名曲を歌い終えた最後に、岸田はアドリブのセリフを添えた。

 「政治は義理と人情だ」

 早く総裁選に出て安倍との違いをアピールしたい焦りと、安倍の義理人情に期待し禅譲を待つ我慢。その葛藤が選曲に表れたのか。

 「最後は運の強いやつが首相になれる。俺の運もそこそこあるが、これからどうなるか」

 最近の岸田が語る言葉に、この先は運に任せるしかないとの達観もにじむ。【小田中大】(敬称略)=つづく