女子・須磨学園、意地の5位 男子・西脇工、諦めず13位 /兵庫

毎日新聞

5位でフィニッシュする須磨学園の大西ひかり選手=京都市右京区の西京極陸上競技場で、小出洋平撮影

 男子第69回、女子第30回全国高校駅伝競走大会(毎日新聞社、日本陸連、全国高体連など主催)は23日、京都市の西京極陸上競技場を発着点とするコースで開かれ、女子は3年ぶり23回目出場の須磨学園が後半激しく追い上げて1時間8分15秒でフィニッシュ。5位入賞を果たして「駅伝王国・兵庫」の意地を見せた。男子は2年ぶり30回目出場の西脇工が粘りの走りを見せたものの、2時間6分36秒で13位に終わり、県勢男子では3年ぶりに入賞を逃した。競技場のスタンドには両校の応援団が駆けつけ、力走に大きな声援を送った。【黒川優】

女子 3年生が後半奮起

 全国制覇を目標に掲げた須磨学園。序盤は苦しいレース展開だったが、後半を走った3年生3人が意地の追い上げを見せて5位入賞を果たした。

 1年生ながら「怖いもの知らずなところを見せてほしい」(浜本憲秀監督)と最長区間の1区に抜てきされた土井葉月選手は「いつもテレビで見ていた都大路を走れて幸せだった」と堂々の走りで、飛び出した長崎商などに続く第2グループをキープ。2区の樽本つかさ選手(2年)も「楽しめた」と振り返る力走を見せたが、他校が留学生を投入する高速区間のレース展開で先頭との差を縮められず、14位でタスキをつないだ。

 3~5区で3年生が奮起した。荒井優奈選手は「1、2年生が届けてくれたタスキを入賞圏内で次につなぐ」と区間タイム4位、金山琳(りん)主将は「少しでも追い上げる」と区間タイム2位の好走で順位を9位まで押し上げて、アンカーでエースの大西ひかり選手に勝負を委ねた。

 待ちきれないような表情でタスキを受けた大西選手は「優勝するには前に行くしかない」と目の前の集団を抜き去り、一時4位まで順位を上げた。最後は疲れ果てながらも5位でフィニッシュ。スタンドの応援団に向けて気丈に一礼した後、迎えてくれた仲間たちの胸で涙をこぼした。

 選手全員が初挑戦だった都大路。浜本監督は「下級生にとっては苦くとも良い経験だった。3年生の思いは伝わったはず」と総括し、金山主将は「優勝は後輩に託す。このチームでやってきて本当に良かった」と「全員駅伝」で挑んだ1年間を振り返った。

母と姉の背追う

 ○…須磨学園の樽本つかさ選手は、駅伝選手だった母と姉の背を追って2区を走った。母つぐみさん(50)=旧姓・福山=は加古川西の1年だった1984年、女子で初めて開催された高校駅伝県大会で1区の区間賞を獲得し、その後はワコールなどで活躍した。姉知夏さん(19)=日本郵政=は須磨学園1年だった2015年に都大路の2区で7人抜きの快走を見せた。この日は沿道から母の声援を受けたが悔しい結果に終わり「来年こそ一家念願の全国制覇を」と誓った。

男子 西脇工、諦めず13位

13位でフィニッシュする西脇工の平田恵大選手=京都市右京区の西京極陸上競技場で、小出洋平撮影

 上位3校が2時間2分台を記録する高速レースとなった男子。西脇工は序盤に上位から脱落してしまったが、最後まで諦めずにタスキをつないで来年に夢を託した。

 「速っ!」。1区を任されたエースの藤本珠輝(たまき)主将(3年)はスタート直後からハイペースに面食らった。5キロぐらいまでは先頭集団の好位置をキープしたが、徐々に置いていかれ、11位で2区へ。普段は笑顔でタスキを渡すことを心がけているが「笑顔になれないほど苦しいペースだった」と厳しい表情で語った。

 2区の吉川陽選手(2年)は冷静に前方集団のペースに合わせて走り、10位で「お願いします」と3区の酒井亮太選手(3年)にタスキを渡した。しかしそこからハイペースでリズムが崩れ始め、中盤で14~15位から浮上できなかった。酒井選手は「思っていた以上に体がうまく動かなかった」と涙を流し、4区谷本勇陽、5区庭月野颯汰の両選手(ともに3年)は「自分が順位を上げないと、と思ったのに……悔しい」と唇をかんだ。

 6区松尾昂来(こうき)選手(2年)は「タイムは気にせず、自分でいけるところまでいこう」と思って走った。ラストスパートで全力疾走できる他校の選手を見て、来年目指すべき目標ができた。アンカーの平田恵大選手(3年)は「最後に都大路を走れて良かった」と多くの人の思いが詰まったタスキをゴールに届けた。

 足立幸永監督は「良いレースはしたと思う。もっと上位にいけるだけの力はある」と来年以降に期待し、藤本主将は「3年生がチームを引っ張った姿は下級生も見てくれていたはず。安心して任せられる」と話した。

勇気を与えたい

 ○…西脇工の藤本珠輝主将は脱毛症で頭髪がほぼないため、ウイッグをつけて生活している。この日も、ほぼ全員が丸刈りのチームの中で唯一「長い髪がある」状態で1区を走った。小学5年のころに発症して以来、治ったり再発したりを繰り返し、今年からウイッグをつけ始めた。発症当初はショックを受けたが、今はチームメートにも受け入れられている。「自分が駅伝で活躍することで、同じ病気でショックを受けている人たちに勇気を与えたい」と取材に対して自ら公表を望んだ。

〔神戸版〕