忍者といえば、黒い装束を身にまとって手裏剣を投げ、忍術を操るイメージがあるのではないでしょうか。忍者が主人公の漫画、「NARUTO−ナルト−」のヒットで人気は世界的です。知っているようで実は知らない、本当の忍者の姿を紹介します。【文・田嶋夏希/え・廣瀬八重】
ポイント
<1>情報収集が仕事
<2>全国各地にさまざまな流派
<3>秘伝書で伝わる術
<4>厳しい修行の数々
大切なのは戦わずに勝つこと
手裏剣や忍び刀などの武器を手に、戦うイメージが強い忍者ですが、実は戦わずに勝つことが大切とされていました。忍者の一番の仕事は、現代のスパイのように、敵地に忍び込んで情報を持って帰ることでした。怪しまれないために僧侶や商人などさまざまな職業になりきる変装術を駆使し、また見ず知らずの人と仲良くなるためのコミュニケーション術も優れていたといいます。
有名な伊賀流と甲賀流
戦国時代には全国各地で忍者集団が活躍しました。有名なのは山を隔てて隣同士だった三重県の伊賀流と、滋賀県の甲賀流です。都のあった京都からほどよい距離にあって情報が漏れにくいこと、周囲を山に囲まれた環境が体を鍛えるのに適していたことが、忍者集団の発達した理由とされます。それぞれ「伊賀者」「甲賀者」と呼ばれた忍び集団は、有力な武将について戦いが有利に運ぶように情報収集をしていました。他にも長野県の戸隠流、山形県の羽黒流など、各地にさまざまな流派がありました。
忍者の姿が分かる、貴重な資料
忍者の心得、道具や忍術などが記された忍者のバイブルが秘伝書です。そのうち、「万川集海」「正忍記」「忍秘伝」の三つが三大秘伝書と呼ばれています。特に「万川集海」は最も詳しく書かれていて、犯罪に悪用されないよう一般の人は見ることができないほどでした。「万川集海」の中で重要だと考えられていたのが、正しい目的のためにしか忍術は使わないという忍者のおきて、「正心」でした。
生きて帰るために修行の日々
忍者にとって最も大切なことは、生きて情報を持ち帰ってくることです。そのために、日々厳しい訓練で身体を鍛え、筋力や持久力を向上させていました。武芸や弓、馬の訓練、人さし指と親指のみで逆立ちする「飛神行」や、聴覚や嗅覚を鍛える修行もしていました。また、体と同じように心をコントロールすることも重要でした。忍者が呪文を唱えたり手で形を作る「印」を結んだりする場面を見たことがあるでしょう。ラグビーの五郎丸歩選手がキックの前にする独特のルーティンのように、実際の忍者も極限の状況でも冷静に対応するよう、集中力を高めるための呪文や「印」を結ぶことで不安を取り除く訓練をしていました。
忍者の持ち物
<1>編みがさ 日よけ雨よけ、顔を隠すのに便利。かさの裏に武器や秘密文書を隠すことも
<2>筆記具 すみと筆がセットになった矢立<上>(やたてうえ)と、石にも書くことができるチョークのような石筆<下>(せきひつした)
<3>打竹 中に火種を入れる、マッチやライターのようなもの
<4>かぎ縄 塀を上り下りしたり、敵を縛ったり、使い方は目的に合わせていろいろ
<5>三尺手ぬぐい 約91センチメートルの手ぬぐい。ほおかぶりや包帯のほか、泥水をこして飲み水にする際にも使われました
<6>薬 毒薬、睡眠薬、傷薬、解毒剤などを持ち歩いていました
忍者といえば手裏剣
手裏剣のイメージが強い忍者ですが、よく使われていたのは一般的な武器でした。手裏剣は貴重で、投げるのは重大なピンチの時のみでした。火打ち石とあわせてライターのかわりにもしたそうですよ。
歩き方が重要
「抜き足、差し足、忍び足」という言葉があるように、忍者にとって歩き方は重要な技です。状況に応じてさまざまな歩き方を使い分けていました。代表的なのが「抜き足」です。歩く時に足を上に引き抜き、着地する時はつま先をゆっくり下ろします。手のひらの上に足を乗せて歩く「深草兎歩」は、寝ている人の枕元を歩く時に使いました。厳しい修行の末に身につく技です。
忍者のこと、もっと知るには…
●江戸時代の本物の忍者屋敷で、からくり見学ができます
「甲賀流忍術屋敷」
滋賀県甲賀市甲南町竜法師2331
●忍者の修行体験ができます
「甲賀の里 忍術村」
滋賀県甲賀市甲賀町隠岐394
●忍者ショーや忍者体験ができます
「伊賀流忍者博物館」
三重県伊賀市上野丸之内117
●忍者の本当の姿が明らかに
「忍者ってナンジャ!?」展
10月10日まで日本科学未来館
(東京都江東区)で開催中