走れ「生まれ変わる気持ちで」 仙台育英、逆境の言葉力 1区大ブレーキ→東京五輪代表 服部選手から後輩へ

毎日新聞

服部勇馬選手=愛知県田原市で、荻野公一撮影

あす全国高校駅伝

 男子第70回、女子第31回全国高校駅伝競走大会が22日、京都市右京区のたけびしスタジアム京都を発着点に開かれる。東京五輪男子マラソン代表の服部勇馬選手(26)=トヨタ自動車=は仙台育英高校3年時、エースが集う花の1区に出場したが、脱水症状で大ブレーキとなるつらい経験をした。「10年かけて取り返してくれたらいい」という当時の恩師の言葉が、その後の陸上人生を支えた。後輩たちに「走れることは当たり前ではない。感謝の気持ちを持って走ってほしい」とメッセージを送った。【荻野公一、藤田花】

仙台育英高校時代の服部勇馬選手=千葉市の昭和の森で2011年2月13日、津村豊和撮影

 意識が戻り、自分が救急車で運ばれていることに気付いた。2011年12月25日。大会前から注目され、1区区間賞を狙った。一方、1週間ほど前に腰付近を痛めた。不安から来る過度の緊張で、レース前から普段より発汗量が多かった。7キロぐらいから記憶はない。いつもなら残り1キロ地点での両親の応援を「力に変える」が、この日はそれさえ気付かず、なんとか10キロを走り切ってたすきを渡すと、京都市内の病院に運ばれた。結果は区間21位。「陸上で初めて大失敗した。完全にプレッシャーに負けました」

 病院のベッドで点滴を受けた。清野純一監督(当時)から「(責任を感じて)飛び降りたりしたら困るから付き添ってください」と頼まれて駆けつけた両親の顔を見ると、「やっちまった」と泣きながら笑った。その時、まだレースは続いていた。6区から両親らと携帯電話で途中経過を確認しながら見守り、チームは12位で終えた。

 午後9時ごろ、清野さんが病院を訪れた。腰が痛くて起き上がることができない服部選手の右側に寄り添い、「今日の失敗は10年かけて取り返してくれたらいいから」と語りかけた。その時は大学に進学して箱根駅伝で走ることしか頭になく、実業団へ進むことは考えていなかった。10年後については、正直、ピンとこなかった。

 個人種目だったら棄権もあり得たが、駅伝だと「なかなかそういうふうにはならない」と思う。どこまで無理して、無理しないのか。「難しいですね。でも選手は走りたい」

 大舞台での失敗を、東洋大に進学しても引きずった。大学1年時は「良かった時に戻ろうとして『走れなくなる前はこうしていた』とばかり考え、進歩がなかった」。練習は短い距離で効率を求めがちだったが、長い距離に対応できない。「新しい自分になる」と、2年生になり、ひたすら地道に走り込んだ。フォームは崩れてもいいから長時間走る、といった練習に取り組むと飛躍的に記録が伸びた。「さじ加減は必要だが、殻を破るにはやり過ぎるぐらいやらないといけない時がある」とがむしゃらに練習する時期が必要と説く。岐路に立つと「胸に突き刺さっている」という、ベッドで聞いた清野さんの言葉を思い出して「もうちょっとがんばらないと」と背中を押され、「過去に何をしたと振り返るより、新しく生まれ変わろう」と歩を進めた。

全国高校駅伝に出場する仙台育英の男子選手たち=藤田花撮影

 そんな服部選手の経験は、母校の後輩たちに引き継がれている。

 吉居大和選手(3年)は、昨年の都大路で右膝のけがを抱えたまま1区を走り、42位となった。大会当日の夜、宿舎を訪ねた服部選手から「終わったことに対してはもう何もできない。新しく生まれ変わる気持ちでやってほしい」と言われ、救われた。吉居選手は「楽しんでやらないと陸上をやっている意味がない」と前向きな気持ちで練習を重ね、8月のインターハイ5000メートルで日本人1位となるまでに成長。宮城県予選で、チームは全国トップのタイムで出場を決めた。菊地駿介主将(3年)は「勇馬先輩の五輪代表決定に続き、自分たちも優勝を目指したい」と意気込む。

 高校2年時には東日本大震災も経験した服部選手。実感を込めて、全国の舞台で駆ける後輩たちにメッセージを送る。「自分たちが走って(都大路への)切符を取ったが、たくさんの人が支えてくれて走ることができている。それだけは本当に忘れないでほしい」

リアルタイムで開会式やレース展開を速報

 毎日新聞ではニュースサイト(https://mainichi.jp/miyako-oji/2019/timeline/)で22日のレース展開をタイムラインで速報する。また、レース前日の21日には、開会式の様子や選手・監督のコメントなども随時伝える。